暗雲と督促状
青松落色1
ここのところ、スラム街では子供が消えている。
日々様々な犯罪が行われている九龍では老若男女を問わず頻繁に行方不明者が出るが、最近それが10歳以下の子供に集中しているのだ。
人身売買には子供はうってつけだ。さらうのが簡単だし、弱いので反抗や脱走される恐れもないうえ、小さいから場所もとらず、需要も全く衰えない。
だからといって片っ端から捕まえ四方へ売り飛ばすなんてことは誰もしない。裏社会には裏社会なりのルールがある。
残念ながら子供を守る為などという殊勝な理由ではなく、何十とあるマフィアグループが日々しのぎを削る中で互いのバランスを崩すような真似はするなといった意味合いのルールだが。
「厄介な事になんなきゃいいけどな」
煙草のフィルターを噛みながら呟く東を横目に、樹は幸運曲奇をかじる。
中から紙が出てきた。大吉。
「樹、気を付けろよ」
「俺?なんで?」
「いや小柄だし」
「10歳以下には見えないでしょ。あるとしたら大地じゃない?」
大地は樹よりふた回りくらい身体が小さい。
それでもさすがに一桁の年齢には見えない筈だが…さりとて、間違いが無いとは言い切れない。
上、胃が痛いだろうな。樹がそう考えたと同時に、ちょうど【東風】の扉が開き笑顔の大地と前屈みの上が入ってきた。
「東、すまん…胃の薬くれへん?」
胃が痛そうだった。
温かい白茶を淹れ、皆でテーブルを囲む。
膨大な数の漢方が並ぶ薬品棚から胃腸に効くものを出しつつ東が言った。
「あんまり心配し過ぎてんなよ。そこまでガキには見えねぇって、大地も」
「そりゃまぁわかってんやけどな…もう性分やねんこれは」
上はため息をつく。
ん?東、さっき俺に気を付けろって言ってなかったっけ?と樹は思ったが黙っておいた。結局みんな過保護なのである。
「それに人攫いがあんのはスラムだけだし、お前らの地域関係ねぇじゃん」
「そやけど、ようない話も聞くねん」
東の言葉に首を横に振る上。
いわく、やはりこの荒っぽいやり口を快くは思っていないグループがたくさんあり、街区関係なく九龍全体が水面下でギスギスしているらしい。
なんだかんだいって上は情報屋だ、この街の噂話を仕入れるのは早い。
「やってる人達が誰かはわからないの?」
訊ねる樹に、そこまではわからんけどおおかた新手のグループやろと上は答える。
確かにこの手のトラブルを引き起こすのは、一気に名を上げたい新興勢力の場合が多い。
九龍で長年やってる人間なら下手に軋轢を生みたくないもんな、と考えながら樹はもうひとつ幸運曲奇を割る。大吉。
ピコン。
携帯が光って、樹は画面を覗いた。猫からだ。
〈有冇東呀?〉
「ねぇ、猫が東居るかっ」
「居ないって言って」
樹の言葉にかぶせ気味で東が答えた。
わざわざ樹にメッセージがきた事とこの反応を見るに、どうやら東は猫を無視しているようだ。
またツケの支払いでも遅れているのかこの男は。
東はガサゴソとカウンターの下をいじって、酒瓶とパイプタバコの葉を取り出し樹に渡す。
「お願い、これ猫に持って行って。東に預かってたって。俺は居ないって言って」
樹は何も答えずそれを受け取った。横で上が呆れたような顔で見ている。
東が早めに出発して欲しそうな素振りをするので、樹は幸運曲奇の残りを大地に全部あげ外へ出た。
もうすぐ夕飯時だ。たまには猫とご飯を食べよう。
そう思い、夜の帳が降りつつある街の中を樹はのんびりと【宵城】へ向かった。




