橡皮鴨と珍珠奶茶・後
日々好日2
「猫、マーオ」
2時間ほどして。
殺人的だった陽射しもいくらか落ち着き、アヒルや期間限定ショップを堪能した大地が猫を揺り起こす。隣には、雪糕車のアイスを頬張る樹。寝惚け眼をこすりながら満足したかと猫が問えば、大地は大量に撮った写真と双子アヒルのフィギュアを両手で掲げた。貼られた値札、500香港ドル。
「えっ!?そこそこするわね」
「燈瑩に小遣い貰ってんだろ」
手のひらサイズのアヒルを見詰め驚く東に、猫が欠伸をしつつ返す。貰ったけど、ちゃんとお仕事手伝ったもん!と大地は得意気にした。東がコッソリ樹に耳打ち。
「何手伝ったの?」
「バースデーイベントやってた飲み屋のお姉さんに花たくさん買って届けた」
「最好」
シシッと笑う東だが、俺も大地に花摘んできてもらおうかなと樹が呟くとそれは駄目だと全力で拒否。大地のセンスは悪くないと思うけど…と不思議そうにする樹の肩を東は叩き、猫の用事済ませに行きましょ!と話題を逸らす。察した猫に脛へ蹴りを入れられた、青痣。
それからショッピングモールで菓子を物色。猫はいつもの如く新作を片っ端からカゴに放り、会計を終えると破茶目茶な量の荷物を東の肩へハンガーラックさながら引っ掛けた。ピィピィ鳴く東を無視して外を見やれば高層ビルの谷間に沈んでいく夕陽。散歩にはいい頃合いか…樹へ視線を戻す猫。
「で?タピオカ?彌敦道だっけ」
「うん。尖沙咀のお店と、佐敦と油麻地の間のお店と、旺角のお店に行きたい。旺角は2軒」
「……あ、そぉ。じゃ尖沙咀から歩くか」
予想外に多い樹の要望に一瞬黙りはしたものの、特に文句をつけるでもなく案を出す。東は、俺が同じ事を言ったら維多利亞港に投げ込まれるなと思った。
MTRを使い一路尖沙咀へ。壁にデザインされたアヒルのアートを撮ったり自販機で檸檬茶を買ったりしながら地下鉄駅を抜け、観光客でごった返す彌敦道を歩く。
ここ最近、やたらと日系の飲食店や雑貨屋が増えてきた。流れる陽気な音楽と歌詞に樹が振り返れば、‘赤い帽子をかぶった青いペンギンが目印の黄色い店‘が視界に映る。カラフル。隣接しているラーメン屋は匠が気になると言っていた新店だ。チラシを1枚取ってポケットへ入れた。
「樹、タピオカどの辺?」
訊ねる大地に樹はスマートフォンのマップを広げる。と、ピコンと届くニュースの通知。
〈拜拜橡皮鴨二重暢!香港にお別れ!〉
「あれ?もう撤去してる」
樹の声に皆で画面を覗き込む。映像には悠々と維多利亞港を凱旋するアヒルが暫く映ったあと───空気を抜かれてシナシナになった平べったい塊が2つ、貨物船で運ばれゆく様が捉えられていた。
「展示、2週間やるって話じゃなかったか?まだ1週間しか経ってねぇじゃん」
「あっぶな!今日見に来て良かったぁ」
猫の言葉に大地が笑う。ラッキーね、と東も口角を上げた。なにせここは香港、九龍城塞ほどではないにしろスケジュール通りに物事が進むほうが珍しいのだ。
適当な会話を重ねつつダラダラ歩き、1つ目のタピオカティーを入手。立て続けに2つ目も片付け、お次は3つ目。
日が落ちた街を様々な電飾が彩り始める。彌敦道は香港屈指の綺羅びやかな大通り、所狭しと生える看板、あちらこちらへ無造作かつ無秩序にくっつけられたネオンサインは雑多でカオスなこの国の象徴。
そんな景色を横目に、タピオカをモグモグと口に含みつつ小難しい顔の樹。気付いた東が首を傾げる。
「どした?」
「…このタイプは、苦手…」
「えっ!?」
樹に嫌いな食べ物があったのか。あからさまに驚く東へそうじゃないと答え、樹は手に持った紙製の容器を指差す。
「入れ物が透明じゃないと中身が見えないから、最後に残ったタピオカが狙いにくい」
「なるほど」
そういえば以前に別の場所で買ったタピオカティーの容器もプラスチックではなく紙だったことがあり、その際樹はストローの穴からタピオカを覗いては吸い覗いては吸いしていた。蓋を全部剥がせばいい事ではあるが…何かこう、流儀に反するのだろうか。東はストローで黙々とタピオカを狙う樹を見守った。
たわいもない話を続け、4つ目。本日の最終目的地。
ただの紅茶をオーダーする猫だが、大地が‘タピオカ食べなよ’と勝手にトッピングを追加。なんだかんだ全店舗でこれをやられている、しかも今回は ‘ラストだから’と仙草ゼリーまでブチこまれてしまった。マシマシの具材を無表情でモチャモチャ噛む城主。
結局押し切られるんだから最初から注文したらいいのに…そう思った東がニヤニヤすると脛へ蹴りを入れられた、青痣。
「あっ!アレ乗って帰ろうよ!」
道路沿い、瞳を輝かせた大地が示す先にはルーフトップバスが停まっていた。香港中をグルッと回る観光用、九龍付近も通り道だ。どうやらちょうど乗客を待っている様子。
4人は車体に走り寄って──正確には走ったのは3人、猫は気怠そうにノロノロ歩くので大地が一生懸命手を引っ張り連れてきた──2階席へと乗り込む。
車が発進すると、すぐに感じる心地良い風。ビルのそこかしこから道路へと突き出た看板が頭上スレスレを通り過ぎていく。華やかで騒々しい摩天楼、立ち並ぶ高級ブランド店、行き交う的士…九龍城とはまた違う景色。
樹は上を向き、ネオンサインへと腕を伸ばした。指先が触れそうになり手をパタパタさせていると大地も真似して背伸びをし始める。肩車してやろうか?と東が脇の下を掴み持ち上げれば、やめてよ!危ないじゃん!とキャッキャする最年少。楽しげな時間と共に車はゆっくり巨大な要塞へ。
バスを降り、魔窟へと足を向ける一同。名残惜しそうな大地の頭を‘またみんなで来よう’と言いつつ樹が撫でる。大地は無邪気に笑って、パンッと手を鳴らした。
「ねぇ、蓮のとこで夜ご飯食べよ!」
「あぁ?大地腹減ってねぇだろが、あんだけタピオカ食っといて」
「だってまだ帰りたくないんだもん!それに甘い物は別腹でしょ?ね、樹!」
「叉燒麵食べたい」
「樹はそりゃそうだろ…んだよ、蓮ちゃんと酒仕入れてんのか?」
「あら、猫にゃん来るんだ。優しいわね」
ため息をつきつつ承諾する猫に東がニヤニヤすると脛へ蹴りを入れられた、そろそろ骨が折れる。
仄暗い九龍城に響く明るい笑い声、まだまだ終わらない和やかな1日。鞄から顔を出している双子のラバーダック達も、コロコロと、満足そうに寄り添っていた。




