晏晝と肉切り包丁・後
焦熬投石5
ドタドタ近付く足音に喚き声、相談している暇は無さそうだ。
東は小麦粉の袋を開けると回転させながら路地へと放った。細い通りが一瞬真っ白に煙り、簡易的な目眩ましの役割を果たす。その隙に壁を蹴って飛んだ匠が手前の男の脳天に踵落とし、倒れ込む背中を踏みつけて更に跳躍し間髪入れずもう1人の顎に膝を喰らわせる。
だが、浅い。追撃が要る───着地し数歩退がった匠が思うやいなや、顔の真横を抜けて背後から煉瓦が投擲された。崩折れたチンピラどもの頭に命中、突っ伏し沈黙する男達。
「おっ!ナイスフォロー!」
匠の賛辞に、煉瓦を放った東が壁の影から半分だけ顔をのぞかせサムズアップ。めちゃくちゃ隠れている。と、初手でビール瓶をお見舞いされた男が追い付き、間近まで迫ってくると再度ピストルを構えた。
匠は買い物袋から今しがた買った中華包丁を抜き、それをいなす。銃口から吐き出され曇天へと吸い込まれる鉛玉。そのまま瞬時に手首を捻り男の鼻っ柱に包丁を突き立てるとドチュッと湿った音、男は大の字になり天を仰いだ。
とりあえず全員が地面に沈んだと確認した匠が、中華包丁を目前の死体の頭から回収しようとして持ち手を掴み─────コンマ数秒、動きを止める。
「どした?」
「……いや……思ったより深く刺さってて、抜きづらい」
東の問いに答えつつ柄を引っ張ると、スコンと抜けた刃先から血が滴った。続けて匠は落ちていた銃を手に取り、未だ起き上がらない残りの2人の後頭部に1発ずつ弾丸をブチ込む。躊躇いの無さにわずかに驚き、声を上げる東。
「え?即全員殺るの?大胆ね」
「うん。死人に口無しっつーじゃん」
あまり抑揚なく返して、匠は包丁の汚れを物言わぬ男のシャツで拭いた。ヌメッとよくわからない液体が刃全体に滑る。
「包丁…蓮怒るかな…」
「洗えばいいんじゃないかしら、多分」
通行人が来る前に2人は路地裏を離れ食肆へ。現場をそのままにしてしまったが、見てた奴もツレも居ねぇし大丈夫だろと匠が言うので東は素直に従った。
食肆に到着後、トラブルに遭い小麦粉とビール、そして包丁を使ってしまった旨を伝える東と匠。お怪我はありませんかと慌てる蓮は若干赤黒くなった包丁に目を留める。謎の汁もオマケでうっすら付着。
「あの…コレで、肉、切っちゃって…悪ぃ」
上目遣いで、うかがうように匠が謝る。そもそもが肉切り包丁なのでまぁ名前の通りではあるのだが。
蓮は悲壮な顔のまま、‘賄い作りに使いましゅ’と弱々しく指でOKサイン。私物をキッチンに卸してこちらを自分用にするらしい。しょぼくれる吉娃娃が可哀想になり、匠はまた新品を買いに行ってやろうと心に決めた。
2人が晏晝を胃袋に収めた頃、何でも屋の仕事を終えた樹も合流。話を聞いたのち、鴛鴦茶を飲みながら東と匠を交互に見る。
「どっち狙ってきたの」
「俺は1人で狙われる事はあんま無いかな」
「じゃワタクシかしら」
心当たりのなさそうな匠。東が頬杖をついてブーたれた。
「東、なんかしたのかよ」
「何もしてなくても時々あるんですぅ。薬のルートとか狙った襲撃」
「女の人にペラペラ喋るからでしょ」
「最近は喋ってないよ!!」
匠に答える東を樹は呆れた目付きで眺め、溜め息。東はすぐさま悲しげな表情と共に否定した。
実際問題、東を殺ってしまったら製造元ごと消えてしまう訳でアガリを手に入れるのは難しいのだが…内情は内情。‘東がいいルートを持っている’という事実だけを見れば殺して奪うのは九龍でのスタンダードだ。
「どっかの新興勢力かねぇ。嫌だ嫌だ」
イーッと歯を出す東に匠は笑い、なにか聞いたら教えるよと煙草に火を点け椅子から腰を浮かす。樹が視線を上げた。
「仕事?」
「ん。あと野暮用」
「そっか、いってらっしゃい」
店を出て行く姿に手を振る樹。匠はその言葉と仕草にやけに嬉しそうにして、‘いってきます’と微笑んだ。




