怯懦と愛烏・後
愛及屋烏10
食肆へ辿り着き、寧と美麗を中に入れると戸締まりをし蓮は再度例の路地裏へ。だが到着した現場、燈瑩の姿がない。あれっ?場所間違えたかな?いや死体もあるしここだよな…付近をキョロキョロ見回す。
と、居た。通路の1番隅っこ、しゃがみ込んでいるせいでわからなかった。どうしてそんな所に…歩み寄った蓮の靴が燈瑩の傍らの水溜りを踏む。水溜り?じゃない、血だ。血?誰の?死体の?違う、これは────
「おっお怪我したんでしゅか!?」
「あ、おかえり蓮君」
白煙を吐いてヘラッと述べる燈瑩。いやいやいや、のんびり一服つけている場合ではないだろう…蓮は即座にその手から煙草を奪って捨てる。服が真っ赤だ、他人には涼しい顔で‘怪我は’なんて訊いておいて…慌てる蓮の心情をよそに、燈瑩は‘寧ちゃん達には内緒にして’と口元へ人差し指を立てた。
「内緒、じゃなくて燈瑩さん…血、血が…」
「いいんだよ。俺はずっと待たせてるから」
「待たせてる、って、誰を…?」
質問には答えずに、燈瑩は蓮の髪をクシャッと撫でる。
「東呼んでもらってもいいかなぁ。携帯ダメになっちゃって」
その頼みに蓮は急いでポケットをまさぐり、青い顔。スマホを食肆に忘れてきたらしい。ままま待っててて下しゃいとハチャメチャに吃ると電話をかけにまた走っていった。それを見届け、静かに壁にもたれる燈瑩。
マズいかな、東に怒られそう。傷口を押さえると掌が血塗れになった。上着で雑に拭いて目を瞑る。鼓膜を塞ぐ雨の音。だいぶ降ってきたな…服濡れてるし…
──────あの時も雨だった。
「こんなところで寝たら体に障るわよ」
懐かしい声が聞こえて瞳を開くと、目の前に屈み込んでいる濡羽色の髪。
「…────月」
燈瑩が思わず口にすれば、月は悪戯に唇の端を吊り上げた。
え?本当に?そんなことがあるのか?ある…のか。あるよな。ギター、鳴るんだもんな。スクリーンセーバーだって…思いながら割合とあっさり納得し、燈瑩は首を傾げた。
「迎えに来てくれたの?」
「まさか。顔見に来ただけ」
「なんでよ」
文句をつけつつ頬を綻ばせれば、月もケラケラ笑う。いつかと同じくひとしきり笑って────瞼を伏せる燈瑩。
「もういいでしょ。そろそろ。よくやったんじゃない?俺」
「あら。なによそれ、弱音?」
「そうだよ、子供だから。‘子供らしいこと言え’ってゆったの月じゃん」
シトシト降り注ぐ糸雨。ややあって、月は燈瑩のハーフアップに触れ、そっと顔を引き寄せると────額を指先でトンと叩いた。
「痛っ」
「もうお兄ちゃんでしょ。貴方のこと必要としてる子達がたくさん居るわ」
額から鼻筋をなぞり、唇に指を添えて囁く。
「アタシは────ずっと待ってるから。ね?」
刹那、激しくなる雨足。霞む景色。一瞬の後に戻った糸雨、けれどもう、そこに月の影はなかった。パシャッと水音がして燈瑩はそちらに顔を向ける。泥濘んだ道で見慣れたパーカーが息を切らせていた。
「なんだ、東かぁ」
「えぇ!?お前が呼んだんでしょ!?」
期待外れといった様子の燈瑩の言に不満を露わにするパーカー。‘傷を見せろ’と隣に腰を下ろす。
「早かったね」
「ちょうど食肆向かってたから、厨房手伝おうかなと思って」
だってギター鳴るんだもん…樹バイトで出掛けてるのに…とボヤく東に燈瑩は失笑。あの2人はいつも【東風】に居るんだろう────ちょっと羨ましいかも知れない。燈瑩が楽しそうな表情を浮かべれば、東は呆れて溜め息をついた。
「笑ってる場合じゃないよ、もー…何で燈瑩はすぐ大怪我すんの」
「すぐって事もなくない?」
「こないだも切られたでしょ」
「じゃ2回だけじゃん」
「口の減らない子だね」
メッ!と怒る東を無視して燈瑩は煙草を銜えかけるが、こちらも秒速で捨てられた。
「あっ、何すんのヤブ医者」
「吸うんじゃないよ怪我人!もっとご自愛いただけますか!」
「俺はいいんだって」
「お前が良くても周りが良くないのよ」
猫にもそんなこと言われたな…テキパキ応急処置をするヤブ医者を眺めぼんやり考える燈瑩。東は諸々を診終えると息を吐いた。
「弾丸抜けてるし、イイとこ当たったね。1発だけ?」
「2発」
「んん!?どこ!?」
「ここ」
言って、ひしゃげた携帯を掲げた。グシャグシャの液晶にかろうじて映る待ち受け画面、夜空、隙間から覗くヒビ割れた月。
「へぇ、鴻運じゃないの」
「かなぁ」
眉を上げる東に答え、燈瑩は曇天を見上げる。
────ずっと待ってるから。ね?
「……ズルいな……」
微かに零した台詞は、龍船花の薫りと共に、柔らかく雨に溶けていった。




