ピアスと雷霆
紫電一閃19
タンカー沈没のニュースはチラリとテレビで流れ、九龍城でも噂で流れ、それから台風小狗に連れられどこかへ飛んで行った。魔窟発信のトラブルなんてその程度。今日も無法地帯は安心安全、通常運転。
「もー台風はいいから競馬つけろよ競馬」
「走んないでしょ馬…この天気じゃ…普通に他のワイドショっ」
「じゃあアニメにしてよ、もう始まってる!チャンネル変えて!」
ソファでダラける猫が寝たまま酒瓶を傾け、カウンターでテレビのリモコンをいじる東の手を上から覆い被さった大地が操作。なににおいても主導権は店主に無い、素敵な【東風】。上は‘これ1回見たやつやんか’と言いつつ画面を眺めた。再放送。と、入り口のドアがふいにガチャリと音を立てる。
「何、そのアニメ?ロボット?子供っぽいんだから…」
扉から顔を出した彗が開口一番に溜め息。テーブルについていた樹が自分の隣の椅子を引き、彗はトスッと腰を下ろす。後ろから入ってくる藍漣。
「家探し、どう?いいとこ見付かった?」
「やっぱプーと燈瑩ん家の近くにした」
樹の質問に頷く彗、治安も景色も良いしねと笑う。先日燈瑩が紹介してくれた老人会のメンバーが所有している物件に決めたようだ。簡素な契約を済ませ人心地ついた彗と藍漣は、その足でみんなに報告をしにきたらしい。大地が振り向き‘そしたら引っ越しパーティーしないと!’と瞳を輝かせた。
「またバズーカ撃つのぉ?」
「俺撃ってないもん!上にとられたから!」
「とってはないやろ別に」
ククッと喉を鳴らす東に大地は反論。‘とった’を否定する上、そんなお祭り男みたいな言い方はやめてくれ。祭男は鶏蛋仔屋だけで充分だ。
藍漣は東に近寄り素面の目元を擦って、お前とはあんまり近所じゃなくてごめんな?と微笑。上海よりは断然近いでしょと答える東───しかし、藍漣の視線はその耳朶で留まる。気付いた東が少し気恥ずかしそうに立ち上がりお茶を淹れに台所へ向かった。
「九龍、気に入ってくれたんだ」
樹の台詞に、彗は赤茶けた髪をクルクルと指に巻き付けポツポツ話す。
「まぁね。魔窟だー!とか言われてるけど、そんなん裏社会ならどこだって一緒じゃん。フツーにこの街楽しいしご飯も美味しいし、遊ぶとこもいっぱいあるし…それに…」
言葉を区切った彗の顔を、樹が覗き込む。それに…の続きは?彗はクスリと笑ってテーブルをコンコン叩いた。
「だからさ。みんなと一緒に居てもいいよ」
それに────‘仲間’が出来たから。口には出さなかったが、出す必要もないのかなと彗は思った。きっと、みんなの中では、当然のことなのだろうと感じたので。
「ぁんだそりゃ?偉っそうだな?」
「はぁ!?猫に言われたくない!!」
ハッと嗤う猫に、シャーシャーと毛を逆立てる彗。ネコ2匹。まだ仲裁人は来ていない…収拾がつかない…樹はその到着を待ちつつ静かに戦いを見守った。
「お前、開けたのか」
東の跡を追ってキッチンへやってきた藍漣は言いながらフードを掴み、左耳をマジマジと見詰める。
ピアスがくっついていた。‘痛いから嫌だ’と言ってたのに…しかもしがみついているのはアクセサリーショップで藍漣が吟味していたものの、買わずに帰ってしまった例の龍。
「1個しか開けてないよ、痛いもん。だからこれ1個藍漣に」
東はパーカーのポケットに手を突っ込むと小袋を出した。中で大人しく丸まる片割れの龍。藍漣はそれを受け取り、不在だった3連ホールの1番下の席を埋める。カプカプと耳朶に齧りつく小さなドラゴン達。
「東」
コンロへ向かおうとする東を藍漣はもう1度呼び止め、振り向いたその顔に黒縁の眼鏡をかける。九龍の色々な店に足を運び、新しく見繕って調達してきたものだ。驚く東へ藍漣はたおやかに笑う。
「壊れちまったやつの代わりには、もちろんならねぇけどさ。かけとけよ」
「たまには取れって言ってたじゃない」
「んな昔話すんな、ジジィじゃねんだから!隠しとけ。お前はイイ男過ぎる」
眼鏡の両フチにかけていた手を耳朶におろし、ピアスに触れる。それから頬を挟んで、頭を引き寄せ唇を重ねた。
「ウチのだからな」
唇をつけたまま囁く。
「あー!!!!やだってばぁ姐姐!!!!」
猫との一悶着を終え、お茶汲みを手伝おうとやって来たらしい彗が悲鳴をあげた。藍漣が笑って東の首に腕を回すと彗はウギャァと断末魔。揶揄い甲斐のある妹分。
「そろそろ認めてもらえません!?」
「無理ぃ!!彗まだモサっ…モサメガネの魅力わかんないもん!!」
藍漣のシャツを引っ張る彗へ認可を求める東。またモサメガネか…眼鏡が復活した為アダ名も復活してしまった。モサモサよりはいいのか。同じか。ん?それとも、モサモサメガネにパワーアップしたのぉ…?考え込む東から藍漣を引き剥がしにかかる彗。
「とにかく姐姐はあげないんだから!!」
「でも藍漣は俺のこと好きだもんね!…え?だよね?」
「ははっ、好きだよ♪」
「やだぁ姐姐!!考え直して!!」
「いいじゃない!」
分厚い雲が薄く裂けて、窓ガラスから一筋の陽光が差し込む。棚の上の花瓶にささった紫荊花。隣に並べられているテーマパークのぬいぐるみとツルの飛んだ黒縁眼鏡。
残った片方だけのレンズは、午後の陽射しを乱反射し、喧々囂々と騒がしい店内を微かに眩く照らした。




