強制入院と上機嫌・後
紫電一閃10
「だから匠と樹が食肆に居るんだ」
久々の晴天、九龍の街並みが一望できる高層マンションのバルコニーで瓶の可樂をあける彗。目下絶賛お住まい探し中、本日は内見も兼ねた地域調査の住宅訪問。訪問された家主が隣で笑って煙草を燻らせる。
「そうそう。樹は最近ちょっと…心配性で」
宗の一件以降。誰かが欠ける────その可能性を僅かでも孕む事柄に対し、どうにも少し過敏なのだ。燈瑩は最近自分もうっかりケガをして【東風】に軟禁されてしまった事件を話す。聞きながら彗は可樂で喉を潤し、手摺りに寄りかかった。
視界に広がる違法建築。見晴らしがよく夜景が綺麗そうだ、風も気持ちいい。エリア的に治安もそんなに悪くないっぽいし、この辺りの高層階、確かにイイかも知んない…家賃、高いのかな…?
彗がそんなようなことを口にすると、燈瑩は近くの物件を紹介しようかと提案。老人会の茶飲み友達にビルのオーナーが居るので安い賃料で貸してもらえるらしい。
「顔広いのね。九龍が地元なんだっけ?あと大地達も」
「大地と上は富裕層地域の出身だけどね」
「燈瑩は?」
「俺はスラムだよ」
答える燈瑩の横顔を眺め、ふぅんと唇を尖らせる彗。容貌や雰囲気からするとスラムの出身には見えないが…思いつつ盛大な溜め息をひとつ。
「てゆーか燈瑩とかならイイ感じなのに。姐姐、‘あの垂目は色男だから駄目だ’って」
「それは…えーと、ありがとう…?」
彗の台詞に燈瑩は小首を傾げる。結果としては‘駄目’だが賛辞には相違ない…というか俺、垂目って呼ばれてるのか…他のメンツのアダ名も気になる。猫は猫目とかだろうか。どうでもいい事を考える横で、彗が‘姐姐の趣味マジでわかんない!認めない!’と膨れっ面。白煙と共に言葉を流す燈瑩。
「でも良い奴でしょ、東」
「そーだけど!モサいもん、姐姐があんなにカッコいいのにぃ!もぉ…なんなのよあのパーカー…」
そう言う彗もパーカーである。フードが付いている服が好きらしい、どうも東と系統がカブる事が気に食わない様子。
彗は暫く不満をブツブツ呟いていたが、再び盛大な溜め息を吐くと柵に背を預けて空を仰ぎ、出し抜けに発言。
「彗、今日ここん家泊まろっかな」
「ん?この部屋気に入った?」
「それもあるけど。樹が食肆だから」
樹が食肆に居るならば【東風】には東しか居ない。だからどう、とはもちろん藍漣は言わないものの…まぁ折角の機会だ…‘断腸の思いってやつね’とボヤく彗。燈瑩は含み笑いをした。
「東のこと認めないって言ってたのに」
「認めないよ!全っ然!でも、姐姐はモサメガネが好きじゃん。だから姐姐の為。彗は姐姐が好きだから」
渋面のまま手振りをつけて説明する彗に、燈瑩は‘そっか’と頷き目尻を下げた。
「じゃあ、この辺のビルのオーナー紹介するからさ。ちょっと周りの家見て回って、夜は何か美味しい物でも食べに行こうか」
「行く!あっ、そしたら彗、行きたいお店あるんだよね!」
「どこ?」
「富裕層地域の星付きのやつで、樹が猫と燈瑩と行ったとこ」
樹から話を聞いたと目を輝かせる彗に、燈瑩は記憶を辿る。富裕層地域の星付き…あの店か、確かに美味しかった。帰りに猫が暴言吐いて暴れたけど────
‘ケツの穴みてぇな顔して喋んじゃねぇよ’
‘口の形かな…’
「ふふっ」
「え?何?」
「なんでもない」
いつかのやり取りが脳裏に蘇り吹き出す燈瑩。彗はクエスチョンマークを浮かべつつ、携帯をいじり藍漣へと微信を飛ばした。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「お、これイイな」
買い物──という名のデート──の途中、藍漣はアクセサリーショップで足を止めた。小さな龍のデザインのピアスを吟味している肩越しに顔を出す東。
「ピアス?」
「1個失くしちまったんだよ、ほら」
藍漣は左側の耳朶を見せる。3連ホール、1番下の席が不在になっていた。片っぽだけ開けてるの?と尋ねる東へ肯きながら手を伸ばし、その両耳を引っ張る。
「東は開いてないんだな。薬物中毒なのに」
「関係ある!?てかジャンキーではないよ、仕事なだけで!!」
タトゥーもなんもないのかと発する藍漣に、東はへの字口。
「痛いもん。針は」
「…鼻からの理由それか?」
疑問を呈しつつ、藍漣は爆笑。鼻も鼻で痛いだろと腹を抱える。なにが‘鼻から’なのかはお察しだが…慣れれば鼻を傷めず上手くやれると東は弁明。弁明になったかはさておき。
「本当可愛いな東」
「アリガトウゴザイマス」
称賛にカタコトで礼を述べる東。可愛いも可愛いで悪くはないけど、一応俺の方が歳上なのよ?人並み以上に遊んでもいたし?とはいえ、だからなんだという話ですが。
まだ楽しそうに笑っている藍漣を見て東も瞼を細めた。経験値なんて、時として全く役に立たないものである。
と。ピコンと通知音が鳴り、携帯を取り出す藍漣。
「彗だ」
「あら、帰宅の催促かしら」
一応、樹が何日か家を空けることを藍漣に伝えてはいた。しかれども、どのみち彗を放って置く訳にはいかない。樹が居ないからどうこうという問題ではなかった。なかったけど。いいじゃない…!期待するだけなら…!唇を内側に巻き込みムンッとした表情を作る東、反対に、液晶画面に視線を落とした藍漣はメッセージの内容に少し目を見開く。
〈住在燈瑩家〉
「…なぁ東。樹って、今日も食肆から帰って来ないんだっけ」
「のはずだけど。なんで?」
藍漣は携帯をポケットに戻し正面に立つと、細い両腕を東の首にスルリと回して顔を引き寄せた。
「なんでだと思う?」
鼻先をくっつけて微笑。それから東の回答を待たずに手を繋いで歩き出す。絡まる指。唄を口ずさみながらご機嫌に進んでいく後ろ姿に東は何かを言いかけ…いったんやめて、やっぱり言おうとし…結局やめて、そのまま黙ってついて行った。
経験値なんて、時として、全く役に立たないものなので。




