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九龍懐古  作者: カロン
倶会一処
210/492

ギターと被害額

倶会一処4






「お疲れぇ」


夜も更けた頃、【東風】の扉を開き(タクミ)が顔を出した。後ろには(ネイ)もついてきている。


「あら?大荷物じゃない」


(タクミ)が抱える謎の袋を見やり(アズマ)が言えば、(アズマ)さんって楽器弾けますか?と(ネイ)


「これ、廃品で見つけたんです。捨てられちゃうの、もったいなかった、から」


いそいそと(ネイ)が袋から取り出したのは古ぼけたギター。ところどころ塗装が()げボロくなっていたが、弦はしっかり張られそれなりに立派だ。顎に手を当てる(アズマ)


「弾けないけど…このまま飾っとくのも宝の持ち腐れね」

「そしたら近所の爺さんとこ持ってくよ」


(タクミ)がコンコン木枠を叩く。九龍城では老人会で音楽を楽しむ人間も多い、サックスからタンバリンまで嗜む楽器も様々だ。

(アズマ)は首を回し、ソファで酒瓶を(あお)っている(マオ)と煙草を燻らす燈瑩(トウエイ)に話を振った。


(マオ)弾ける?」

「弾けねぇよ。馬頭琴(ばとうきん)しか」

燈瑩(トウエイ)は?」

「んー…二胡(にこ)なら…」

「伝統的ねお前ら」


(イツキ)は弾かないのと(タクミ)に訊かれ、楽器イジってんの見たことないなぁと腕を組む(アズマ)。本日も兄弟は揃ってお出掛け中、帰りは遅くなるらしい。

んじゃ爺さんに持ってくかと袋を被せる(タクミ)、と、後ろで再び開く入り口のドア。


「やってるー?」


チャラけた挨拶と共に(ロク)が店内へ入ってきた。数歩進んだところでボフッ、となにかが腹の辺りにぶつかり視線を落とす。(ネイ)だ。


「わっ(ネイ)ちゃんごめん!見えなかった!」

「だ、大丈夫です…私が小さいから…」

(ロク)お前それセクハラだぞ」

「やめて!?女の子は大好きだけどね!?」


ケタケタ笑う(マオ)のセリフに慌て、(かが)み込んでペコペコ(ネイ)へ謝る(ロク)。ふと足元の袋に目を留める。


「なにこれプレゼント?」

聖誕老人(サンタ)かよ」

「あ、えっと、ギターです」


またぞろ喉を鳴らす(マオ)(ネイ)がギターを少し引っ張り出した。(ロク)さんは音楽お好きですかと問えば思い掛けない返答。


「アタイは古典音楽とかで…十面埋伏が好きかな、古代歌曲の系統もだけど。でも普通にCPOPもいいね。週末はSOHO(ソーホー)のバー、けっこう行ってる」

「え?すげぇ、詳しいじゃん」

「ほんのちょっと。お褒めに預かり光栄♪」


(タクミ)は驚くも、それより、興奮していたのは(ネイ)だった。ワクワクした表情でR&Bは?クラブミュージックはどうですか?と、立て続けに質問を投げる。


「EDMも聴くけどやっぱカントリーが落ち着くのよ。田舎育ちなもんで」

「カントリー…は、あんまりわかんなくて…どんな感じなのかな…」

「そうね、どんなんかってぇと」


(ロク)はギターを指差した。


「弾こうか?」

「弾いてください!!!!」


店内に響き渡った声に、一瞬、時が止まる。


その声量に誰よりも唖然としたのは発した(ネイ)自身。ハッとして、ごめんなさいとみるみる縮こまる姿に(ロク)は破顔。そんなに()っこくなったら居なくなっちまうぜ?そもそも小さいんだからと頭を撫でた。

それからギターを手に取り、上手(うま)かないけどと前置きして弦に触れる。


どこか懐かしいカントリーミュージックが聴こえ出した。前奏、Aメロ、Bメロ。サビに差しかかると(ロク)は軽く歌詞を乗せた。柔らかく優しい声と音色。(ネイ)は真剣に耳を傾け、食い入るように見詰めている。

歌が終わり、もう1曲!もう1曲!とねだる(ネイ)(ロク)は‘何曲でもどうぞ’とリクエストに応える。その様子を見た(タクミ)(アズマ)に無言で指を振り、‘ギター(これ)東風(ここ)】に置いといていい?’と合図。(アズマ)は唇の端を上げた。



しかし、随分と賑やかになってきた…口角を上げたまま店を見回す(アズマ)(シュウ)が突然現れてからこっち、ただでさえ溜まり場と化していた【東風(みせ)】には余計に常時の滞在人数が増えている。もはや1日の中で(アズマ)1人──ないし(イツキ)と2人──の時間は皆無といっても過言ではない。

携帯の画面が光り、(アズマ)微信(チャット)を確認した。(イツキ)。〈何か買って帰る?〉との連絡に、〈みんな居るからつまめる物〉と返す。まぁ後で(レン)に出前を頼んでもいいか。食肆(レストラン)まだやってたっけ、やってなくても吉娃娃(チワワ)は二つ返事で持ってきそうだな。

そんな事を考えつつ液晶を眺めていたので、(アズマ)(マオ)が棚から秘蔵の高級老酒を取って開栓したのを見逃した。被害額数千香港ドル。




音楽は城塞の夜に心地良く溶けていく。穏やかにのんびりと過ぎる日常の上────湿度の高い風が、ゆっくりと、分厚い雲を運んでいた。

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