憧憬と定離・前
倶会一処19
宗に拳銃を向けていた輩の上に飛び降りる。グチャ、と濡れた音がして男の頭蓋骨が陥没した。
「お兄ちゃん…!?」
驚く宗の腕を取り、手近な廃材の陰へと隠れしゃがみ込む。掴んだシャツに滲む血。
「宗、怪我したの?」
「別に。かすっただけ」
「見せて」
掌で押さえている肘辺り、服は赤く染まっていたものの傷自体は浅そうだ。樹は自分の袖を適当に破り宗の射創に巻いた。手当をしつつ状況を説明する。
「こいつら、元から取り引きする気なかったみたい。宗のこと片付けるって言ってた」
「何で知ってるの?」
「入り口で聞いた」
「なにそれ…っていうか何で来たの?」
「宗が危ないかと思って」
「関係ないでしょ」
「関係ある」
キュッと布の切れ端を結んで止血すると、樹は怪訝な顔をしている宗を見た。
「やめたほうがいい。一旦退こう」
「は?どこに退くの?お兄ちゃんの周りの人だって僕に不信感しかないんじゃない」
「そんなことない。戻れるから、まだ」
どうにか説得したい。踏み留まってほしい。その樹の気持ちに反し、宗は険しい表情で頭を振る。
「戻れないよ。戻れる訳ないじゃん、今更」
───戻れないというのは、【東風】にではなく。もっと…広い意味のような気がした。声音は憤懣に彩られてはいたが悲哀混じりで、樹は膝を抱える宗の背中へ手を伸ばす。それを振り払い宗が怒鳴った。
「僕の邪魔しないでよ」
再び灯る焔。
「邪魔するつもりじゃなくて」
「じゃあなんなの?ムカつくよ、ほんとに。お兄ちゃんがルートわけてくれんの?」
答えに窮する樹に宗はますます苛立ち声を荒げる。
「協力もしてくれなくて、言うだけ言って、自分はなんでも持ってるくせに。僕が今までどれだけやってきたと思ってんの?お兄ちゃんに何がわかんの?」
視線がぶつかった。まただ…また俺は答えを持ち合わせていない、宥める術がない…樹は眉尻を落とす。逡巡している間にも、宗の怒りは加速し亀裂は広がっていく。
「【黑龍】棄てて出てきちゃってさぁ、ズルいじゃん。だったら僕が本家に産まれたかったよ。そしたらこんなに苦労だってしなかったし、馬鹿にだってされなかったし、悔しい思いだってしなかった。お兄ちゃんが置いてきた物が、どれだけ僕が欲しかった物かわかってんの!?わかってないじゃん!!なのにこんな風に暮らしてさぁ!!」
捲し立てられ樹は口を噤む。言いたい事は色々あったが、どれもこれも形にならない。どうして上手く話せないんだ?こんな時に燈瑩だったら、猫だったら、相手の心を動かせるんだろう。適切な言葉を選べて、気持ちだって表現出来て、もっと───考えても仕方の無いことを考え胸の内で歯噛みする。
「俺は…宗の力になりたいけど…」
言いながら、響かないなと自分でも感じた。やり方もわからないのに?疎ましく思われているのに?俺には何が出来るんだ?たくさんの疑問が樹の脳裏に貼り付く。
宗は立ち上がりピストルを樹に向けた。
「なら、お兄ちゃん─────死んでよ。【黑龍】の息子の首なら何処に持ってっても良いお土産になるし。それで僕のこと、その椅子に座らせて」
全部ちょうだい。そう呟く瞳の奥で、恐ろしく高い温度で揺れる炎。1度点いたら消えはしない業火。
駄目なんだ。宗は俺が憎くて、妬ましくて、許せない。これから先も変わらないだろう。
だったら宗と敵対する?現に命をとられかけているんだ、やむなしか?いや。無理だ。そんなの。思考が樹の脳内をグルグル回り────
ふと東との会話を思い出す。
‘俺は…精一杯やれることやるかしら。最後まで。ちゃんと守れるように’
精一杯、やれること。
「宗」
樹は鼻先の銃口を通り越して、宗に視線を合わせた。
誰かじゃない。他の誰かなら上手く出来たのかもなんて、そういうことじゃない。ここに居るのは俺で。俺と宗で───だからこそ、伝えられることがきっとある。絞り出す声に感情を乗せた。
「もう1回…やり直そう。力になれる方法、探すから。俺を嫌っててもいい。恨んでたって何だっていい。もう1回だけ、チャンスをちょうだい。もう1回だけ…宗を守らせて」
ちょっと纏まりがなかったかな。伝えるのは難しい。どうしても下手なのだ、想いを言語化するのが。笑顔だって満足に作れない。
けれど、難しくとも下手でも、伝えるしかない。それが今精一杯やれることだ。樹は祈りにも似た気持ちで宗を見る。
食い違ってしまっても。
最後まで、諦めたくないから。
狂炎が微かに凪いだ。
「馬鹿みたい」
「…うん」
「頼んでないよ、そんなこと」
「…うん」
宗の科白に樹はただ頷く。沈黙が続いた。発砲音や怒号が轟く抗争の真っ只中だったが、全てはどこか遠くて、別世界の出来事のようにも聞こえる。
樹は静かに宗の答えを待った。もうどっちでも良かった。このまま宗の指がトリガーにかかって撃たれたって。思い直して願いを聞き入れてくれたって。
宗は俺の、弟だ。そして、兄とは……弟を護るものだから。
反発し合う視線が引き合った気がした。
宗が何かを言いかけ、下唇を噛む。刹那。
─────銃声が響いた。




