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九龍懐古  作者: カロン
愛及屋烏
238/492

春心と老獪・後

愛及屋烏5






刃を受けた(マオ)の身体が、5メートル程後方のテーブルと椅子に派手な音を立てて背中から突っ込む。


(うせ)やん」


(カムラ)が呟き、これでもかというくらいに目を見開いた。




フッ飛んだ。あの(マオ)が。




というか急過ぎる、状況が掴めない。騒動に気付いた他の面々や客達も音の方向へ視線を向けた。


「えっ何何何なんなん?喰らったん?」

「いや…喰らってない。多分、自分から跳んだんじゃないの」


オロオロする(カムラ)に落ち着いたトーンで答える(イツキ)、衝突の場面を見ていた様子。瓦礫から上体を起こした(マオ)の手には真っ二つになった酒瓶、斬撃をガードした跡。瞬時に手近な卓から拝借したものだろう。

(マオ)はつまらなそうな顔で瓶を見て、それから刀をたずさえる男を見た。唐突な奇襲───心当たりはない。無差別か?にしちゃあ回りくどいな、やっぱり狙いは俺か。こんなに人気(ひとけ)の多い場所で…(あったま)おかしいんじゃねーの…?通せんぼとか手口の古いナンパかよ。思いつつ、口を開く。


「お前が俺とヤリたいのはわかったわ」


パタパタと着物の埃を払って立ち上がり、瓶を投げ捨てると腰の脇差(わきざし)に触れ軽く居合の構えを取る。かったるそうに溜め息をつき、首を回した。


「こいよ。先イカせてやる」


(マオ)が纏う空気は非常に(ゆる)い、しかし───盤石。不意打ちとはいえ先刻の攻撃、この男もかなり剣の腕は立つ。体格も(マオ)より(ふた)回り以上大柄、得物は倭刀(わとう)。対する(マオ)脇差(わきざし)。ガタイに加えてその剣の長さも考慮すれば、リーチにだって相当な差が(しょう)じている…にも関わらず、男は斬りかかるタイミングを計りかねていた。(かも)し出すルーズな雰囲気に反し(マオ)には一分(いちぶ)の隙も無い。


数秒。十数秒。無言の時が経ち、観衆が固唾をのんで見守る中。




男の指が微かに跳ねた。




間髪入れずに踏み込む(マオ)(ほとん)ど瞬間移動に近い速度で眼前へ詰めると相手の刃に自分の刀の鞘を当て押さえこんだ。生まれた空白。半回転して足を振り上げ男の横っ面に上段蹴りをブチかます。スパァンと小気味良い音が響き、フロアへと沈む男。


宣言通り、相手の初動を待ったカウンター…ではあったが。(タクミ)が驚嘆の声を上げた。


「は?見えた?」

「ギリ」

「一瞬」

「全く」

(なん)も」


(イツキ)が目を細め燈瑩(トウエイ)は顎に手を当て、(アズマ)(カムラ)は頭をフルフル振った。


「はっや!っていうかアリなの蹴り(それ)?」

「別に(これ)で倒すつってねぇだろ」


大地(ダイチ)の抗議に(マオ)は舌を出す。確かに、剣術で勝負するとは一言(ひとこと)も言っていない。試合ではなくストリートファイト、ルール無用で(しか)るべき。ポンッと腿を叩く大地(ダイチ)(カムラ)が‘ゆうて今のはちょいちょいズルいで’とボソリ。


「で、お前はどこのどい…つ…」


(マオ)が改めて男に視線を落とすと何やら様子がおかしい。不自然な痙攣を何度も繰り返したかと思ったら、見ているうちにパタリと静かになった。(マオ)は膝を曲げると男の髪を掴み頭を持ち上げ───無表情で(アズマ)に手招き。


「へ?何?」

「こいつ伸びてるから担いで。(おめ)ぇわ」

「えぇ?起こしたらいいじゃない」

「いーからよ」


近付いた(アズマ)も隣に腰を下ろして男の顔を覗き───無言でその身体を背負った。テーブルと椅子を適当に直すと店員達へ詫びを告げる(マオ)、雑に札束を置き外に出るよう皆に(うなが)す。早足で店を離れる最中、大地(ダイチ)が男を指差し(マオ)に尋ねる。


「どうするの、その人」

「どうもしねぇ。どっか置いてく」

「置いてく?じゃあ何で持ってきたわけ?」


(タクミ)の問いに(マオ)は眉間に何本も(しわ)をこさえ、舌打ちし、声を潜めた。



「死んでっからだよ」

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