【十剣客】と貴州茅台酒
愛及屋烏6
‘捨てるのにオススメの場所リスト’の1点へ死体を転がして、一同は【東風】へ帰還。各々適当に一息いれる。
気怠そうに首をゴキゴキ鳴らし、薬棚下から年代物老酒の瓶を引っ張り出す猫。入り口の鍵を閉めながら見ていた東が何でそこに隠したのバレてるのといった顔をし、猫は何でバレねぇと思ったんだという顔をした。
「ちゅうか、さっきの奴なんで死んでん」
「見た感じ…毒かな?歯につけといて噛んだとか、普通に口に含んでたのかもだけど」
「なにそれ!漫画じゃん!」
上の疑問に唇の端を引っ張り答える東、大地がほんのりワクワクしたオーラで身を乗り出す。
「歯に仕込んだくらいじゃ致死量に届かない場合が多いけど、有り得ない事もないから」
東は指を離して顎を擦り、少し唸る。
最近見たネットニュース。どこかの諜報員が使っていた仕込み傘やカメラの埋めこまれた指輪、毒入り義歯などなど、少年がトキメキそうなスパイグッズの数々がオークションに出ていた。九龍にひしめき合う歯科医──資格の有無はさておき──にも、そういった素敵アイテムを作っている輩は居るし…あっ俺そういえば銀歯の被せ取れてたな。歯医者行こうかしら。‘誰かオススメの歯医者ある?’と、今回の襲撃には微塵も関係のない情報を矢庭に求める東。樹が眉を上げる。
「そこ前も取れてなかった?」
「取れた。タピオカで」
「東門路の歯医者なら3香港ドルだぜ、あそこのジジィ割と腕がいいぞ。すぐ抜きたがるけどな」
「え、それは安いね」
猫の言に燈瑩が反応。一番金銭問題と関係なさそうな奴が共感してる…と東は思ったが、それは言わずに歯医者の場所と名前をメモ。ついでにパソコンで件のオークションのニュースを検索、もの凄い勢いで食い付いてきた大地が液晶をガン見。どうでもいい会話を重ねる合間に猫は遠い記憶を掬った。
先程の男。あの太刀筋、どうも覚えがある。
「アイツ、【十剣客】な気がすんな」
「なにそれ」
「昔【黃刀】と対立してた流派だよ」
スクリーンから顔を上げる大地、彼方此方に旺盛な好奇心。
倭刀を主要武器とし、表立った活動はほぼしていない陰気な集団…と評すると言い方が悪いが、要は‘隠密’、兼ね兼ねよろしくない仕事を請け負ってきた一門。実戦での実力はそれなりだと聞いている───聞いているというのは、嘗て【十剣客】と対立していたのは本家の人間であり猫自身は数回程度の軽い手合わせしかした試しがなかったからだが…例の襲撃者を見た限り、なるほど、噂だけということもなさそうだった。
さりとて未だになにを根に持つというのか?もはや【黃刀】は消滅した、1人残っているといえば残っているけれど、今さら穿り返すなんて。ほとほと面倒な奴ら。
「負けたら死ぬって忍者かなんかなの?」
言いながら匠が豆沙餅を齧り、併せて横から覗き込んできた樹の口に糯米滋を投げ入れた。流れ作業。
「情報漏らしたくねぇんだろ。あとはまぁ…頭固ぇんだよ、昔っからそーだアイツらは」
猫は酒瓶の呑み口で側頭部をコンコン小突く。古風な集団、沈黙は金、なにより負けてスゴスゴ巣に帰るのは恥なのである。
「問題は【十剣客】がどっからわいてきたのかっつーこと」
ここの所、身の回りで起こった変化はひとつだけ。美麗。彼女の雇い主と組んでいる輩は【十剣客】では?逃げた美麗を探していたら【黃刀】の情報を先に掴んだ───と結論づけるのはポジティブ過ぎるか。まぁいい。猫が推察を上に告げると、饅頭は‘その線で当たってみるわ’と即刻携帯をイジった。
単身乗り込んできたならば仕事と関係の無い私怨の可能性が高い。【十剣客】には長年【黃刀】との因縁がある、正直逆恨みだが。あんな賑やかな場所で斬りかかってきたのもそのせいか?騒ぎにすれば噂が立つ、それが広まれば【黃刀】を取り逃がすこともない。どちらにしろ襲撃者個人の判断だろうけど…思案しつつソファの上で胡座をかき、頬杖をつく猫。
闘りたいなら闘りたいで堂々と来たらいい。【十剣客】は当時から先細りだった、十数年経った現在どうせ大した人数は残っていない筈だ。以前であれば‘面倒くせぇ’とトンズラする可能性は十二分だが、今や九龍城砦には【宵城】がある、城主が行方を晦ますことはないのだから────でも【十剣客】が知ってんのは過去の俺だしな。猫は酒を飲み干し新しい瓶に手を付ける、東がピィッと鳴いた。
あの女に訊きたいことが出来た。定休日は市場での買い物を手伝ってもらっているだのなんだの吉娃娃が言っていたか…【宵城】を空けておくのも芳しくないが…黙って酒瓶を揺らす猫を見て燈瑩が柔らかく声を掛ける。
「蓮君達、迎えに行ってこようか」
猫はチロリと視線を送った。本当に燈瑩は話が早い。
「気ぃつけろよ、一応。【十剣客】地味に強ぇぞ」
その言葉に、依頼の承諾を兼ねて頷きつつも肩を竦める燈瑩。
「んー、俺はあんま失くす物ないから」
「馬鹿か。失くすのはテメェじゃねんだわ」
「蓮君達のことはちゃんと護るよ?」
「そうじゃねぇよ」
その猫の返答に、燈瑩は数瞬固まり────それからフッと笑った。後で戻ってくるかもなどと言い残しのほほんと【東風】を出て行く。
「わかってんのかよ…」
「なにが?」
「なんでもねぇ」
独り言を耳聡く拾ってきた大地をあしらい、菓子をいくつか抓んだのち猫も酒瓶を手に出口へと足を向けた。上が携帯から目を離し背中に声を飛ばす。
「どこ行くん」
「いちいちオカンかお前は。しーごーと、【宵城】戻んの。まだ腹減ってる奴ぁ眼鏡になんとかしてもらえ」
「え?いいけど…冷蔵庫の余りでよければ…っていうか待って猫!!貴州茅台酒だけは、貴州茅台酒だけは置いていって!!」
喚く東に振り向きもせず猫は後ろ手でドアを閉める。暮れ泥む城砦。夕さりにそよ吹く風は、甘ったるい龍船花の香りがした。




