表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
九龍懐古  作者: カロン
身辺雑事
284/492

ペンダントとクリスタル・後

身辺雑事7





(ルイ)くん!」


気付いた桂子(カコ)が駆け寄る。(ルイ)、もとい浩宇(ハオユー)───もはや名前など何でもいいか。きっと両手でも足りないほどあるだろう。男は桂子(カコ)を抱きとめジロリと3人を見やる。鋭い眼光。だが、なるほど、風聞に(たが)わず甘いマスクのイイ男だ。


(タクミ)はポケットに突っ込んでいた手をさり気なく出した。(カムラ)が口を開きかけたが、それより早く(リン)が吠えた。


「いい加減にしてよ!!アンタ、女の子引っ掛けちゃ貢がせたり売り飛ばしたりしてんでしょ!?桂子(カコ)から離れなさいよ!!」


なんとなく状況を把握した浩宇(ハオユー)は、‘離れないのは俺じゃなくて女の方だ’と(わら)う。その通りではあるのだろう、現に桂子(カコ)だって、こんな場面だというのに未だ男の横にひっついている。桂子(カコ)は眉を下げた。


「ねぇ、ケンカしないでよ…私は(ルイ)くんのこと大好きなの。役に立ちたいの。でも、(リン)のことも大好きだから…ね、仲良くして?」

「何言ってんのよ桂子(アンタ)も、出来る訳ないでしょ!!金巻き上げられて売られそうになってどうしてまだコイツが好きなの!?」


捲し立てる(リン)に、だって、だってと針の飛んだレコードのように呟く桂子(カコ)浩宇(ハオユー)は大きく溜め息を()(ふところ)から何かを抜いた。ピストル。(リン)へと銃口を突き付ける。

(リン)が目を見開き、青ざめた桂子(カコ)が飛び出して(リン)を抱き締めた。


(ルイ)くん駄目!!」


片眉をあげる男、桂子(カコ)の行動が意外だったのか。(カムラ)が眼球だけを動かして(タクミ)に問い、(タクミ)は応えて心なしか目を細めた。


「駄目、(ルイ)くん、(リン)は駄目…友達なの」


悲痛な声音で訴える桂子(カコ)を男は無表情に眺める。そもそもコソコソと周囲を嗅ぎ回っていた(リン)が邪魔だったのだ、今日は得体の知れないオマケ(・・・)まで連れてきて。(カムラ)(タクミ)が自分にとって好意的な人間ではないことは一目瞭然…浩宇(ハオユー)は逡巡する。


(カムラ)は握っていた携帯を浩宇(ハオユー)へ投げた。急に飛んできた物体に気を取られる男、同時に(タクミ)が距離を詰め、スマホを払うその手の中のピストルを蹴り飛ばす。(タクミ)はそのままピストルを追って拾い、振り向きざま片膝立ちで男に向けて腕を上げた。男も新たに銃を取り出し(タクミ)に向ける。重なる照準、桂子(カコ)の悲鳴。


「やだぁ!!仲良くして、ねぇ、ケンカしないで。私もっと頑張るから…じゃあ、深圳(シンセン)に行かなくてもお金が用意出来たらいいかな?いっぱい働いて、そしたら…」

「そういうことじゃないわよ!!こいつと一緒に居ちゃ駄目だって言ってんの、見なさいよこの状況!!」 

「なんで?なんで…怒らないで、(リン)(ルイ)くんも、じゃあ、じゃあ深圳(シンセン)に行ったらいい?どうしたらいい?だって…わかんないよ…ケンカ、だから、好きなの?なんで?」


髪をグシャグシャ掻きながら桂子(カコ)が喚く。支離滅裂。チャンポンしている薬のせいだろう、恐らく与えられていたドラッグ以外にも手を出している…浩宇(ハオユー)に見切りをつけられた理由。(リン)は唇を噛む。

数秒の沈黙があって───浩宇(ハオユー)(わず)かに身じろいだ。察知した(タクミ)も人差し指に力を込め、2人がトリガーを引きかけた刹那。


桂子(カコ)があいだに身体を滑り込ませた。


「やめて!!!!」


浩宇(ハオユー)を背に庇うような姿勢。桂子(カコ)と視線がぶつかった(タクミ)の指先がギリギリで止まる。が…ふたつほど発砲音が轟き、一瞬の()(のち)桂子(カコ)の口から血が溢れた。

淡い色のブラウスが背中側から朱に染まる。桂子(カコ)はゆっくりと後ろを振り返り浩宇(ハオユー)を見据えた。ピストルから薄く立ち昇る煙。

崩れ落ちる桂子(カコ)を男は不機嫌そうに見下ろし、肩を竦めて‘売り損なった’と舌打ち。商品(・・)を撃つつもりは無かったのだろう。


「ったく…使えないな…」


吐き捨てられた科白(セリフ)(カムラ)(タクミ)の表情が変わったが、先に動いたのは(リン)だった。

突如として腹のあたりに衝撃を感じた浩宇(ハオユー)が首を向けると、目に映ったのは…脇腹へ深く突き刺さったビール瓶のガラス片と、それを両手で持った(リン)。数瞬の硬直、そして、再び銃口が(リン)に向いて────パンッと乾いた音。


浩宇(ハオユー)の整った二枚目(ヅラ)が弾け飛ぶ。地面に倒れ込むその身体の向こうで、(タクミ)が銃身を軽く振って硝煙を払った。(リン)は茫然としたが、すぐに我に返ると桂子(カコ)に寄り添い上半身を抱きかかえる。


桂子(カコ)っ…」


桂子(カコ)は名前を呼ぶ(リン)を見て、数回まばたきをした。けれど───それだけだった。輝きを失う瞳孔と、重くなる身体。最後の言葉も何も無かった。


呆気ない。こんなものなのだ。どんな感情があったって、思い出があったって、消え去る時は一瞬。感動的なラストなどメロドラマでなければ用意されていない。(リン)の瞳から透明な雫が桂子(カコ)の頬へとポタポタ落ちた。


血も涙もないな。思いながら、血と涙に濡れた桂子(カコ)の頬を撫で、半分開いたまま止まってしまった彼女の瞼を閉じさせ───(リン)はその栗色の髪を梳く。ゆっくりと優しく。ゆっくりと、優しく。その時ふと、桂子(カコ)の首に目が留まった。



襟元から覗く、金色のチェーンに下がった、ペンダントトップ。もう外してしまっているかとも諦めていたが。



───可愛いから2人でしようよ!私、ずっと大切にする!



「…ほんと…馬鹿なんだから…」




呟く(リン)の傍へ立った(カムラ)が、何か声を掛けようとし…やめて、かわりにストールを外した。汚れてしまった桂子(カコ)の服をそっと覆う。


日も差さない路地裏。雑然と散らばるガラクタ。紅く染まった胸元、はだけたブラウスの下で、揃いのネックレスだけが────ただ綺麗に光っていた。
















◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






「で、慰めに来てくれたワケね」


幾日かが経ち、いつものピンクカジノ。カウンターに肘をついてクスクスと()(リン)(マオ)が鼻を鳴らす。


「そーそー。(マオ)様、優しいから」

「気にしなくてよかったのに」


よくあることじゃん。


乾いた声で(リン)はこぼす。よくあること。日々巻き起こる、取るに足らない事件のひとつ。桂子(カコ)の死体だって、浩宇(ハオユー)の死体だって、血塗(ちまみ)れの路地裏だって、すぐにお掃除(・・・)された。誰が居ようが誰が居まいが変わらずに過ぎる日常。九龍城砦(このまち)は今日も平和(・・)に回っている。


生返事をしつつ、両隣の席へRESERVE(リザーブ)の札を投げる(マオ)。とはいえ人身売買にドラッグに【黑龍】──の話は(リン)は知らないが──と、当初の想定よりはゴチャゴチャした一件(いっけん)だった。手を付けなければ問題は花街全体にも広がっていただろう、面倒事を早々に処理できたのはありがたい…(マオ)は‘泡モン抜くからグラス出せよ’とテーブルを指でノック。


「なに注文し(いれ)てくれるの?」

「この前と同じの」

「え、マジ?クリスタル?」


(リン)が目を丸くする。先日(マオ)(おろ)したクリスタルは1万5千香港ドル、なかなかの代物。ちょっと待ってねと奥に引っ込み、シャンパンクーラーにボトルを1本差して運んでくる(リン)に、(マオ)は少し頭を(かたむ)けた。


「何してんだよ」

「え?これでしょ?」

「2本だろ。オメェとダチのぶん」


数秒固まり、それから弾けるように笑う(リン)。ちょうどやってきた(カムラ)(タクミ)に‘いらっしゃいませ!’と元気に手招き、踵を返して追加のクリスタルを取りに行く。(マオ)の耳元に顔を寄せる(カムラ)


「ちょ!もうシャンパン頼んでん?俺あんま金あらへんで、(はろ)てやりたいんは山々やけど…なんぼするんそれ…」

「いーよ、お前は安いのオマケで開けてやれ。クリスタル(こいつ)は1本燈瑩(ヤクザ)にツケる」

「いやいやいやそれは!なんかそれは!か、かっこつかんやん!」

「じゃ割り勘しよーぜ、スノーマン」

「ぁんだよスノーマンって?」

「お待たせぇ♪ありがとうございまぁす♪」


(スノーマン)の肩を叩く(タクミ)(マオ)が首をかしげた。(リン)は明るい笑顔でボトルを2本カウンターに並べ、コルクへと指をかけ勢いよく開栓。飛び散った泡が(カムラ)へと粉雪さながらホワホワくっつき、‘まじ雪ダルマ!’と吹き出す(タクミ)(リン)もまた笑う。





その(リン)の首元。同じデザインのペンダントトップがふたつ。仲睦まじく、寄り添って────キラキラと揺れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ