クラブと好きな物・前
焦熬投石2
それからというもの。
匠は【東風】へ頻繁に煙草を買いにくるようになり、そのままみんなで蓮の店に食事に行くというのがパターン化。
更に、匠が作成してくれる曲リストのおかげで食肆のBGMが不思議な民謡からお洒落なポップスに変化を遂げる。もちろん蓮は喜んでいるが───誰より興味を示しているのは意外な人物だった。
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「…甘いね?これ」
夕方の食肆、雞蛋三文治をモキュモキュと頬張る樹が目をパチクリさせる。
「はい、塩と砂糖を間違えたんでしゅっ」
「ベタやな」
無駄に凛々しい顔をキメる蓮。上も試しに一口齧り、甘いなと同じ感想を述べた。
「賄いのつもりでしたし、揚げちゃって西多士にしようかと思ったんですけど…」
蓮は腕を組み唇を尖らせる。本当は客に提供する代物ではないが、料理が出来あがるのを待ち切れなかった樹が失敗作だと承知の上で味見させてと強請ったのだった。
「へもほいひーよ」
「美味い…か…?慣れとらん味やな…周りにも砂糖つけて揚げよったらええんか…?」
「いいじゃんこれでも。三文治は三文治で頑張ってるんだから」
あまり箸が進まない上の肩越しに‘ちょーだい’と手を伸ばした匠が、角を千切って口に放り込む。甘いねと感想。
「三文治も頑張っとるんか」
「頑張ってるよ、甘くなったくらいでイジめんなよ。八百万の神サンが泣いちまう」
「やほよろずっへ何」
匠の言葉に樹が首を傾げる。下顎に親指をあてて少し考える匠。
「んー…物にはみんな神様がいる、っていう感じ。日本ではそーゆーのがあんの」
「匠、日本好きなの?」
「好きってか親父が日本人なんだよ」
「え!!じゃあ、いつか日本に帰っちゃうんでしゅか!!」
ふぅんと納得する樹の横で蓮が大声をあげた。この吉娃娃、非常に寂しがりである。
厨房まで届いた叫び声に東はキッチンからホールを覗き、キャンキャン吠える蓮を見て藍漣の帰国の際に届いたボイスメッセージを思い出した。
「帰んねぇよ。家族とか居ねぇし。親父もお袋も九龍で死んでるもん」
匠が蓮の額を小突いて笑う。
聞けば、仕事の関係で日本から香港にやってきた父親は九龍付近で駐在している間に母親と知り合ったらしい。城塞内の治安の悪さを見兼ね家族や地域の子供を守る為に自警団に加入したが、ある時マフィアと揉めて抗争になり命を落とした。母親は出稼ぎに行ったっきり行方不明、水商売を生業に暮らしていたので運悪くそういった手合いの人間に引っ掛かったのではないか、と。当時まだ匠が10歳頃の話。
それからは地元の孤児たちで徒党を組んで、どうにかこうにか助け合って生活してきた。長く一緒に居る幼馴染みは3人ほど、残りは途中でだいたい死んだ。スラムの暮らしなんてそんなもん。
語り終えて匠は、ありがちな話だろ?と柔らかく微笑む。
「でも、その3人とは今でも仲良いんだね」
「ん?良いよ…それなりに…」
樹の台詞に匠は浮かない声音。励まそうとして発した言葉だったが、なんだかそうでも無さそうで、樹は口を噤んだ。
三文治が片付きオーダーした料理がテーブルに並ぶ頃、満面の笑顔と共に寺子屋帰りの大地がやってきた。傍らで寧がペコリと頭を下げている。
「お疲れ、寧。曲のMIX作ってきたぜ」
ラップトップを立ち上げつつ笑い掛ける匠に大地は走り寄り、寧へと手招き。ソロソロ近付いた寧が端からスクリーンを覗き込む。
「何でそんな隅っこ居るの。真ん中座れよ、お前の為に持ってきたんだから」
「そーだよ!ほら寧!」
匠がPCの位置をズラし大地も中央の椅子へ寧を誘導。寧はおずおずと腰を降ろす。
動画を再生すると、流れてきた歌は流行りのベストヒットを短めに繋ぎ合わせたもの。ところどころテンポやサウンドも調整されており明るくキャッチーな仕上がり、使われている映像もマッチしていて画面を見詰める寧の瞳がキラキラと揺れている。
大地が唇だけを動かし匠に多謝と言うと、匠は軽くテーブルを叩いて返した。
音楽は、大地がようやく発見した寧の好きな物だ。
匠の計らいで食肆のBGMが変わった時、1番嬉しそうにしていたのは実は寧だった。気付いた大地がそれに関した色々な話題を寧に振るようになり、匠も様々な曲を聴かせてくれるように。
新しくお気に入りの歌に出会う度──あまり表情にはあらわれないが──愉しげな雰囲気を纏う寧を見て、大地もまた、幸せな気分になっていた。
「あっ、そういや今度イベントやるからさ。お前ら遊びに来いよ」
「え!?駄目やろ、あそこんクラブは!!」
招待状を取り出す匠を上が制止。あの時に潜入したクラブなら完全に大人の遊び場、未成年立ち入り禁止である。
匠は、俺店舗変わったから大丈夫だよと上にもチケットを渡した。派手なロゴの印刷。記載されている住所は比較的落ち着いた安全なエリア、開催の時間帯も昼間だ。
「前んトコにはもう行っとらんの?」
「山茶花の件終わってからは行ってねーよ。まぁ、もともと…」
あんま好きじゃなかったし、と匠は呟く。
そこそこ綺麗なハコやったけど…なんや気に入らん事あったんかな…ふと疑問に思ったが聞き返しはせず、上は受け取った極彩色の紙をポケットにしまった。




