天邪鬼と一生懸命
愛及屋烏7
宵の口、明かりが灯りはじめる花街を抜け燈瑩は食肆の方面へゆったりと歩く。
────失くすのはテメェじゃねんだわ。
猫が言っていたあれは、‘俺が何かを’ではなく‘周りの人間が俺を’といった意味合いか。随分気にかけてくれたものだ、普段の態度は散々な癖に…天邪鬼なネコちゃん。
けど、なぁ。上も大地も充分大きくなったし陽だって既に独り立ちしている。さしあたり自分は役目を終えたのだ。居なくなったとて別に────
考えていると、前方から美麗、そして山ほど食材を抱えた蓮が並んで歩いてくるのが見えた。片手を上げる燈瑩に気付いた蓮が駆け寄る。
「燈瑩さん!お1人ですか?」
「ちょっと散歩。買い物帰り?沢山買ったね、運ぶの手伝うよ」
「えっ!いいんでしゅか!でしたら、お礼に何かご馳走しますっ」
尻尾を振る吉娃娃。燈瑩は蓮から半分以上荷物を受け取ると‘美麗ちゃんの袋、持ってあげたら?’と耳打ち。蓮は慌てて空いた腕を美麗に差し出す。多少は手伝わせてくれと遠慮する彼女と押し問答、どうにかこうにか預けて貰うことに成功。その微笑ましい様子を見て目尻を下げる燈瑩。
食肆へ到着し、いそいそと厨房へ向かう蓮の横で美麗が普洱茶を淹れる。椅子に腰を下ろした燈瑩は前置きもせず何気無い調子で口を開いた。
「美麗ちゃん、前の雇い主の人とはもう繋がってないんだよね」
直球。反応をうかがうには出し抜けなほうがいいのだ。茶を注ぐ手を止め、美麗は燈瑩を見詰める。瞳にうつる狼狽。けれどこれは…隠し事をしている訳ではなく、何か迷惑をかけたのかという煩慮の気色に感じられた。
「や、猫も心配してたから」
燈瑩は口角をあげ殊更優しいトーンで語る。
「その人がどうなのかはわからないけど、九龍城砦では色々…違法なことやってる人間ばっかりだし」
俺もだけどね、と冗談めかして笑う。美麗は大きな目を丸くして、それからクスリと頬を綻ばせた。再びお茶をつぎ始める。
「多少は、やっぱり…そういう方々と関係があったのかも知れません。私は、与えられた仕事をこなすだけでしたから、深く存じてはいないのですが」
猫さんのお手を煩わせてしまったでしょうかと肩を落とす美麗に燈瑩は首を振る。
「猫さんは、蓮さんの恩人なのですよね。剣術のお師匠様であるとも」
美麗はキッチンを振り返り、蓮の姿が見えない事を確認するとヒソヒソ囁いた。
「蓮さん、毎日一生懸命、剣術の練習なさってます。こっそり。どんなにお仕事が遅く終わっても必ず」
「え?そうなんだ、知らなかった」
「‘全然上達しなくてカッコ悪いから’と、皆さんには秘密にしてらっしゃいますけど」
とても素敵なんですよ、と、美麗は艶やかに笑む。ちょうどその時、キッチンから彼女を呼ぶ蓮の声。パタパタと駆けていく美麗。
燈瑩は瞼を細めると、厨房で仲睦まじく調理をしている2人を見た。
─────違う気がするな。
「お待たせしましたぁ!こちら芹菜炒魷魚と蟹肉炒蛋、蘿蔔糕でしゅ!」
ニコニコといくつもの大皿を運んでくる蓮。こんなに食べられないよと燈瑩が破顔すれば、残ったら包むのでお土産にして下さいと楽しげな吉娃娃。歓談しながら卓を囲み、夜が更ける前に燈瑩は食肆を後にする。
帰り道、猫の携帯をコール。呼び出し音の間に逡巡。どう伝えるかな、そのままでいいか、納得してくれるかわからないけど───電話口で不機嫌そうに猫が鳴いた。
「喂ぃ」
「お疲れ様、城主。出前いります?お土産いっぱい持たされちゃって」
「いーから要件だけ言えよ」
これも要件なのだが。それじゃあ樹に届けてあげようか?さっき、‘戻ってくるかも’って言って【東風】出てきたし。じゃなくて本題本題…燈瑩は銜えタバコの煙を吸い込むと、吐き出しつつ告げる。
「違うと思うよ、俺は」
美麗の雇い主が【十剣客】と関連があるにしろ、彼女が携わっている訳では無い───つまり、間者では無いと。
静寂。それなりに長く続いた沈黙の後、猫はぶっきらぼうに呟く。
「あっそ。じゃいいわ」
「あれ?あっさり信用するね美麗ちゃんのこと」
「美麗じゃねぇよ」
一拍置いて、不機嫌な声音のまま続ける猫。
「燈瑩を信用してんの」
テメェがそう言うならそうなんだろ、今度【宵城】で好きなの飲んでけよ。その言葉を残して、電話は一方的に切れた。燈瑩は通話終了画面を暫く眺め────表情を崩すと、更けゆく街の喧騒をかき分けてのんびりと【東風】へ向かった。




