菊花茶と天壇大仏
両鳳連飛7
ことさらのんびりと日々は過ぎ。街では、独立記念日に売れ残ったお菓子がセールのカゴに並ぶ頃。
「これ、薬膳に使うやつ集めといたよん。宝珠ちゃんが‘良かった!’っていってた漢方も新しく組み合わせてみたから。調理法とか食材の栄養素に関しては蓮に聞いた方がいいかな」
「ありがとうございます…でも、またこんなにたくさんいただいて良いんですか…?」
東からボスッ!と渡された大きめのビニール袋、中にある様々な漢方類に宝珠が瞳をパチクリさせる。掌をパタつかせる東。
「逆、逆。殷がだいぶ払ってくれてるもん、もっとオマケしてもいーくらい」
「だいぶは大袈裟だろう」
「東くぅん、私にはぁ?」
「陳はコレでも飲んでなさい」
異を唱える殷の脇、甘えた顔で強請ってくる陳。その頬に東はピシッと菊花茶の小袋を貼り付けた。豊富なビタミンA。
薬学や医療関係の知識を増やしたいとの所望から、宝珠は連日【東風】へ訪れ東の後をついて回っていた。誰かに教えてやれる程のもんじゃないと東は辞むも、言葉とは裏腹にその調合の腕や博識ぶりには目を見張るものがある。東の一挙一動へ宝珠があまりにも関心を示すので、彗が‘アンタほんとはモサメガネ気に入ってんじゃないの’と揶揄ったが、‘それは全然ないかな’以外の返答がなされることは1度も無かった。
殷は【東風】へ宝珠を送り届けたのち樹と食べ歩きに出掛けるのがパターン化。意外な大食い仲間の出現に嬉々とする樹、たまに上も加わって、何だかんだよろしくやっているお兄ちゃん組。
今日から社交街のスイーツ店が周年感謝祭を開くとの情報を入手した樹は、おやつどき、宝珠に付き添って【東風】へやってきた殷をさっそく捕まえる。寺子屋帰りの大地を連れて来た上も無論巻き添え。ズリズリ2人を引き摺り扉を出て行くグルメ──と今しがた漢方を売って拵えたばかりの現金──を無言の笑顔で見送る違法薬師。‘東さん天壇大仏みたいですね!’と笑う宝珠、平和な午後。
「九龍は活気と勢いのある街だな」
「何でもアリやねん。無法地帯やから」
「それはそうなんだが、そこではなくて」
スイーツ店を目指して城砦内の商店や家々を眺めつつ歩く殷は、上の指摘にククッと声を漏らす。
「なんというか…人々から生命力を感じるよ。東洋の魔窟などと渾名されようと、足を踏み入れてみれば違う景色が見えるだろう。こうして‘日々を暮らす’のは大切なことだ」
マフィアが蔓延り犯罪の温床であることは否定が出来ないけれどな、と付け足して破顔。爽やかな魔窟批評。
住人とて全員が全員悪事を働いているわけではない。家賃が安いから、住み心地が良いから、余所者も受け入れてくれるから…様々な普通の理由でここに腰を落ち着ける、普通の人間達も居る。樹は殷を見上げた。
「殷って山のほうに住んでたんだっけ」
「片田舎を転々と。樹は九龍の出身か?」
「香港。上は九龍だけど」
「香港か。いいな。宝珠はあまり都会へ出たことがないから、連れて行ったら喜ぶかな」
「そしたら月末みんなで行く?上ちょうどデートだし」
「え!?何で知っとん!?」
突然降って湧いた話題に目をかっぴらく上は、‘大地が今月は上あんまりご飯食べない宣言したってゆってた’と返す樹に‘さよか’と呟いた。付け焼き刃のダイエット。
「成る程、上は香港に居るその恋人に相応しい男になろうとしているのだな。手始めの減量か」
素敵じゃないかと頷く殷に頭を振り、ハァと天を仰ぐ上。
「その場しのぎやし。やらんよりはマシやろけど…どっちみちカッコつかへんねんから、こないプーさんやと。ホンマに…釣り合うとらんやんな。諸々」
自虐的な物言い。殷はやおら腕組みをし、それから片手で顎をさすってゆったりと口を開いた。
「それは違うぞ上。選ばれたのは貴様なのだ、もっと自信を持て。でないと彼女の審美眼に難があるということになってしまう」
上は天を仰いだ体勢のまま首を回し、殷に顔を向けた。呆けた表情で思案。
そんな風に考えた事はなかった、が…言われてみれば一理ある。陽が‘好きだ’と肯定してくれるのならば、あまり自分を貶めるような態度をとっては陽がロクでもないものを好きなのかという話になりかねない。
「足りないと案じ、努力と研鑽を重ねる姿勢は素晴らしいよ。己を卑下する必要は無い。悠然と構えろ、内側も外側も貴様はなかなか良い男なのだから」
微笑む殷のストレートな措辞に当惑し、上は先程と同じく‘さよか’と呟いた。内側も外側も良い男などとは流石に褒め過ぎなものの───ネガティブにしていても仕方がない。謙虚と弱気は全く異なる事柄だ。
まごつきながら本題に戻す上。
「えっと、やなくて…香港やんな?ほんならみんなで行こか。香港では別行動やろけど、往復で桑塔納乗ってったらええし。殷はなんや仕事の予定とかあるん?」
「ん?うん、仕事は…そうだな…」
殷が僅かに答えに詰まり、腰に両腕を当てる。背面に提げている2本の短刀へと触れた風にも見えた。‘倭刀では街歩きの際に邪魔だろう’との言を思い出す樹、ついでに‘二刀流カッコいい!アニメとかゲームでも動きがメチャクチャ映えるよね!’と大地がハシャいでいた様も脳裏に甦る。どことなく嬉しそうにはにかんだ殷の横で生温かい笑みを湛えていた宝珠、兄様はヲタク気質。
───仕事、とは。何を指すのだろう。
【十剣客】の主立った生業が暗殺等なのはわかっている。そしてそれを、殷があまり快く感じていなかったことも。倭刀を持たない理由は街歩きに邪魔なばかりにあらず、そも、思い入れが無いからだ。【十剣客】の様式に合わせて使っていただけで自分は元来双剣術だからと殷はこぼしていた。
けれど【十剣客】が無くなった今、じゃあ、仕事って…?迷って、尋ねてみようかと樹が唇を開いた矢先、殷が柔和な声で発した。
「もし自分が行けずとも、宝珠を連れて行って、案内してやってくれよ。貴様らを好いているようだし」
妹が喜ぶなら自分も幸甚だから。そう言い添える殷に‘大事にしとるな’と上。ブラコン振りは人のことをいえないが、しかれど、今では樹もそれなりに気持ちを理解出来る。
───訊かなくてもいいか。仕事は。
宜しく頼むと笑う殷に、樹は開きかけた唇を閉じて、コクリと首を縦に振った。




