ラムネと紫荊花
日常茶飯4
85点。
東は調合した薬を眺めて頬杖をつく。
テーブルに敷いた紙の上に散らばる粉、粉、粉。それをカサカサと集め計量器へ少しずつ慎重に落とす。
此度の新作、東の自己評価は85点。しかし他のジャンキーに使用後の感想を聞いたら恐らく90点以上くれるだろう。東は自分が精製するドラッグに関しての採点が割と厳しい、高品質がウリだと謳うだけの事はある。
小分けにした物をチマチマとビニール袋に詰めていく。量と料金設定に微妙に悩む東。0.2グラムずつわけるか?いや、0.25いくか。発売記念サービスだ。いくらで捌こう?会心の出来ってわけじゃないしそんなに高くなくてもいいか。1パケ500香港ドルにしておいて、人気が出たら値段を───上げずに量を減らそう。0.2グラムに戻せばいい。
淡々と粉をわけつつ考える。最近やたらと注射器探してる客が増えたな…若い奴の間では静脈注射が流行ってるらしい。張がそんなような話してた。ん?そういや近頃、張の姿見ねぇな?あいつ、三代だの李記だの潮州系だの色んなグループを股に掛け過ぎだったから殺られちまったかな…単にオーバードーズで死んだだけかも知れないけど。連日連夜、医療関係の建物から注射器パクってきて腕にブッ刺してたもんな…え?俺?俺は鼻からですよ鼻から。針だと痕が残るし痛いじゃないですか。
もっとお手軽に錠剤でもいいが、制作者側としては固める手間があるのが難点。結局普通に粉に落ち着く。
ラムネといえばこの前、萬里楼の売人が水泥みたいな色の凸凹のラムネ売ってたなと思い出す東。破茶滅茶に低価格だった。中毒者がワラワラと群がっていたけれど東は買わずにパス、あんまり安いと混ぜ物が怖い。
富裕層地域はいいとしても、貧困街では医者すら信用出来ない。場当たり的な薬の処方、ビタミン剤とステロイドを混ぜたものが万能薬なのだ。
日が傾きかけた頃、東は家を出て如意楼の方面へ向かう。
如意楼はいつでも陰気臭い。スラムのとある一角だが、四方を壁に囲まれ全く太陽光が差さず、通路には風も抜けないので空気が淀んでいる。麻薬中毒者がたむろしており、その成れの果ての死体もゴロゴロ転がり、陰鬱さでいえば九龍城内でも指折りの場所。
なので売人や客がわんさか集まる。そうだから集まったのか集まるからそうなったのか、先有鸡还是先有蛋?どっちでもいいけど。
正直、東は如意楼にはあまり近寄らない。訳の分からない輩にまで無駄に顔が割れるのは好ましくないからだ。プッシャーとの待ち合わせに使うのはその手前、もっと貧困街側の広場や路地裏。
東の顧客は基本プッシャー、要は密売人。そこから市場や客へ薬が出回る。東が客に直接売ることはあまり無い、【東風】に訪れる人間は別だが──そもそも店では普通のお茶や漢方がメインだけれど──薬を撒くのには売人を介したほうがトラブルが少ない。モットーは安心安全。
が。
取り引き場所に着いてすぐ東は眉を顰めた。路地では仲良しの売人が待っていた、待っていたけれど、様子がおかしい。
ドラッグでヨレているとかではない。身につけている物だ。何だかやたらと金がかかっていそうな服やアクセサリー、こいつこんなに羽振りが良かったっけ?
「お前…素敵になったね」
どう反応しようか迷った東が言葉を絞り出すと、売人は愉しそうにケラケラ笑う。新しいルートから出てきた薬が面白いほど売れるらしい。とにかく数がハケる。今は宣伝の為のバラまきの最中なので安価だが、これからどんどん値上がりしていくとのこと。世話になっているよしみでいくつかわけてやると言って、プッシャーは東へ袋に入った錠剤を寄越した。東はお礼に自分が渡すドラッグを割引価格にしてやろうかと思ったが、首を横に振られ、むしろ金を多めに支払われた。
よっぽど儲かっていると見える。いや、ハイなだけか?ラリってはいないがなんかキメてんなこいつ…この新薬だろうか。まぁ貰えるものは遠慮なく貰おう、東は‘まいど’と軽く感謝を述べて札束をポケットに突っ込む。
互いにチョロチョロと近況報告や情報交換をし、プッシャーと別れると花街の方へ足を向ける東。遊びに行こうという訳では無い、【宵城】に漢方を届ける為だ。ついでに、今入った金で昨日のツケを払っちまって猫を驚かしてやろう。
店に着いて部屋に上がり、漢方をテーブルに置く。猫はまだ眠そうな表情をしていた。東が商品の代金を差し引いた飲み代の残りを聞いて残高を全て支払うと、眠そうな顔が怪訝そうな顔へと変わる。金を返して怪しまれるなんて…そんなに日頃、胡散臭いかしら…東は口を尖らせた。
「喜んでよ猫にゃん」
「喜ばせたいならまずツケんなよ」
「ごもっとも」
当然な言い分。納得する東に、テメェにしちゃ精算早ぇなと一応の賛辞──これは猫にとっては賛辞である──を述べる猫の肩越しに見える、紹興酒のミニボトル。黄色い花が1輪ささっていた。
「あれか。樹が言ってたの」
「あ?うん、そうそう」
花瓶を指で示しながら問う東へ、札束を数える猫が生返事。
今朝──というか午後──東が目を覚ますと、樹がクリュッグの瓶をシャカシャカ洗っていた。箱の方にはお菓子を詰めて満足げにしており、怒られる事はなさそうと東は胸を撫で下ろすも、活ける為の花が無いと首を捻る樹。本当に花瓶探してたんだな、でも何でだろうと不思議に思う東だったが。
「なんなのあの花?可愛いじゃん」
「大地が摘んできたんだよ」
「猫に似てんね」
「全員それ言ってんな」
東の感想に猫が舌打ち。けれどその反応とは裏腹に、なんだかんだで気に入っているように見える。
樹は何を飾るつもりだろう…え、まさか、同じ花摘んできたりする…?無理無理!!常に猫に見張られてるみたいになっちゃう!!ヒュンッと背筋に冷たいものが走り、慌てて煙草を揉み消し立ち上がる東。どこか花屋で花を買って帰ろう。急いだ方がよさそうだ。
いきなり帰り支度をはじめる東を猫は不審そうに見詰めたが、そんな視線を気にしている場合ではない。樹に微信を飛ばしながら【宵城】を出る。
中流階級側の商店街へ行き、花屋を物色。無難なやつは何かな。玫瑰、向日葵、んー、繡球花も悪くないけど。
ところで樹から全然返信が来ない。既読もつかない。やだぁ…頼むから猫を摘んでくるのだけはやめてぇ…?
ソワソワしつつ【東風】へ帰り着くも、樹の姿は見当たらず。何でも屋のバイトで荷物の配達をするとは言っていたが、もう帰宅していてもいいはず。寄り道か?どこに?花を摘みに?参ったな…。手持無沙汰な東が茶を淹れていると、入り口の扉が開く音。
「あれ?東早かったね」
「おかえり!!花買ったからソッコー帰ってきました!!」
「え、俺も買った」
東が即座に台所から出て樹に花を見せると、樹も東へ花を見せた。
お互い紫荊花。
「あれ、カブっ…た!!良かったぁ!!」
喜ぶ東に、カブって良かったの?と樹が首を傾げる。‘良かった’はカブったことに対しての言葉ではなかったのだが、それは置いておいて。
「いいじゃんいいじゃん、飾ろう」
「どこ飾る?」
「どこでもいいよ、紫荊花なら」
紫荊花じゃなかったら位置が決まっていたのかと疑問を口にする樹。例の黄色い花であればなるべく目につかない所に置こうとしていた東だったが、そうとは伝えず笑って誤魔化した。
かくて2輪の紫荊花は寝室窓際──【東風】の中ではベストだとおぼしきポジション──に堂々たる風格で陣取る運びに。
後日、樹も花瓶を手に入れたと耳にした大地が良かれと思って花を摘んでくる事を、この時はまだ誰も知らない。




