場慣れと雪ダルマ
身辺雑事4
「睿?聞いたことねぇな、引っ掛けた女用の名前なんじゃね」
「俺もそう思っててんけど」
夜更けの【宵城】最上階。首を捻る猫に上が肩を竦める。
「受付やってたっつうニャーだかミャーだか捕まえて口割らせたらどうだよ」
「林と文な。ネコとちゃうんやから。いや、多分そいつらもよぉ知らんねん…店長言うとるけど女連れてきよるからで、実際ただの女衒の側面が強いんとちゃうか」
「店自体はあんま関係ねーっつこと?」
「かもせん。やから早いやろ、【楽山】で荒事にするんは」
「あそぉ。んじゃ東のルートで網張っとけ、どっかしらから買い付けてんだろ」
「店長?が、直接買うてんかな?やっとんのは雪廠やろけど…そういう時に使てるて綾ちゃん言うとったし」
猫の言に再び肩を竦める上へ、匠が煙草の先を向けクルクル回す。弧を描く白煙。
「雪廠以外にも色々買ってるよ。【楽山】で客もキャストも麻薬キメてんじゃん、大麻の匂いもすごかったし」
マリファナの香りは確かにしたが…他の薬も?上が問えば、部屋覗いたらやってたと匠。
「勝手に見たんか!?」
「許可とって見んのかよ?‘お邪魔します’つって‘どうぞ!’って言う奴いなくね?」
臆面もなく放つ匠に、上は黙って唇を一文字にした。せやねんけどな…急に覗いたらお前それ、最中を覗くっちゅうことやんか…。なんやそれは、お前、アレやんか…。しゃーないけど…。
「ラリってんだし、チラ見くらいは向こうも気にしてねーよ」
そーゆー店でしょと匠。場慣れ感。薬物やアンダーグラウンドな出来事の扱いに関してもそうだけれど────そこだけではない。悔しいが、恐らく、匠はモテるのだ。なのでああいうシーンで動じる要素がない。悔しいが。上は再度唇を一文字にした。
上だってモテたいんじゃない。ただ経験値が足りないのが悔しい…余裕が欲しいのだ、余裕が。いつもいつもオロオロしおってこの饅頭は…垢抜けへんわ。陽ごめんてホンマ…香水買おかな…。明後日の方向に飛ぶ思考。
「俺も睿って奴のこと、女達とか同業にそれとなく訊いておくから。饅頭はそいつの他の名前も調べとけよ。あと人身売買の線」
猫に呼ばれて意識を引き戻した──‘饅頭’で反応するのがさっそく垢抜けないが──上は頷く。また【楽山】行くとき俺も行くよと申し出る匠にも、妙に力強く頷いた。
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「店長の他の名前わかったよ。浩だって」
「俺んほうでも花街の店の娘に聞いててん。ほんなら何やちょこちょこ飲み歩いて女の子引き抜いとるイイ男が居る言うて…ふたつくらい違う名前出よったな」
幾らかの日が経ち、集まる情報。雑居ビルの屋上で綾と通話をしつつ──【楽山】店内で特に目立った動きが無かったために電話で済みました、ホッ──上は檸檬茶を啜る。
「アタシ、多分店長に睨まれてんだよね…桂子にウルサイこと言うからかも知んない。桂子も桂子であんま店に来ないし連絡も取りづらいし」
店長のゆーこときいてんだろうなぁ、と綾は溜め息。男は綾に限らず、余計な風を吹き込む人間を桂子から引き離したいのだろう。
「【楽山】きてくれた時、カーテンの向こうに誰か居たじゃない。店長がスタッフに覗かせてたんだよ」
以降注意して見ていたら、新規客が来る度に店の人間がチェックしている事に気が付いたと綾。全部の部屋ではなく綾のルームのみ。となると、綾の動きを訝しんでいる…けれど従業員達がグルになって何かをしているわけではなさそう。彼らは店長に指示されるまま綾の動向を窺っているだけだ。
「俺らんこと何か訊かれてん?」
「んーん、それは平気だった。けどやっぱりさぁ…アタシ余計なお世話だよねこんなの…意味ないかなぁ」
綾はまた大きく溜め息をひとつ。
桂子に忠告をせども、右から左で効果は無し。だが夜の世界の住民は皆心に穴が空いている人間ばかり───優しくしてくれた異性に縋ってしまうのは、理解る。自分達だって少なからずそういった隙間をつついて商売をしている。何を言えた義理もない。
「いや、んなことあらへんって。綾ちゃんが教えてくれんかったら俺らも【楽山】んこと詳しくわかれへんかったしな…桂子ちゃんやって、そのうちちゃんと話聞いてくれるかもせんやん」
上は励ますようにそう言って、だが───もしかしたら、と、呟く。唇を内側に巻いて考えた。ポジティブな発言をするのは簡単。しかし、そんな甘い台詞だけを並べ立てるのは無責任な気がした。
少し藤のことを思い出す。今日と同じように夕焼けに染まっていた不恰好な違法建築群、屋上と煙草、パックの檸檬茶。あの時は…上手く行かなかった。けれど。
「もしかしたら、聞いてくれやんかもせん。何も変わらんかも。やけど変えようとして、やってみることは…無駄やないと思うんよ」
無駄じゃない。無駄じゃなかったはず。自分がそう信じたいから言うててんかな…俺は…口にしながら上は思ったが、綾はいくらか晴々とした声で‘ありがと’と応えた。
ダラダラ他愛もない話をして通話終了ボタンを押すと、入れ替わりで東からの着信。応答すればヘラリとした声。
「喂?【楽山】に薬売ってる奴なんだけど、目星ついたかも」
「えっ!!ホンマか!?!?」
「ギャッ!鼓膜!」
ボリュームに悲鳴を上げる東へすまんと上。
「雪廠だけじゃあ出回り過ぎててちょっとわかんなかったけど。雪廠と他のドラッグ、セットで大量に花街に卸してるプッシャーが居るみたい」
「コンタクト取れるん?」
「俺は知り合いじゃないのよね、でも週末の夜はいつも杏香楼のバーでカモ探してるってハナシ」
今日は週末、そして時刻はちょうど日が沈み始めた頃。絶好。東に礼を述べ電話を切った上はすぐさま匠の番号を押す。コール音…の代わりに流れるマッシュアップ。クソっ、オシャレやな────あっ出た。
「ちょぉ匠ヒマか!?」
「どした?【楽山】行くの?」
「行かん行かん!!いや行く!!」
「は?」
気が急いているせいでごっちゃになってしまった。上は東が情報をくれたことを話し、売人を見付けに【楽山】ではなく杏香楼のバーへ付き合って欲しい旨を伝える。‘りょ’と軽い返事で了解した匠と待ち合わせ、件の店へ。
現れた匠はいつものニット帽に重ねて、口元までチャックの上がるパーカーを着ていた。フードもかぶり見えているのは目元だけ。上にもビーニーを渡し、‘ストール巻き直したら?’と告げる。周到。アドバイス通りに帽子を装着しストールを巻き直す上。服と相まってフォルムがよりいっそうモッフモフになった饅頭…改め雪ダルマに、匠は思わず吹き出した。




