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九龍懐古  作者: カロン
焦熬投石
193/492

雨脚と‘とりあえず’

焦熬投石6







スラム街、人気(ひとけ)のない廃倉庫群。(タクミ)がそのうちのひとつのボロい扉を開けると、中に居た男達の視線が一斉に集まる。


「お疲れ」


無意味な挨拶をして室内に入り、(タクミ)草臥(くたび)れたソファへ座った。スプリングが軋みギッと悲鳴を上げ、それに被せて男の1人が唸る。


「お疲れ、じゃねぇだろ(タクミ)。最近顔出さねーで何してんだ?」

「なにも…家で曲イジったり…」


興味がなさそうに煙草を燻らせる(タクミ)へ男は舌打ち。面白くねぇとボヤく。


「金作ってきたのかよ」

「きたよ。ほら」


言って、(タクミ)はポケットから取り出した札束を雑に投げて寄越す。受け取りながらも不満を隠さない男。充分(じゅうぶん)な額にもかかわらず物足りなさを(あらわ)にするのは、山茶花(カメリア)(さば)いていた時の売り上げに比べてしまえば格段に量が減っているせいだろう。


(チェン)(ウー)が死んじまったからな。いいシノギだったのに」


そう不平をこぼす男へ曖昧に相槌を打ち、(タクミ)は吸い殻を揉み消した。男達は各々稼ぎをテーブルに置くと総額を数え始める。


昔からこう。皆で稼いだ金を持ち寄って暮らしてきた───今までは。誰かが稼げなければ他の誰かが稼いで、全員で全員の食い扶持(ぶち)を繋いで、助け合って。10年近くそうしてきて、それなりに上手く行っていた。

しかしいつの間にか目的は生活から征服へと変わり、気が付けば皆の心の内には野心めいたものが芽生えはじめ。幅を利かせる、名を轟かせる、このスラムを仕切る…メンバー達はそんな思いを抱くようになっていた。


ただ1人、(タクミ)を除いて。


分け前がいくらだろうがどうでも良かったので、(タクミ)は窓ガラスにノロノロと流れていく水滴を目で追った。雨がパラつきだしている。天気、()たなかったな。傘持ってねぇや。外を眺める(タクミ)の耳に、そういや、とつまらなそうな男の声。


「さっき合益楼ら辺でプッシャー共が()られたってよ。よく雅華のクラブに居た奴ら」


‘他の売人を襲撃しに行ったらしい’と渋面(しぶつら)。メンバーが口々に詳細を尋ねる中、黙って新しい煙草を(くわ)える(タクミ)



さっき、プッシャー、合益楼ら辺。

包丁の刺さった頭。


──────見知った顔。



「いいルート持ってるディーラーが居るっつうからちょっかいかけたら、返り討ちにされたんだと。運が悪かったな」

「けどアイツら嫌われてたし、死んでも誰も気にしないだろ」

「死体ゴロゴロ転がってたってよ。全部、頭カチ割れてさぁ」

「いい気味じゃん」

()った相手はわかんねぇの?」

「全員死んでて目撃証言がねーから。売人の情報も個人で手に入れたっぽくて、周りの奴らも知らねぇって。儲かるなら俺もタタきてぇけど」


その発言に男達は便乗、金の匂いに目をギラつかせる。お前も‘ネタ’探してこいよと顎をしゃくられた(タクミ)は、ライターを着火させつつ静かなトーンで言った。


「…よくない?そんなに金、無くても」


その台詞に場の空気が怒気を(はら)む。


「今でも充分じゃん。タタいたり人身売買(トバ)したり、なんでもかんでもやり過ぎじゃね」


ピリついたムードの中、淡々と続けた。しかしそんな意見に納得する者なんてここには居ない。わかっていて口に出したので、今にも血管がブチ切れそうな男に拳銃を向けられても(タクミ)は別段焦りもしなかった。


「なに日和(ひよ)ってんだ?」

「オメェらこそなにガッついてんだ」


馬鹿にした口調の男へ呆れ気味に返答する(タクミ)、その態度がますます神経を逆撫で。睨み合い。3対1で分が悪いが、(タクミ)とて退()くような性格ではない。


わかってはいる。幼少の頃から必死に足搔いて、時に(しいた)げられ、辛酸を舐めてきた。世の中に向けた鬱憤を、見返してやるのだという気持ちを、理解し(わかっ)てはいる。…けれど。


(しばら)くして、男は銃を降ろすと‘帰れよ’と一言(ひとこと)。言われなくてもそうするつもりだったので、(タクミ)(きびす)を返し部屋を出て行く。背中を向けたら撃たれるかなと思ったが、とりあえず大丈夫だった。


─────とりあえず、まだ。


外に出ると雨が頬を濡らす。雲翳(うんえい)。ポケットに手を突っ込んで薄暗い城塞を歩く。

煙草が湿気(しけ)(しお)れはじめた。(タクミ)は帽子を目深にかぶり直し、元気のない紙巻きを深く吸い込む。かすかに熱を取り戻す枯れ草。白煙を空に溶かす。






雨脚は少しずつ、激しさを増していた。

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