クラブと好きな物・後
焦熬投石3
「クリーンな場所だね」
イベント当日、東がキョロキョロと辺りを見回す。
九龍城砦にしては小綺麗なホール。立地が富裕層地域に寄っているだけのことはある。傍らではハシャぐ大地と寧が所狭しと貼られたポスターを眺めており、樹も後ろからチラチラとそれを覗いていた。匠がハンッと鼻を鳴らす。
「だろ?薬売んなよ東」
「売らないよ!持ってきてません!」
仕事が入ってしまった保護者の代わりに現場へ駆り出された東だったが、面子が面子なので一応気を使ってくれているらしい。ポケットから出した両手を振って‘無実’の表明。
「今日は寧の好きな歌、多めにチョイスしといたから。流れんの楽しみにしててな」
「っ、はい!」
笑う匠に寧が興奮気味に返答。続けて匠は、あっちで食い物も買ってくれば?東が奢ってくれんだろとフードブースを指差した。バッとその方向に振り向く樹、フッと遠い目をする東。安定の赤字。
舞台裏へ向かう匠と小走りで去っていく樹を見送り、東は真剣にセットリストとにらめっこしている寧へ声を掛けた。
「寧はどの曲が好きなの?」
「えっ、と、この表だと…前半にあるポップスとか…真ん中くらいに入ってる洋楽も好きです。もともとのメロディもそうだし、リミックスでもっとアップテンポになるから最近のじゃなくても新鮮に感じて…あと日本のアニメの歌もよく聴いてます、歌詞が難しいんですけど、わかんなければ匠さん日本語教えてくれるので。あ、でも、サウンドトラックも素敵です。今日のリストには無いけど、また次回そういうのも組んでくれるって」
─────思いの外よく喋る。
東は驚き、何の気無しに訊いたことを反省しつつ真剣に相槌を打った。これだけ口数の多い寧は見た試しがない…大地が喜ぶのも納得だ。当の大地もあれやこれやと曲目について話している、世代も同じで趣味が合うのだろう。
ふいに照明が暗くなった。MCがステージで短くイベント紹介と雑談をし、会場を盛り上げて舞台袖に下がる。聴衆が熱気を帯びて、にわかに沸き立つフロア。
レーザーの光と共に始まる音楽、思い思いにサウンドを楽しむ観客達、寧はお目当ての歌が流れる度に大地のシャツの裾を引く。
東はブースに居る匠を見た。曲を繋ぐのが上手い…趣味だという割にはしっかりしている。すると匠も視線を寄越してきたので、東は寧を差し親指を立てた。匠が唇の端を上げて目を細め───それからすぐにギョッとしたように見開く。不審に思った東が匠の見詰める先に顔を向けると、巨大な熱狗棒を片手に5本ずつ持った樹が立っていた。両手合わせて10本。束になりもはや壁と化した熱狗棒で樹の顔がほとんど見えない。
「…いっぱい買ったね」
「味が何種類もあった。みんなで食べよう」
東の言に、皆の為に買ってきたのだと得意気な樹。だが東と大地、それから寧の分を差し引いても7本残る。しかもこれからまだまだ他のフードも追加するであろう。
多謝…たんとお食べ…と掠れた声で返し、東はチーズ入りを1本受け取った。
小1時間ほどが過ぎ、他のDJに場を任せるとステージからフロアへ降りてくる匠。寧が堰を切ったように早口で感想を述べる。
あの部分の、原曲には無いサウンド良かったです。途中オリジナルの音源挟んでましたか?ここ、サビの入りが滑らかで何回でも聴けそう。その次は元の伴奏よりベースの音が強くなってましたね。ドッシリしててカッコよかった。最後の歌、口ずさんでみたんですけどやっぱり難しいです。練習したい。
次から次へと止めどなく紡がれる言葉。
「寧、音楽が好きならそういう仕事探すのも良いんじゃないの」
ドリンクを飲みながら聞いていた東が提案。熱狗棒を平らげ3個目の熱狗をハムハムと頬張る樹も、フレンチフライの空箱を重ねつつ首を縦に振った。積み上がるタワー。
「あ、えっと、でも…好きなだけなので…何がしたいのかもわからないし…」
騒ぎ立ててしまったことにハッとした寧が、我に返り恥ずかしそうに縮こまる。
歌いたいのか?曲を作りたいのか?はたまた楽器を弾きたいのか?何もわからない、漠然と‘音楽が好き’。けれど。
「全部試してみればいいじゃん。やってみりゃいいんだよ」
ポンと寧の頭に手を置く匠。
始める理由が大層なものである必要は無いし最初からひとつに決める必要だって無い。
ただ、‘好き’。それで良い。大切なのはその気持ちだけだ。
答えに窮してチラリと視線を向けてくる寧に大地が頷く。少しずつでも前に進む────また1歩。新たな決意を胸の内に宿し、控え目ながら寧も、コクリと頷いた。
そうして穏やかに過ぎていく時間の中。
重くベタついた湿度の高い風が、密やかに、街へ雨の気配を運んだ。




