タマゴと既視感
青松落色4
「すまん、遅なった」
「おー。俺も今来たとこだよぉ」
走り寄る上に少年は笑い、パックの檸檬紅茶を差し出した。その腕には絆創膏がところ狭しとペタペタ貼られている。
「嘘やん藤、けっこう待ったやろ」
「全然。タバコ吸ってたしぃ」
「しかもまたケガだらけやん。どないしてん」
「コケた。あはは」
「あははちゃうやろ…気ぃつけやホンマ…」
貧困街、マンションの屋上、ボロボロのベンチ。
腰掛けている少年───藤の隣に上も座り、貰った檸檬紅茶のパックにストローを刺した。
藤が煙草をプカプカさせながら問う。
「どぉ?仕事」
「貧困街回ったし…夜に花街やね」
いくばくか神妙な顔付きで上は答えた。
頻発する子供の失踪事件の被害が、スラムから貧困街にまで拡がってきた。
おかげで九龍の裏社会の空気がピリピリしており、情報屋としてある程度の内容を把握しておきたい上は最近ちょこちょこ街へ出てそれとなく人々に話を聞いているのだ。
藤とはそんな中で出会った。まだ九龍にやって来て日が浅いらしい、のんびりした雰囲気の少年。
年の頃も上と同じで、名前の響きが似ていることもあり親近感が湧いて何となくつるむようになった。
上の言葉に藤は頷く。
「お疲れ様だねぇ。いい情報聞けたぁ?」
「あんまし。みんなよう知らんみたいやな」
「あらら、じゃあ花街に期待かぁ」
「花街はなぁ…関係あらへん感じやけど」
子供が消えているのはスラムと貧困街で、花街から居なくなったという話は今のところ無い。
だがこの件に限らず、些細な事でも、情報はあればあるだけ良い。
ついでに猫のところにも顔を出しておこうかと思いながら、上は伸びをして立ち上がった。
「ま、飯行こか。藤何食いたい?」
「美味しかったらなんでもいー。上のオススメの店とかないのぉ?」
「オススメ言われると困るな…ならまぁ、花街の方でもええ?後で行くから近いと助かるわ」
「おー、いいねいいね」
軽いノリで賛同する藤を連れて、花街へ向かう。
路地をいくつか抜けてしばらく歩くと目当ての茶餐廳の看板が見えた。甘党の樹に、西多士が美味しいと教えてもらった店だ。
店内に入り、席でメニューに視線を落とす。早餐、午餐、アラカルト。
上は常餐を指で叩いた。
「俺は…常餐頼もかな。ここ西多士がいっちゃん美味いらしいで」
「そぉなんだ、じゃ雞蛋三文治と西多士」
「いや両方タマゴとパンやん」
「あっほんとだ」
やばー気付かなかったー!とニコニコする藤を眺めながら、上は思う。
こいつ…あんま九龍に似合わへんな。
この街の住民たちはもっと警戒心が強いというか、こんなにフワフワしていないというか、とにかく。
まだ九龍に来て間もないからだろうか?香港島で仕事が無くなって九龍に来たと言ってはいたが、詳しく聞いた訳では無かった。
「すいませぇん、雞蛋三文治と西多士下さぁい。あと蛋撻」
「タマゴ増えとるやないか」
颯爽と店員に伝える藤に上がツッコむと、えーでも食べたいんだもん上も早く頼みなよぉ?と逆に急かされる。
藤のマイペースに巻き込まれつつ上も注文を終え、しばらく待つと一番に西多士が卓に届いた。
「デザートからくるんか」
「でもこれと雞蛋三文治と蛋撻だから、どっちみち全部デザートだよぉ」
「雞蛋三文治はちゃうやろ」
「まーいいじゃん、上も食べよぉ」
藤に勧められるまま上は西多士を一口かじる。
「ん…?ほんまや、うまいやん」
これは確かに美味しい。中にカスタードクリームが入りシロップもたっぷりかかっているカロリー爆弾のような代物だが、ほどよく調整された甘さでしつこくない。樹も納得のお味だ。
上は思わず呟く。
「今度大地も連れて来たろかな」
「大地?」
「あ、弟。子供やから甘いの好きやねんな」
「子供って、そんなに上と歳違うんだぁ」
「いや5コくらいやけど…身体が小っこいんよな。背ぇもあんま無いし。顔も母さん似やから女の子に見えんで」
「ふぅん…」
何か考える様子の藤。上はその顔を覗き込んだ。
「どしたん?」
「や、俺は家族居ないからさぁ。いいねぇ兄弟」
「あー…まぁ、大変なことも多いけどな。俺らも、昔っから親居らんし」
「そっかぁ」
話しているうちに料理が次々とテーブルに並ぶ。
期せずして、上が頼んだ常餐の皿の中にも玉子焼きがついていた。もはやタマゴ祭りだ。
その玉子焼きに藤が手を伸ばす。
「おいしそうだねぇ。ちょっともらっていい?」
「…いくらでも食うたらええ…」
なんだ藤、タマゴのオバケなのだろうか。そう思いつつ、上も蛋撻を半分貰った。
テーブルの上を行き交う様々な形に姿を変えた卵。万能食材やんか…などと1人で考えていると、万能食材だねぇ?という藤の声が聞こえて、上はプッと吹き出した。
ワイワイしながら美味しく食事を終えて、満足して店を出る。
と、通りの少し向こう、見知った着物姿の男が上の目にとまった。
「猫!」
上が声をかけると猫は振り返り、なぜか不思議そうな顔をした。
「どしたん、買い物?」
「お前こそどうしたんだよ」
「え?【宵城】行こ思て」
「そうじゃねぇよ」
猫の視線に気付いた藤が、軽く右手を上げ挨拶。
あっ、俺がいつものメンバー以外と居るのが珍しいからか。そう上が思って猫に藤を紹介しようとするより僅かに早く、藤が口を開く。
「ご飯も食べたし俺そろそろ帰るよぉ。ありがと。またねぇ上」
言うなり、手を振って人混みに消えてしまった藤を見て上は少し驚いた。
え?随分あっさり帰るな。いや、でも、別にそんなもんか?
藤が去った方向を眺めている上を猫が茶化す。
「お前友達居たのかよ」
「なんやねん、そら居るやろたまには」
「たまには?初めての間違いじゃねーの」
「うっさいなぁもう。初めてやないやろ…多分…」
だが、言われるとそうかも知れないと上も思う。
いつもの面子以外に友達と言える人間は藤が初めてなのかも。
「何区のやつなの?」
「貧民街やけど、最近ヨソから九龍に来た言うてたよ。たまたま知り合ってん」
「へー…」
猫は、聞きながら藤の顔を思い返した。
初対面では無いような気がしたのだ。あの男…見たことがある気がする。それこそ最近、どこかで。
「猫、【宵城】戻んなら一緒行こや。話したいことあんねん」
「あ、おう。じゃこれ持って。重いんだわ」
「小間使いやん」
まぁいいか。記憶違いだろ。
そう考え直すと、猫は店の備品とお菓子がたっぷりと入った買い物袋を上に持たせ、空いた両手で悠々と煙草に火を点けた。




