瑣末と休日・後
日常茶飯6
香港、中心地からはだいぶ外れた、しかしそれなりに賑わう街の片隅。アタッシュケースを片手に燈瑩は石澳の事務所を訪れる。
勢いづいているグループとは仲良くしたい…なんてリップサービスで約束を取り付け、例のマフィアに菓子折りを持って来た。疑われることもない、人当たりが良いのは自分でもわかっているし、それ以上にこの世界で重要なのは‘金払い’だ。
室内に入って当たり障りない会話を交わし、事前に連絡した通りのシナリオをつらつらと話す。荷物をテーブルに乗せ営業スマイル。
「で、九龍側で捌いてるドラッグを香港側でも扱ってくれないかなと思って」
もともとアンバーの販路を欲しがっていた半グレ共だ、新規ルート開拓の提案が通らないはずがない。燈瑩がアタッシュケースを開くと詰まっている札束に男達がニヤけた。その下にはお馴染み【東風】特製ハーブバッグがギッシリ。東がオマケでくれた粉薬──出来に納得がいかなかった試作品──もサンプルとしてわんさか入っている。
「これは俺からのサービス。今後ご贔屓にしてくれると嬉しいんだけど」
燈瑩が改めてニッコリ笑うと、各々思い思いにハーブや薬を手に取り合意するマフィア連中。今日は挨拶だけでもうお暇する、プレゼントをゆっくり楽しんでくれと告げ燈瑩は建物を後にした。
煙草に火を点け、振り返りもせず僅かに早足で路地を抜ける。角をいくつか曲がり、それなりの距離をとった所で携帯の時計を確認。
そろそろかなぁ。
瞬間、爆発音が燈瑩の背後で響いた。といっても既に距離は遠く、何か聞こえたなくらいの音量ではあったが。どうやら底上げしたアタッシュに隠れていたC4が皆様に上手くご挨拶したみたい。良く出来ました。
通りの向こうから的士が来るのを目に止め手を上げる。拾って乗り込み行先を告げた。
「飛ばしてもらってもいいですか?ちょっと急いでて」
言いながら燈瑩がチップを出せば、運転手は張り切ってアクセルを踏み込む。
決め手は‘香港側に行く’という大地のメール。どちらを潰しどちらを残すか選びあぐねていたが、出掛ける予定が舞い込んだのでついでにこなせる方にしただけの話。もし‘台灣に行く’なんて連絡が入ればそちらにC4を連れて行っていた。だってどっちでもよかったんだから。
きっかけなど、いつだって些細な事なのだ。
山間を通り過ぎ、背の高い人工物がチラホラと目に映り始めた。香港は世界有数の摩天楼、天へと伸びるスカイスクレイパーはまさに圧巻。夜景は100万ドルなどと謳われる。
整然と建ち並ぶ統率の取れた巨大ビル群を横目に、燈瑩は雑多な九龍の違法建築の住人達について思いをめぐらす。
長安楼の老人会にお菓子買って帰ろう。花街側の風俗店が乱闘騒ぎ起こしたときに迷惑かけちゃったんだよな、今度また麻雀も付き合わないと。大地も連れて行こうかな、この前一緒に顔出したら郭のお婆ちゃんすごく喜んでたっけ。烏雞沙に居る孫が会いに来てくれたみたいで嬉しいとかって…。
考えているうちに窓の外の景色は流れ、数十分もすれば市内の繁華街周辺に到着。燈瑩は釣りも貰わず車を降り、適当に人混みに紛れる。
さて、大地と樹が居るのは新しく出来た饅頭のお店、名前は確か───…
「哥!」
探すより先に大地の元気な声がした。走り寄ってくるその手には、ゴロンとした立体的なパンダ饅頭。後ろから樹も歩いてくる。
「あれ?テイクアウェイにしたの?」
「うん、哥が来てくれるって言ったから」
訊ねる燈瑩へ、饅頭を掲げて見せる大地。熊猫の姿はぬいぐるみのようで愛らしい。食べるの可哀想だねと目尻を下げる燈瑩の横で、思い切り頭から丸かじりしていた樹が首無しパンダに視線を落とし申し訳無さそうな表情を見せたが、数秒後には胴体も口の中へと消え去っていた。まだ数匹残っている小さな生き物達、次はどこからいただこうかと微妙に悩んでいる樹の顔を燈瑩は覗き込む。
「そういえば樹、クリュッグの瓶に花飾ったんだって?」
「ん?うん。花屋で買ったやつと大地が摘んできてくれたやつ」
「そう!前に樹と見付けた花!」
「いいね。東喜んだでしょ」
「んーん、めちゃくちゃ泣き喚いてる」
「何で?」
「何で?」
キョトンとする燈瑩と大地に、わかんないと首を傾げる樹。
あの花可愛いのに、猫に似てるし…と呟く大地へ樹が頷く。その言葉で東が泣き喚く理由を察した燈瑩は、ただ黙って微笑んだ。
賑わう香港の街。お菓子を物色しつつ散歩していると、大地がアクセサリー店のショーウィンドウで足を止めた。
「あ!ごめん、ちょっと待って!」
言うが早いかカシャカシャ写真を撮り始める。欲しいのかと燈瑩が問えば、俺じゃなくて上!送ってって言われたの、との返答。
「陽さんとデートするからだよ、多分」
携帯のカメラをタップしつつ大地はシシッと笑う。
陽へと贈るつもりかな、というか、上手く行ってるんだ…良かった…そう思う燈瑩の口元が自然と綻んだ。視線を上げれば交差点には陽の看板、化粧品の広告。赤いシャドウとリップがよく映えて妖艶だ。樹が写真を撮っている、メッセージに添付、宛先上。そんな樹と大地の姿をカメラにおさめ、燈瑩も上へ微信を送った。方々から同時多発的に陽に関する連絡がきて上が狼狽える様が目に浮かぶ。
「あとはどこのスイーツ買いたいの?せっかくだし全部回ろうか」
「わーい!哥ありがとう!」
「はんははんひゅうほっほほひぃ」
「樹、なんて?」
数時間後。蓮の食肆で皆で夕飯をとっている最中に石澳の爆発騒動のニュースが入り、燈瑩は猫に‘そういうとこだぞお前’と言われることになるが、それはまた別の話だ。




