デビルとビクトリア
日常茶飯7
「ちょ、変やない?似合うとらんかな?」
「別にどれだってお腹出てるよ」
「そこやなくて!!」
「平気平気、似合ってるってば」
鏡に向かって悩み続ける上に大地が溜め息をつく。これを着て行く、と前日に決めたはずなのに、いざ当日になると迷ってしまうのはどうしてだろうか。お出かけ前の人類の──いささか主語が大きいが──永遠のテーマ。
「これにしよ、これ。もー変えへん」
「結局最初のじゃん」
「わからんくなってもうてん!!」
「ほら、待ち合わせの時間過ぎちゃうよ」
半笑いの大地が呆れて急かすと、半ベソの上はドスドスと玄関へ走った。
「じゃ、いっ、行ってくる!!」
「行ってらっしゃーい」
ニコニコと手を振る大地に手を振り返し、足早に階段を下って桑塔納を拾う。この車、東が藍漣を空港に送ったあと特に誰も使っておらず放置されていたので今回ちょっくら借りる事にした。借りる、といっても所有者が誰なのか微妙にわからないが、鍵は東が持っていたのでまぁ問題無し。忙しなく乗り込みエンジンをかけ、上は香港方面へと車体を向ける。
今夜は陽と市内の中華料理屋で夕飯をとる約束なのだ。
リムジンとかで迎え行ったらカッコよかってんかな…けど、‘あんまり目立っても困るじゃない’て陽に言われとるし。そもそも陽はええとして、そない高級車やと俺は身の丈に合っとらんもんな、颯爽と降りてきよっても見た目がプーさんやし…思いながら繁華街へタイヤを滑らせる。
スケジュールの隙間を縫い時間を空けてくれる陽には感謝するばかり…今迄数回ご飯を食べに行っているが、楽しんでもらえているのかどうかその都度ドキドキものである。
特に今回は、新作映画の主演女優に決まったお祝いも兼ねて値の張る──上にしては値の張る──店を準備したものの…不安な気持ちを落ち着かせ待ち合わせ場所の油麻地へ。
交差点、曲がり角のところにあるコンビニの傍に陽が立っていた。バケットハットを深めにかぶり、フレームの大きな伊達メガネにマスクで顔を隠している。隠しているのに可愛い。陽だとわかっているからそう感じるのだろうか、違う誰が見ても可愛い、けど言うて顔見えてへんやん、もう雰囲気が可愛いねん───やなくて。ファーストミッションは、陽を乗せて、そして褒める。褒めるで俺は。樹から学んだやろ。やるで俺は。
目の前に車をつけウィンドウをおろすと、上が扉を開けるより早く陽は助手席のドアを引いてシートに身体を沈めた。大輪の花が咲いたような笑顔を上に投げる。
「お迎えありがとう上君♡洋服も素敵ね!似合ってる!」
先に言われてしまった。
「あ、せ、せやったらええんやけど…陽もえらいかっ、可愛いな。今日も」
噛んだわ。
わぁいと喜ぶ陽の隣で上は遠い目をした。ホンマにカッコつかん…やけど言うた、言うたで、ちょいちょい前進していくねん…そう心に決めつつ桑塔納のアクセルを踏む。
辿り着いたのは高層ホテルの上階に位置するレストラン。なかなか予約の取れない人気店の個室に陽が目を丸くする。上君すごいねとの称賛に、燈瑩に少し口を利いて貰ったと正直に答える上。その飾らない返答を聞いて満足そうに微笑む陽が愛らしく、上は照れて目を伏せた。
選んだメニューは主食の瑤柱荷葉飯、祝事の為の大紅片皮乳猪、加えて点心もいくつかオーダー。金魚の形をした透き通る水餃子やパンダの姿の胡麻饅頭に目を輝かせる陽。先日樹や燈瑩がパンダ饅頭の新店に行ったらしいと話す上へ、次回は私達も訪れてみようと陽は身を乗り出した。次回もちゃんとありそうだとひっそり胸を撫で下ろす上の心中を読み取った陽がニンマリする。
「心配してるの?」
「えっ!?いや、しとら…」
───素直にいこう。カッコ悪くても。
「しとる。楽しんでもらえとるかなとか、満足させられててんかなとか、またデー…ご飯付き合ってもらえるんかなとか」
陽はテーブルに肘をつきリラックスした姿勢、しかし凛と澄んだ瞳で上を見据えている。麗人。
「俺は陽が一緒に居ってくれとる理由が正直わからんねん。やけど、自分に出来る限りのことして、喜んで欲しいって思っとるから…やから、んー…」
全然言葉がまとまらない。何を伝えたいのか俺は。唇をモゴモゴさせる上に陽はクスリと口角を上げ、伝わってるよとウインク。はいノックアウト。
「上君と過ごす時間、すごく好きよ。九龍のみんなのことを話すのも面白いし。上君自身だって…誠実な所とか真面目な所とか、私はとっても好き」
それは良かった、頑張りが報われ───ん?今‘好き’って言われた?いや一般論か。そういう人が好ましいということか。俺は好ましいということ?いやいや。そりゃ多少は気に入ってくれていると思うが。いやいやいや。
上はフルフルっと頭を振って普洱茶を飲み干した。動揺を鎮めるようにパンッと手を叩き、明るい声を出す。身振りがどうにもわざとらしいのは勘弁してくれ。必死なのだ。
「あんな、時間あればでええんやけど、このあとドライブでもせんかなって。せっかく車貸してもろたし」
「あ、アレ借りてたんだ。誰に?」
「え?わからん」
首を傾げる上に陽が破顔。最近仲間うちで使っているが所有者はわからないと上が慌てふためけば、ほんと九龍のみんなってそういうとこあるよねと愉快そうにする陽。
ビクトリアピークでの夜景鑑賞を提案する上へ陽は二つ返事でオーケー、レストランを後にし山頂を目指す。グルッと市内を回りネオンの看板の群れを抜け、しばしガタゴトと桑塔納に揺られて他愛もない会話で場を温めた。
ロープウェイの駅を横目に、観光地からは外れた場所でエンジンを切る。車を降りて街を見下ろすと、辺り一面に煌めく100万ドルの夜景。綺麗だねとの陽の言葉に上は頷き、それから、あの時言えなかった台詞を口にする。
「景色よりも、何百倍もきっ…綺麗やから…陽の方が」
しどろもどろ過ぎる。けれどどうにか、いやここで終わりじゃない、まだメインイベントがある、勇気出せ、むしろ勇気が来い!!
「そんでな!!これ陽に!!」
声デカぁ自分。
なかば叫びながら上が取り出したのはリボンのかかった小箱、開けると中には髪飾りが入っていた。大地に下調べをしてもらった、最近流行りのアクセサリーショップの一品。控え目ではあるがいくつか宝石のついた洒落たデザイン、ネックレスやブレスレットでは邪魔になるかも知れないと考えた結果の代物だ。
「んっと、映画の主演、おめでとう。ホンマはもっとええもんプレゼントしたかってんけど…レストランやって燈瑩さんが三ツ星でもどこでもご馳走してくれはる言うてて…やけど、俺が自分で何とか出来ひんのは、なんや違うかなって」
他人の力で背伸びをしたり見栄をはっても、きっと陽を納得させられない。真摯に向き合いたいなら、実力以上の事はするべきではない。その上の気持ちを汲み取った陽は大きく息を吐いて、やっぱり良いね上君、と呟き目尻を下げた。
「ありがとう…わざわざ用意してくれて…」
そう言って髪飾りに視線を落とす陽が僅かに戸惑った表情を見せる。多分、恐らくだが、値段を気にしている。上の生活にそれほど余裕がないことは承知だからだ。気にしないでくれと手の平をパタパタさせ、上は自らにも言い聞かせる様に言葉を紡ぐ。
「俺がプレゼントしたかってん。でも、今はこんなんやけど、もっとええ男んなるから」
視線は逸らさない。キチンと真っ直ぐに。
「やから、良ければ、待ってて、ほしい」
途切れ途切れに完遂。これでもかというくらい顔面を赤くして固まる上に、陽は髪飾りを手渡しクルリと後ろを向いた。
「つけてくれる?」
「あっ、はい!!」
変に敬語で対応する上に陽がまた笑う。その濡羽色の髪を、緊張しつつそっと束ねる上。夜風に紛れて小さく‘待ってるね’と陽の声が聞こえ、上も‘ありがとう’と小さく返した。
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「で?そんだけ?」
「そんだけですが、何か?」
【宵城】最上階。
仕事ついでの雑談中、プァッとパイプの煙を吐いて眉根を寄せる猫と、それを睨みつけ肩を竦める上。まー頑張ったんじゃねーのと雑な感想を述べられ、背中を思い切り平手で打たれる。紅葉が咲いた。
「痛いっちゅうねん!!」
「励ましてやってんだろが」
「手荒やねんて毎度毎度!!」
喚く上を燈瑩が宥め、横から樹も賛辞を──お菓子を頬張っている為いまいち発音がハッキリしないが──送ってきた。
「めでてぇな饅頭。ほら、用事終わったんだから全員とっとと帰れ」
「1ミリも興味あらへんなホンマ…あ、あの中華のお店旨かったです燈瑩さん。樹とかも好きなんとちゃうかな」
「あ、そう?じゃあ今度みんなで行こうか」
「今日へもいいほ」
「今日がいいの?電話してみる?」
「はぁ?んだよ、年代物の老酒あんのかよ」
「猫急に来る気やん」
じゃあ東も呼んで大地も呼んで、とワイワイはじまるいつもの日暮れ。
新しくなった上の待ち受け画像。画面では、ビクトリアピークで撮ったツーショットの陽が、柔らかく可憐に微笑んでいた。




