引っ越しと祝賀会・前
香港屋企1
中流階級エリア、とあるマンションの高層階の1室。
眼下に広がる街並みを見下ろし、バルコニーで瓶の可樂を開ける樹と彗。ぬるい日差しとそよ風が肌を撫でる。東は蓮に持たされた大量のご馳走を簡易テーブルに並べた。
「モサモサメガネ、残念だったわね。姐姐が居なくなっちゃって」
「すぐ帰ってくるじゃないの。俺、待てる子なんで」
ニンマリする彗へ東が唇を尖らせる。
この部屋は彗と藍漣の新居だ。しかし、引っ越しが終わるとすぐに藍漣は‘上海でやる事がある’と九龍を離れてしまっていた。相変わらず‘イイ子で待ってろよ?’などと言って───はい待ってます。ワン。料理をパックから皿へと移しつつ、東は自分の左耳に齧りついている小さな龍を指で挟みモニュモニュ揉んだ。
「彗、ついて行かなかったんだね」
「まぁね…学校あるしぃ…」
グビグビ可樂を呷る樹、チビチビ啜る彗。
学校とは城砦内の寺子屋。大地が通っているそこに、ちょこちょこと彗も顔を出しはじめたのだ。勉強がしたいとかそういうことではないが…なんだか、ちょっと、面白そうだったので。
姐姐は上海のストリートで暮らしていた子供達が元気で過ごしているか確認しに行ったらしい。引き取られたり働き先を見付けたり、居場所を得た者は多いけれど、生活が上手くいかずに路地裏に舞い戻ってきてしまう者だって少なくない。新しい家なき子もどんどんやって来る。姐姐はそういった人間を放っておけないのだ、ああ見えて結構お人好しなのよね…東もだけど。ん?そうなるとお似合いか?ヤダぁ!ってゆーか九龍のやつらみんな割とお人好しじゃん、だったらわざわざモサモサなメガネを選ばなくたっていいじゃん!
急に百面相をはじめる彗を樹はキョトンと見詰めて、それから熊猫曲奇を差し出した。いや…お腹減って唸ってる訳じゃないから…と言いつつも受け取る彗。頭からバリッといってやった。そこへピコンと電子音、微信を開く樹。
「あ。大地、上の仕事が終わったら一緒に来るみたい」
「そうなの?じゃ寧も呼ぼっか」
寧へ連絡しようと携帯を取り出す彗に、樹は不思議そうな表情。呼びたくない、などではもちろんなく、単純に‘大地が来る’と‘じゃあ寧も呼ぶ’が結びつかなかったのだ。
樹…そんなに鈍チンなことあるぅ…?彗は薄目で首無し熊猫を口の中に放る。
「なら匠も呼んでいい?来れそうな人を呼ぶってことだよね?」
「違うのよ樹…まぁいいけど、アクセどこで買ってんのか聞きたいし…」
違った。樹は、またも不思議そうな表情。
バタバタした為やらずに流れてしまった引っ越しパーティーの代わりかと思ったが、そうではないのか?思案しながら匠へメッセージを飛ばすと1分も経たずに返信。〈得la〉。猫にも送っておこうかなぁ?夜は暇じゃないかもだけど…そしたら燈瑩にも…樹が彗の顔を見ると‘好きにしたら’と書いてあった。頷いて、グループチャットで一斉送信。匠が再度〈得la〉とレスポンス、律儀。樹も月餅の絵文字を返しておいた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「東ぁ!!花火たくさん持ってきたぁ!?」
夕刻、元気な声と共に大地が玄関から顔を出した。上と寧も一緒だ。先に到着していた匠がガサッと透明なビニール袋を持ちあげると、中に詰まった東お手製花火の数々に大地は大喜びし‘やるぅ東!伊達に違法薬師じゃないね!’と賛辞を送った。
違法の部分要ったか…?笑顔で首を傾げる薬師────改め花火師。ここのところ線香花火に留まらず3色花火も作れるようになりました。好きなのはネズミ花火です。
夜の帳が降りた頃、皆で屋上にあがり花火に火をつける。九龍城砦スレスレを飛んで行く飛行機、啟德機場ご自慢の‘香港カーブ’ 。時折襲い掛かる強風から火種を守りながら、ワイワイと開催される花火大会。
火花を瞳の中で揺らす彗が呟く。
「東」
「…ん?え、俺?」
「アンタ以外に誰が居んの」
「ですよね」
呆れ顔の彗に東は肩を竦める。モサメガネに慣れていたので、いきなり本名を呼ばれて逆に反応が遅れてしまった。線香花火を縒り直す手を止めて彗に視線を投げる。
「ちゃんと姐姐のこと幸せにしなさいよ」
その発言に東は目を丸くした。
あら?これは…認めてくれつつある、ということなのかしら…?驚いた東が返答し倦ねていると、彗はキッ!と鋭い眼差し。三節棍にかかる指。
「じゃないと歯ぁ全部折ってやるんだから」
「えぇ!?やめてぇ!?」
「でも東、歯医者やろうとしてたんだし治せるじゃん」
「違うのよ樹」
樹の合いの手に悲壮な顔をするヤブ医者。フォローをしたつもりが先ほど彗に言われたのと同じ台詞をかけられてしまい、樹は首をコテンと斜めにしたが、匠の‘自分じゃ奥歯とかよく見えないからじゃね?’との適当な相槌になるほどと膝を叩いた。




