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九龍懐古  作者: カロン
倶会一処
219/492

蒼天と墨色

倶会一処11






「あーっつーい!!」


バスから降り立った(シュウ)が叫び、両手を頭上に(かざ)す。後ろをついて出てきた(イツキ)は中華帽を脱ぎ(シュウ)の頭にポスッとかぶせた。


「飲み物でも買おっか」

「炭酸がいい!炭酸!ジンソニックとか!」

(シュウ)、それお酒じゃない?」


早朝から、出掛けずにいるのはもったいないくらいに晴れ渡っていた蒼天。ジメジメした城砦を離れて九龍灣…というのも味気ないので、遊びに来たのは香港島最南端に位置する半島赤柱(スタンレー)中環(セントラル)からバスに揺られて終点で下車、1歩踏み出せばすぐに潮の香りが鼻をくすぐる海の町。昼からアルコールが飲めるオープンテラスのバーやパブも多く、通りは活気に満ち賑わいを見せている。


行き当たりばったりの外出で計画性はゼロ。建ち並ぶマーケットをチラチラ覗きブラブラ歩いた。雑貨やアクセサリー、シルク製品にレース、中国絵画、バスタブに浮かべる玩具(おもちゃ)、もちろん浮き輪や水着もある。

なんだか不機嫌な表情をした小さな招き猫の群れを見付けた(イツキ)は、着物を羽織った1匹を手に取りそのまま購入した。(マオ)への──絶対()らないとわかっているが渡したら渡したで飾ってくれるのもわかっているので──お土産だ。

その隙に(シュウ)は宣言どおり‘炭酸ドリンク’を買っていた。ジンソニックではなかったものの嘉士伯(カールスバーグ)、普通に啤酒(ビール)。お兄ちゃんも飲み物いる?と笑顔で訊かれ(イツキ)はショーケースから可樂(コーラ)を出しかけ…ひっこめた。酒、飲んじゃおうか。迷った末に藍冰啤酒(ブルーアイス)をチョイス。


ゆるい坂道をテクテクくだり海岸へ。雑談に次ぐ雑談。


(シュウ)は海とかよく行くの?んー、行く機会がそんなに…僕あんまり街中(まちなか)から出なくて…。俺もそう、港の方は結構行くけど。九龍灣?うん…あっでもこの前維多利亞港(ビクトリアハーバー)行った。え、双子のアヒル見に?1匹ペッチャンコに潰れてて双子じゃなかった。ヤバっウケる!帰りに香港散歩したよ、タピオカ飲んだり。じゃ今度は僕がお兄ちゃん案内してあげる、九龍案内してもらってるし!ありがと。


辿り着いたのは人の集まるメインビーチではなく、閑散とした住宅街沿いの浜辺。道中のコンビニで適当に選んだ2本組みの雪糕(アイス)を半分こし、靴を脱いで海へ向かうと水に足をつける。ひんやりした塩水が肌を包み(さざなみ)(すね)に当たって崩れていった。

青い空と海、白い雲、右手に雪糕(アイス)で左手には啤酒(ビール)。贅沢。(イツキ)は目を細めキラキラ光る眩しい水面を眺めた。ぬるいそよ風に頬を撫でられ思わず呟く。


「溶けそう」

「え?暑くて?」

「いや、なんか…空気と水に…」


フワフワとした感じ、まぁそれは、ちょっと酒が入っているのもあるか。

(イツキ)が言うと、(シュウ)は楽しそうに脚でパシャッと水を跳ね上げた。


「海に撒いてもらうのもいいかもね」



死んだらさ。



(シュウ)の言葉に(イツキ)は振り向いた。遠くを見詰める(シュウ)の瞳は何を捉えているのかわからない。それとも何も捉えていないのか。

どこか、なにかが、埋まっていない。そんな雰囲気を(シュウ)はふと感じさせる。

自分が欠けた部分を埋めるのだ、などという烏滸(おこ)がましいことを主張するつもりはないけれど…可能な限り寄り添ってはいたい。何が出来るという事も無いが。考えつつ(イツキ)は視線を戻して、海のむこうを見やり肯いた。


「俺もそうしよっかな」

「うん!そうしよ!」


嬉しそうに答える(シュウ)。約束!とはにかみ、雪糕(アイス)(くわ)えると空いた小指を出した。(イツキ)は自分の雪糕(アイス)一口(ひとくち)で平らげ、空けた小指をその指に絡める。(シュウ)が‘お兄ちゃん食べるの早’、とケラケラ笑った。


波打ち際で遊び、砂浜に転がり、露店で駄菓子を買い、他愛(たわい)もない話を繰り返す。和やかに過ぎる時間。夕陽が水平線の彼方へ落ちていき、オレンジ色に染まる世界はゆっくりと夜にのまれていった。






◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






「おかえり龍頭(ボス)


(シュウ)が家へ戻ると、すでに帰宅しベランダで煙草をふかしていた(ロク)に出迎えられた。(シュウ)はハンギングチェアに腰を下ろすと冷蔵庫から取り出した啤酒(ビール)を開ける。


(イツキ)とどこ行ってきたの、(シュウ)ちゃん」

赤柱(スタンレー)。めっちゃ暑かった」

「あら素敵」


頬を(ゆる)める(ロク)(シュウ)は‘そんなことより’とハンギングチェアを漕いだ。


燈瑩(トウエイ)サン何か言ってた?」

「言ってない。てか、言わないよ多分」


あの人そーゆー感じじゃんと(ロク)が口にし、(シュウ)はまた眉間にシワを寄せる。(ロク)は連日【東風】を訪ねていたものの特に誰も界隈のゴタゴタを気にした素振りは無し、皆いつもと変わらず接してきた。知っていて触れずにいるのではなく、燈瑩(トウエイ)が他の面子(メンツ)へ問題を話していない様子。それを聞き一息(ひといき)啤酒(ビール)を飲み干す(シュウ)


───気に食わない。気が付いたのならぶつかってきたらいいのに、あやすようなやり方しやがって。そう隠さず顔に出す(シュウ)へ、(ロク)一際(ひときわ)穏やかな調子で語り掛けた。


(シュウ)ちゃんさ…」


そこで一旦区切り、煙を吸い込む。ポウッと煙草の先端が赤く光った。


「このまま、(イツキ)と…仲良く暮らしたらいいんじゃね?」




空気が軋む音がした。




(シュウ)(ロク)()めつけ、(ロク)(シュウ)に首を向ける。視線は重なったものの、その温度には何千度もの差があった。


燈瑩(トウエイ)が対応してきたのはその為でしょ」


微笑んで、白煙と共に言葉を流す(ロク)。城塞のどこかから聴こえてくる二胡の音色は今日も物悲しい。これは…二泉映月。‘二つの泉に映る月’。やり場のない心境、そして、光と憧れを表現した曲。

(ロク)が耳を傾けていると啤酒(ビール)の缶をクシャッと潰した(シュウ)が、冗談。と吐き捨てる。


「許せないよ」


低く宵闇に響く声。落ち着いたトーン、しかし激しく燃える炎のように熱を(はら)んでいる。


「そんなの今迄の僕が許さない。【黑龍】がどうとか誰がどうとかじゃない。僕が、僕を許せないんだよ」


香港の裏通りで膝を抱えて過ごした自分が。食べるものも無く力も無く、なにも無かった自分が。独り(ほぞ)を噛み夜を明かした自分が。どんな手段を使ってでものし上がってやると誓った自分が。何もかもを踏み台にしてきた自分が。家族を、世間を、全てを恨んでいた自分が。そうして、積み上げてきた自分が、生きてきたこれまでの自分()が───自分を許さないのだ。


「使えるモノは全部使う。最初から言ってるじゃん。なんで今さらそんなこと訊くの?」


焔が揺れた。揺れたのは多分、(シュウ)が気付いたから。(ロク)との目的の相違(・・・・・)に。


(ロク)は僕の…邪魔するの?」


邪魔をするつもりは無い、(ロク)は思ったが、(シュウ)にとっては同じだろう。眉を下げ答える。


「俺は(シュウ)が心配なだけ」


余計なことなのかも知れない。かも、ではない、余計だ。(ロク)とてわかっている。それでも言って聞かせるのはやはり───ここで、(シュウ)を止めない自分を自分が許せないから。

(シュウ)はきっと何人(なんびと)とも相容れない。けれど、もしかしたら…(イツキ)となら上手くいくかも知れない。‘兄弟’なのだ。他人とは違う。繋がりを見付けてやりたい、その為に九龍に来た。


(シュウ)の返答は無い。月が(かげ)り、暗闇が表情を隠していく。


「ちょっとだけ考えてみてよ。な?」


言いながら(ロク)はもう1度微笑み、夜に溶ける墨色(すみいろ)(シュウ)の髪をクシャッと撫でた。

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