西営盤と赤柱
暑中見舞
「あれ?」
ラップトップを立ち上げた東は小さく声を出した。夜の街並み──どこかというと上海なのだが、それは置いておいて──に設定していたスクリーンセーバーが他の画像に変わっている。
このノートパソコンの所有者は東だが、東が所有権を所持しているわけではなく、そして使用権は誰にでもある。以前猫に待ち受けを変更されていたことを知らず点灯時にいきなり恐ろしい幽霊が表示された時は椅子から転がり落ちたが…今回は素敵な風景だった。ということはイジったのは猫ではないのか。いや、猫が毎度毎度悪戯──そう‘悪戯’──を仕掛けてくるという事もないが。無いか?本当か?まぁ、とにかく。
「これ誰か変えた?」
言いながら液晶を指差す東。月餅を銜えつつトコトコと近付いてきた樹は、懐かしそうに画面を見詰めたあと‘変えてない’と首を横に振る。横から覗き込んだ猫が、綺麗じゃん、とめずらしく褒めた。ピョコンと後ろに顔を出した大地も感嘆の声と共に同意。
あら?全員違うみたい。燈瑩ってこともなさそうだけどな。匠は前回パソコン点けてからまだ来てないし───…
と、大地の携帯が鳴った。上からのコール。出てみれば、なにやら【宵城】の前でずっと待っててんけどなどとポヤポヤ言っている。猫が‘忘れてた’と呟いた、買い物の手伝いを頼んでいた様子。
スタスタと【東風】から出て行く猫を大地が走って追う。樹はその背に手を振り…東は床に転がったいくつもの高級老酒空瓶を目にとめ、唇を横一文字に結んだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
菓子や日用品を山程買い出しに行ったのち。
またドタドタと他の仕事を片付けに向かう上を横目に大地はベッドへダイブする。【宵城】最上階、いつもの猫の自室、太陽の香りがする洗いたてのシーツ。
「俺も行きたいなぁ、海」
「暑ぃだろ」
ボヤく大地へ猫はパイプの煙を輪にして吐き出した。燦々と照りつける日差し。こんな炎天下、出掛けるなんて自殺行為じゃねぇか───思いながら窓の外を眺めている猫の側頭部に刺さる視線。顔を向けると上目遣いの大地、無言、‘連れてって’の圧。猫は一瞬瞼を下げてまた上げた。2度見。
けど樹を誘うのは今はまだアレだし、燈瑩と上も諸々バタついている…上の事はさっきパシったが。そうなると俺なのか。マジか。匠来ねぇかな?考える猫の甚平の裾を大地が摘む。
「あの写真のとこ行こうよぉ猫」
「やだよ面倒だし…1回中環出てそっから巴士で小1時間かかるぜ…」
近場ならワンチャン、と苦虫をしこたま噛み潰したような顔で答える。それを聞いた大地がキョトンとした。
「え、西営盤って電車で割とすぐじゃなかったっけ」
「あぁ?西営盤?東のスクリーンセーバーん場所の話だよな」
「うん」
猫は片眉を曲げた。言った。
「ありゃあ赤柱だろ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「…あっれぇ?」
パソコンの電源を落とそうとした東が、再び呟く。さっき直したはずの壁紙が戻っていたからである。何だろう?誤作動かしら?別にいいけど…この写真、爽やかな感じだし…。
「東、行かないの?」
「あっ行く行く。待ってぇ」
上着を羽織った樹に声を掛けられて、東はそのままラップトップを閉じる。今夜も蓮の食肆でみんなで夕飯、吉娃娃は相変わらず新作製造機だ。雑談を交わしながら店をあとにする2人。
明かりが消え誰も居なくなり、暗く静かな【東風】店内。
独りでに薄く光を放つ液晶画面。
カウンターの横に飾られているギターから、ポロンと小さく、柔らかい音が転がった。




