煙と黎明
有害無益8
崩れ落ち喚き散らす劉。猫と燈瑩は発砲音が聞こえた方向へ振り返る。
「お前───…」
呟く猫の視線の先、【宵城】の従業員がピストルを持って立っていた。先程まで一緒に飲んでいた女性スタッフだ、跡をつけてきていたのか。
ほらね、やっぱりアンタだった、周りの女にもあの尻軽にも手ぇ出してたんでしょ、クソ野郎。彼女は淡々と口にし劉を見詰める。
違うんだ、手を出したのは魔が差して、悪かった、もうしないから。劉が懇願した。
微妙に話が繋がらず猫が横槍を入れる。
「おい。説明しろよ」
こいつらがそういう仲なのは理解った。‘やっぱり’という科白が出るなら、黒幕だと踏んではいたが確信が無かったことを示唆している。はぐらかされていたのかあしらわれていたのか。尻軽は燈瑩が薬を盗った女な気がするな、疎遠になった元友人。だから助けるか尋ねた時の反応が鈍かったのか。劉は女達には自分が陳呉だというのを伏せていたんだろう。最初に消えた従業員へ流れた山茶花は劉のルートのはずだけれど───…。
女性は猫をジトッと見た。死人の様な幽霊の様な、薄ら寒さを纏った目付き。
「説明、要りますか?終わったんだしいいじゃないですか」
抑揚のない声で返して、地面に転がる劉へと顔を戻す。多分何も喋る気はないな…そう思った猫は質問をやめた。知った所で居なくなった人間が戻る訳でも無し。【宵城】に薬を運んでいたのがこの男の手下なら、他店舗へのキャストの斡旋含め、女の言う通りこれでカタがついた。
ゲホッゴホッと激しく咳き込む劉、喉からヒューヒューと隙間風のような息。猫は血溜まりに沈む劉を見やり、燈瑩は横にしゃがみ込んで少しだけ傷の具合を確認した。少しだけなのは正直あまり必要性が無かったせいだ、当たりどころが良くなかったらしくみるみる男の顔面が青白くなる。ほんの数十秒前までピーピー騒いでいたのに…と、パンッと乾いた銃声がまた1発響いた。後方。続けてドサッと何かが落ちる音。
──────最っ悪だな。
心の中で悪態をつき首を向けるのを躊躇う猫より先に、燈瑩がそちらへ目線を寄越した。何か言おうと薄く唇を開き、しかし何を言おうかと考えている様子。猫は、いいよ。死んでんだろ。と投げやりに吐き捨てた。
「どうする?」
「帰る。もうやることねぇだろ」
燈瑩の問いに猫は溜息をついて、仕方なしに再度振り返った。ここを通らなければ帰れない。すぐさま、側頭部から血を流し仰向けで倒れている女性従業員が目に入る。恋人を殺して自分も自殺…綺麗な締め方だ。
これだとおそらく、劉が手を出してたっつう尻軽もこの女に殺られてるな。愛だの恋だのほど怖いものはない、それこそ世界で1番質の悪い脳内麻薬なんじゃないのか。ひとりぼっちでマリファナやってたほうがまだ平和な感じがする。
「片付けは?」
「ほっとく。俺らが殺った訳じゃねーし」
控え目なトーンの燈瑩に、女性の身体を跨ぎつつ答える猫。身内の死体はイイ気分がしない…猫はガリガリと頭を掻いて、羽織の袖から煙草を取りだした。次いでライターを探すより早く燈瑩が炎をともしたジッポをかざしてきたので、黙って火種をもらう。
お互い喋らず【宵城】へと歩いた。燈瑩としてはなんら特別な感情の沸かない結末だったが、後味の苦さを噛み潰す猫の気持ちを察し無言で煙草をふかす。それを承知している猫が、ひとことだけ、‘悪ぃな’と言った。
【宵城】に着くと、店の前には東にお使いを頼まれたらしい樹が居た。それを見た燈瑩は、じゃあまたねと微笑んで踵を返す。
雑踏に紛れていく背中を普段と異なり最後まで見ている猫に、樹が疑問符を浮かべつつ【東風】印の漢方の袋を渡した。受け取った猫は眉を曲げて笑う。
「樹は帰んねぇの」
「帰ったほうがいい?」
「別に。菓子食う?」
「食べる」
2人で猫の自室へと上がり曲奇をつまんだ。しばらくすると猫がおもむろに部屋を出たので、樹もトコトコと後を追う。階段をいくつか降りた先の広いドレスルーム、数え切れないほどの衣装の中から、猫は何着か手に取った。
特に訊ねはしなかったが。そういうことなんだろうな、と樹は思った。
それを持って屋上へあがると、ちょうど砦に朝日が差しはじめた所。
猫がライターで衣装に火を点ける。前よりは幾分乱雑だったが、しかし前と同じように、綺麗なドレスはまたたく間に燃えて煙が空へと立ち昇る。
全てが灰になるまで、猫は煙草を吸いながら、樹は菓子をかじりながら、朝焼けに染まっていく九龍の街を眺めた。
また、何も変わらない、1日がはじまる。




