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九龍懐古  作者: カロン
倶会一処
216/492

偽言と我が儘

倶会一処9






「お、っ…疲れ…様、です」


燈瑩(トウエイ)が自宅玄関の扉を開けると(カムラ)がハァハァと肩で息をしていた。九龍城砦の建物にはいかんせんエレベーターが無い。燈瑩(トウエイ)の家は最上階、階段を登るのは──特に(カムラ)にとっては──非常にいい運動。ごめんねといつものごとく謝る燈瑩(トウエイ)(カムラ)もいつものごとく、全っ、然、大丈、夫、です、と全然大丈夫じゃなさそうに答えた。


「どうだった?街のほう」

襲撃し(タタい)たんはその辺のチンピラぽいんやけど…指示役がちょぉわからんすね…」


テイクアウェイの珈琲(コーヒー)を啜りつつ、界隈の噂について話し合う。


これは燈瑩(トウエイ)の取り引きの埒外(らちがい)なのだが、最近潰れたルートにまつわる1件が気に掛かっていた。内容としては、管理していた少人数のグループが全員()られただけの日常茶飯。妙なのは、浮いたルートの行き場が無くなり、手近な半グレがさしあたり貰い受けて治める方向になったこと。

変な事件だ。こういった衝突が起きるときは大抵、誰かが何かを‘奪いにくる’時である。命だったり商品だったりルートそのものだったり様々だが、今回は怨恨で殺された訳でもなくブツが()られることもなく、ルートも手付かず。最終的な狙いが不透明。

そしてほどなくして、また別件で路上に転がった死体。それが実行犯達だったというのが(カムラ)が突き止めた事実、しかし、そこから先の情報は掴みかねていた。


(あいだ)にまだいくつかクッション挟んでるね。慎重派だなぁ」

「目的はなんなんすかね」

「んー結局はルートだと思うけど。大元(おおもと)は…新規で治める事になった半グレの周り…の、横じゃなくて、斜めくらいの遠さに繋がってる奴ら。とかかな」

「えぇ?えらいわかりづらいねんな」

得意(・・)なんじゃない?そういうやり方が」


死角からジワジワ忍び寄って絡め取り、標的にされた獲物は気付いた頃には絞め上げられている…まるで蛇のよう。


「あとは花街んあたりでバタついとった奴らすね。さっきん襲撃(タタき)とはちゃうし、もう居なくなっとるんやけど」

「なに取り扱ってた人達?」

「フツーに女っす。風俗斡旋」

「じゃあ柴灣(チャイワン)と、蘭桂坊(ランカイフォン)だ」

「え?なんで知っとるんですか?」


(カムラ)が喫驚する。燈瑩(トウエイ)の推測通り、(カムラ)も香港の柴灣(チャイワン)及び蘭桂坊(ランカイフォン)付近のチームが絡んでいるらしいとのネタをストリートから仕入れていたからだ。


「なんとなく」

「うわ、絶対嘘!なんや裏付けあって喋っててんわかっとりますからね!」

「裏付けってほどじゃないよ」


わぁわぁ言う(カムラ)燈瑩(トウエイ)が笑う。(しば)し歓談したあと、(カムラ)は、(イツキ)の弟ん事ですよねと控え目に口にした。今はまだ何とも、と返す燈瑩(トウエイ)


「でも、(カムラ)に頼みごとしようかな」

「…良ぉないんすか?やっぱ」

「んーん。ただの保険」


気まずそうな表情を見せる(カムラ)燈瑩(トウエイ)は微笑む。


動くのは何かを起こす為ではない、何も起こらないようにする為だ。何も起こらなければそれが1番いい。平和であって欲しい───せっかく会えて、(そば)に居られるのなら。燈瑩(トウエイ)は仲良く夕飯を頬張る(イツキ)(シュウ)を思い返す。

まぁ、けど俺も、差し出がましいかな。大概お節介だ…どうも()らない気を回してしまう傾向にある…そう思い1人で目尻を下げる燈瑩(トウエイ)、それを見て(カムラ)は不思議そうにポケッと首を傾げた。






◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






「だからさぁ、(ロク)は気にしぃなの。そんなん義理立ててもどーしようもないっていうか」

「そっか」

「あと、僕に‘酒飲み過ぎ’ってウルサい」

「そっか」


昼下(ひるさが)り、鶏蛋仔(エッグワッフル)を食べながら裏通りを歩く兄弟。


詳しい内容は訊いていないが、(シュウ)は最近(ロク)と揉めごとがあったらしい。プンスカしつつ、チョコ味もちょうだい!と(イツキ)の右手にあるワッフルをモシャモシャ(かじ)る弟。兄は好きなだけ(かじ)らせた。それが兄の役目だ。


「でもさ、優しいんだね(ロク)

「優しい?メリットも無いのに、優しくしたって意味ないよ」


(イツキ)の言葉に(シュウ)は首を横に振った。そんなの自分が損するだけ、とボヤき、合理的な弟はパクパクとワッフルを平らげる。不機嫌。

イライラするときは甘い物…これで(シュウ)が落ち着いてくれたら…(イツキ)は左手の抹茶味も(シュウ)へと差し出した。


(ロク)はわかってないよ。‘気持ち’なんて1番役に立たないってこと」

「そうかな」

「そうだよ。それで幸せになれるんだったらこの世に不幸な人いないよ」


それは正しいのだが。気持ちで物事はどうにかならない、けれど、だからといって気持ちがまったくの無駄な訳じゃ───(イツキ)が考えていると(シュウ)が顔を覗き込んできた。


「…お兄ちゃんは、いいよね」

「え?」


いいとは?良いなのか?はたまた、羨望?(イツキ)(シュウ)を見詰め返す。瞳の奥で揺れる炎。いや、これは。


「それって───…」


と、(イツキ)が聞き返すよりわずかに早く、路地の奥に男が姿を現した。


刃物を(たずさ)えてこちらに向かってくる。突然の出来事だったものの、(シュウ)を押して自分の後ろに下げた(イツキ)は男のナイフをいなしそのまま顎にクロスカウンターを決めた。倒れ込んだ男の顔を見た(シュウ)が眉根を寄せた気がしたが、視界の端にもう数人走り寄ってくるチンピラの姿が入りそちらに向き直る(イツキ)


なんだこいつら、いきなり襲ってきて?(シュウ)(ロク)に出会った日に(たお)したヤツらの仲間か?にしては報復が遅いな、もうあれからだいぶ経っている。けど他に思い当たる(ふし)も無いし────あれこれ考えつつ、跳んだ。


一瞬、男達は(イツキ)を見失う。


フレームアウトするほどのハイ・ジャンプ。コンマ数秒後には、空中で回転した(イツキ)が男の1人の脳天に踵落としをブチ込んでいた。呻く間もなく倒れていくその背中を踏みつけると、間髪いれず隣のチンピラの側頭部に蹴りを食らわす。それから地面に降り立ち軽くしゃがむと反対側の輩の顎を蹴り上げた。次々と突っ伏す男達。

離れた位置に居た人間が拳銃を取り出したので(イツキ)は躊躇いもせず瞬時に距離を詰めた。飛び道具に頼るタイプは急に懐に入られると──燈瑩(トウエイ)あたりはまた別なので置いておいて欲しいが──弱い。照準が外れ焦る男、その視野からまたしても(イツキ)が消えた。今度は下。足払いをかけ男を転がし顔面を思い切り蹴り飛ばすと、ギュゥと変な悲鳴がした。


これで4人…違うな、最初のナイフのヤツも入れて5人か。(イツキ)(シュウ)を振り返った。


ら────(シュウ)は、拾ったナイフでサクッと男の首を掻き切っている所だった。


「え、(シュウ)()ったの」

「こいつウザいから」

「知り合い?」

「知らない」


強めな声のトーン。先ほどの態度といい、どうも、知り合いだというニュアンスのような気がしたが。


(イツキ)はとりあえず、襲撃の理由を尋ねるため自分が沈めた男達を叩き起こそうと顔を見て回った。すると(シュウ)がちょろちょろついてきて、あれよあれよというまに全員の頸動脈を()(さば)いた。目を丸くする(イツキ)


(シュウ)…ちょっと、あの…早いよ…」


というより、見た目にそぐわぬ容赦の無さに驚きを隠せなかったのだが、雰囲気に気圧されそれしか言えなかった。

だってウザいんだもん、行こ、お兄ちゃん。と(シュウ)(イツキ)の手を引いた。現場は凄惨、死体も放ったらかし。他に仲間が居るかもわからない。しかし(シュウ)は‘大丈夫だから’とズンズン歩いて行ってしまう。


───やっぱり知り合いなんじゃないのか。狙われたのは俺ではなく(シュウ)なのかも…?思案する(イツキ)の耳に(シュウ)の声が届く。


「…訊かないの?」


視線は、前へと向けたまま。(イツキ)の手も引いたまま。(イツキ)はその後ろ姿を見詰めて答えた。


「知らないんでしょ」

「嘘かもよ」

「別にいいよ」


その科白(セリフ)(シュウ)が立ち止まって振り返り、自然に(イツキ)も立ち止まった。何かを言うつもりでは無かったが、(シュウ)が黙ったままでいるので(イツキ)は言葉を探した。


「えっと…別に、嘘でも…言いたくないならいいし…俺は、(シュウ)の側につくよ。守りたいほうを守りたいから」


言ってから、(まと)まりがない上にかなり()(まま)な発言だなと自分でも思った。思ったけれど仕方がない。今さら正義なんて語れたものではないのだ。


「ふふっ!やっぱり、お兄ちゃん大好き!」


(シュウ)がクシャッと顔を崩す。無邪気な表情。その反応にホッとして、(イツキ)も慣れない笑顔を──おそらく相当ぎこちなかったが──作り頷いた。

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