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九龍懐古  作者: カロン
両鳳連飛
303/492

大福と大脱走・後

両鳳連飛6






直進すれば目的地だが────逡巡して立ち止まる2人。カーテンの脇に寄り、耳をそばだてた。

(イン)は誰かとなにやら話している。どことなく険悪…相手は店の人間ではなさそう、客か。また声が響いた。


「もう【十剣客】も消えたんだ、仕事を選ぶ理由もないだろ?首領」

「【十剣客】ではないからこそ選ぶんだよ。その呼び方はやめてくれ」


グラスでカランと溶ける氷。(イン)のトーンはかなり低いが、もう一方(いっぽう)の男はどこか愉快そうな口振りで続ける。


「報酬が足りないならもっと引き上げるぜ。金だろ。(スケ)にも(シャブ)にも喰い付かねぇもんな…ま、信用出来るのは現金(ナマもん)だけっつうことか」

「貴様の見解も正しいが。1番は依頼内容の問題だよ」

「まだターゲットを見てもないのに?」

「見なくても(わか)る。こういった件には関係のない一般人(・・・)だろう」

戯言(たわごと)いうなよ、九龍(ここ)一般人(・・・)なんてたかが知れてる」


(イン)の返答を鼻で笑う男。


「そもそも、綺麗事()かせるご身分なのか?散々殺してきておいて。どう転んだって暗殺稼業だろ、【十剣客】もお前も───お前の家族(・・)も」




パキッと、空気にヒビが入る音がした。




明らかに地雷。だが、男もわかっていて踏んだようだった。挑発。そして、‘今さら仕事を選んだところで仕方が無い’といった説得でもある。


眉をあげる(スイ)。【十剣客】が暗殺稼業(そう)なのは何となく聞いていた、けれど…お前の家族(・・・・・)とは?インはもともと【十剣客】ではないとのこと。となると‘家族’が指すのは【十剣客】以外の(イン)本来の身内────脳裏に宝珠(ホウジュ)(よぎ)ったが、いや、それは違う気がする。(レン)に視線を寄越すもフルフルと横に振られる首。そこまでは知らない様子。(スイ)は床スレスレへ頭を下げ、カーテンの隙間から部屋を覗いた。男の姿は死角で見えない…ソファに腰掛けている(イン)は無表情。


たっぷりの沈黙のあと、長い溜め息をついて言葉を紡ぐ(イン)


「ターゲットもそうだがな。この一件(いっけん)を断る最大の理由は…貴様らだよ。貴様らのように(ぞう)()まで腐ったような人間が、自分は(いと)わしい。本当に虫酸が走って────如何(いかん)ともし(がた)いんだ」


硬質な声調がヒビ割れに当たり、空間が砕け散る。


「敵対するのか?」

「やぶさかではないな」

「自信家だねぇ」

「別に。されど、心付き無ければ、まぁ…」


男の問いに、足元へガシャガシャ落ちた空気(それ)を座ったまま靴底で踏みつけ(イン)(わら)う。数人が身構えたのを察し、(スイ)は即座に三節棍へ指を伸ばした。ここからでは確認出来ないものの、相手側は片手程の人数は居るようだ。

しかしそんなことは意に介さず、(イン)はベロア調の背凭(せもた)れに深く体を沈める。腰に下げている得物に手をかけもしない。唯一(ゆいいつ)、眼差しだけが鋭さを増した。ゆっくり口を開く。


(たお)せるかどうか、試してみたらいい。今…此処で」


数瞬の静寂。




緊張を裂いたのは──────甲高い、犬の鳴き声だった。




キャン!と吠えた小型犬。やはり通路の奥、ロッカールームだ。出処(でどころ)を気にした男達の注目が入り口に集まり始めたので、(スイ)は覗かせていた頭を慌てて引っ込めた。

室内の雰囲気が急激に(ゆる)む。お話し合いは中断…というより終了したらしい。衣擦れの音が聞こえ、(スイ)はクイッと顎で(レン)を誘導。鉢合わせはマズい。皆が部屋から出てくる前に、2人は静かに目的地へと駆けた。






角を曲がった突き当たり、扉の開いている更衣室。最後に使用した人間がキチンと閉めて行かなかったのか…元より特に鍵などは付いていないだろうが。ドアを押して中に入る。暗い。電気を点けては目立ってしまう、携帯電話のライトで辺りを照らす(スイ)。視界の端でカサカサと何かが動いた。


「居た!大福!」


白くて小さな吉娃娃(チワワ)が、簡易ケージに囲われパタパタ尻尾を振っている。(レン)に光源を渡して吉娃娃(チワワ)を抱き上げればすぐさまペロペロ頬を舐めてきた。この人懐っこさが連れ去りに()ってしまった一因(いちいん)でもありそう…思いつつ、(スイ)は‘大地(ダイチ)微信(チャット)して’と(レン)(うなが)す。無事捕獲したので裏口のセキュリティーを何とかしてほしいと伝達。


「上手く出られましゅかね」

「イケるイケる、大地(アイツ)だって意外に頼れるとこあんだか───…」

「誰だお前ら」


(スイ)の返答に重なって、太い声。驚いた(レン)がスマホを手から滑らせた。振り返った(スイ)の目に暗がりでぼんやり映る輪郭、スーツの中年。店のスタッフか?

携帯を拾おうと(かが)(レン)、その(レン)の首根っこを男が掴もうとし、(スイ)は叫ぶ。


「ごめんオッサン!!」


まばたきのうちに組み立てた三節棍が、男の下顎にヒットした。地面に倒れ込むスーツ、(スイ)の腕から逃げ出す大福(チワワ)。肉球に頭を踏まれた(レン)がキャンと鳴く。


「あ、大福逃げたっ」

「へ!?」

(レン)行って!」


言いながら(レン)の手からスマホを奪う(スイ)(レン)が焦って吉娃娃(チワワ)の跡を追う。犬が向かったのは幸いにも非常口方面…このまま行けば、外へ出られるか?大地(ダイチ)の返信に目をやった。


做信號(あいずする)!〉


なにかしらの合図があるらしい。携帯をポケットに押し込んだ(スイ)が大福と(レン)へ追い付くと、2匹は狭い通路で睨み合いの真っ最中。裏口の鉄扉を背に片膝をつき、両手を広げている(レン)。その正面で毛を逆立て臨戦態勢をとる大福。どういう状況なのか。


「なにしてんのよアンタら」

「いや、それが…なぜか僕には全っ然懐いてくれなくって…」


半目(はんめ)(スイ)(レン)がヒソヒソ囁く。扉の向こうにはセキュリティーの連中が立っているようだ。大福は(レン)に敵意を剥き出し、勃発する吉娃娃(チワワ)同士の負けられない争い。


すると。


「撃たれた!例のチンピラの襲撃だ!」


大地(ダイチ)の怒鳴り声───合図(・・)。セキュリティーがどこかへ移動していく気配がした。


(レン)開けて!ドア!」


パパッと(てのひら)を振る(スイ)に頷きドアノブをひねる(レン)、開放された扉めがけて大福が飛んだ。肉球に頭を踏まれた(レン)がキャンと鳴く。

路地裏へ走る大福、(レン)(スイ)も建物を転がり出た。どっちへ行った?右───じゃない、左か。表玄関と反対側の脇道。急いで路地を抜ける。と、大福を抱えて物陰に座っている(ネイ)が居た。


(ネイ)!ナイス!」

「た、たまたまこの子が走ってきたから」


賛辞と共にワシャワシャと髪を撫でる(スイ)に、恥ずかしそうに(うつむ)(ネイ)。別の路地からやってきた大地(ダイチ)宝珠(ホウジュ)も合流した。


(ネイ)さっすがぁ!やっぱり犬捕まえるの上手だね!」

「や…たまたまだってば…」

「堂々としなさいよ、ほんと控え目ね(アンタ)は」


パチッと指を鳴らす大地(ダイチ)、ますます(うつむ)いて縮こまる(ネイ)の髪を(スイ)はさらにワシャワシャ撫でた。全員でスタコラとバーから遠ざかる。


「サンキュー大地(ダイチ)、タイミングばっちりだったじゃない」

「でしょ!宝珠(ホウジュ)のおかげなんだけどさ」


(スイ)の称賛に大地(ダイチ)はシシッと笑って宝珠(ホウジュ)へウインク、宝珠(ホウジュ)もクスリと口角をあげる。


(スイ)から連絡を受けた大地(ダイチ)は非常口(そば)の小道で(ネイ)を待機させ、宝珠(ホウジュ)を連れて正面玄関付近が見下ろせる建物へ。そして宝珠(ホウジュ)がパチンコを使い、入り口のネオンへと鉄球をいくつかショット…ライトが割れたと同時に大地(ダイチ)があたかも銃撃されたかのように怒鳴り、場を撹乱させたという流れ。


「へー、やるじゃん。でも‘例のチンピラの襲撃’って何だったわけ?」

「え?わかんない。適当。あーゆー店って、常になんか揉めてそうだから」

「あははっ!」


首をかしげる(スイ)へ事も無げに返す大地(ダイチ)を見て、お腹を押さえて笑う宝珠(ホウジュ)(ネイ)の腕の中で大福が楽しそうにキャウンと吠えた。




───飼い主へ犬を受け渡しに行く道中、(レン)がそろっと(スイ)の袖を引く。


「あの…(イン)さんの件、どうします…?」


(スイ)は目を細めて宝珠(ホウジュ)の後ろ姿を見詰めると、(しばら)く思索し、それから息を吐いた。


「どうもしない。(イン)が喋んないなら(スイ)達が首ツッコむことじゃないでしょ。でも…もし何かが起きたりしたら、誰かに話すかどうかは(アンタ)の判断に任せるわ」


その時は(スイ)もそうするし。言って、掲げられた(こぶし)に、(レン)(こぶし)をコツンと合わせた。

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