博徒と大酒家
日常茶飯3
夕刻。
窓から射し込む西日で目を覚ます猫。
もう日暮れか…思いの外寝たな。昨日あちらこちらから同業者が飲みにきて接待したから…酒のヤリ過ぎとかではなく単純に気疲れした。仕事飲みほど面白く無いものはねぇ、溜め息をつき枕元の白乾児を呷る。
起き上がって洗面台に向かい適当に顔を洗っていると、鏡の横の小瓶が目にとまった。樹が持ってきた紹興酒のミニボトル。存外可愛らしいので取っておいたら、大地に花をさされた。その辺で摘んできただけの代物だったが、何となく気に入ってそのままにしてある。少し萎れていたから水を替えた。
けど、どっちみちあんまり保たねぇかもな…ドライフラワーにするか…そんな事を考えつつ寝巻きを脱ぎ、いつもの着物を羽織る。
階下に降りるとスタッフ達が開店準備をしていた。猫は出勤状況と来店予定を確認し、ザッと今日の売り上げを見積もる。フリーの客がどれだけ入るかにもよるけれど、正味、週末以外は大した変動はない。割とのんびりした1日になりそうだ。
領収書の束を手に取った。隣は請求書。東の売り掛けがまだそこそこある───しかしこいつ、随分と飲み方が綺麗になった。
別にこれまでも汚いという訳ではなかったし今でもキャストのドリンクやボトルを渋るということはないが、誰彼かまわず口説くのをやめたようだ。意外に藍漣に熱上げてんな?空港での東の姿を思い出して、猫はククッと低く笑う。
日が落ちる寸前に電飾を点し、【宵城】は開店。花街が1番輝く時間の始まり。今宵もネオン街はパーティーだ。
毎晩毎晩飽きもせず惚れた腫れたで人々はザワつくものの、夜の世界には惚れたも腫れたも本当は存在しない。退一万步って、1割くらいは有るかも知れないが、9割は無い。だのに客というものは全員自分がその1割に入っていると信じている。そう思い込ませる職業なので、仕事としては大成功だが。
ただ飲んで騒ぎたいだけの奴や夜の店の雰囲気が好きというだけの奴も存在する。東もどちらかといえば──藍漣の事を抜きにしても──そちらの部類。女好きではあったがその辺りは理解しており付き合い易い。
【宵城】の客は質がいい。金を持っているとかそういった意味合いではなく、分別がつきわきまえている客が多い。店自体がショーや遊びに重きを置くのも理由として勿論あるが、徹底して‘エンターテイメント’を貫いてきた猫の姿勢の賜物。品のない客はお断り、札束積まれても願い下げだ。
お陰様でキャストからの信頼が高く、皆長く居つき一生懸命に働いてくれる。巡り巡って自分の為、猫はそれをよくわかっている。
従業員に適当に声を掛け、店内を回り、特段忙しそうな様子も無い事を確かめると猫は自室に戻り携帯を開いた。発信履歴の1番上を押せば1コール半ほどで聞き慣れた声。
「燈瑩暇だろ、カジノ行こうぜ」
猫が前口上も無しに本題を投げると、電話口の燈瑩は愉快そうにした。昨晩【宵城】で金を落としていった面々の中に、花街で新しくピンクカジノをオープンさせた奴が居たので挨拶返し──という名の日頃の憂さ晴らし──に顔を出そう、との誘い。特に燈瑩の予定は気にしてない。こいつはどうせ来る。案の定、いいけどと返事が聞こえた。
30分もせず燈瑩が【宵城】へやってきた。律儀にボトルを開けてくれる。売り上げ誰かにつけるか?と猫が問えば‘空’との回答。大地のパネルが受け付けに並ぶ日も近い。
スタッフに店を任せ件のピンクカジノへ向かう。そういやあの辺、前に【天堂會】騒動で獲った獲られたやってたな…東のお気に入りのエリアだったような…もしかして眼鏡居るんじゃねぇのかと思いつつ猫は新店の扉を引いた。そこそこ綺麗な内装に派手なミラーボール。暗がりに走る彩り豊かなレーザーの光の奥、賑わうポーカー台に目を凝らす。
普通に東が座っていた。
「なにやってんだテメェ」
「えっ何で猫居んの!?」
唸り声と共に猫が足早に距離を詰めれば、ビクッと肩を震わせ東が叫ぶ。テーブルには高々と積まれたチップ。結構増やしてんな…イカサマか…?猫は一瞬思索するも、イカサマか否かは正直な所どうでもいいのでチップをガサッと2/3ほど奪い取った。再び叫ぶ東。
「嘘でしょ!?」
「嘘もクソもねぇよ、【宵城】支払ってねーのに賭けてっからだろ」
「増やして払おうとしたんですぅ!!」
「んじゃ同じことだろ、金で返そうがチップで返そうが」
そうだけど、と東は口籠る。
パッと見3万香港ドル弱ってとこか、こりゃ売り掛け全回収だな…考えつつ手元のチップを数える猫。横に腰を下ろした燈瑩へと雑に半分程わけ、2枚をウェイターに手渡し‘俺と燈瑩にカクテル持ってきて’と注文。東が俺のぶん無いのとイジケた。
ふいに見覚えのある女が横から東の首に腕を回し、猫に微笑む。
「いらっしゃいませ♪」
「あ?綾じゃねーか。店変わったのかよ」
「前の店、叩かれて無くなっちゃったんだもん。ここニューオープンって聞いたから」
そうだった。返事をしながら猫は光榮楼の1件を思い出す。客引っ張ってこれたのかと猫が問えば、綾はボチボチかなと舌を出す。エリアが違うので片っ端から連れてくるのは難しいか。
私にもお酒ちょうだいと綾に言われて東はチップを数枚寄越した。が、それだけ。軽口を叩いたり肩を抱いたりはしない。卓に突っ伏して笑う猫に、東は放っといてよ!閻魔!と悪態をつく。
そこから暫しポーカーに興じ、増えたチップはその場で酒へと変換。最終的な猫の手持ちは出だしと変わらない1万5千香港ドル。全額を使って綾の名前でクリスタルを卸す、この店のオープン祝いと綾への見舞い金だ。
悪くない店だった。ゲームはそこそこ遊べる仕様だし、女もちゃんと揃えていて箱や出す酒もしっかりしている。仲良くしたら得だと猫は踏んだ…だからこそのクリスタルなのだけれど。
初めに半分わけたチップを燈瑩が全額返してきたが、猫は要らねぇと手をパタパタ振る。燈瑩はウェイターに頼んで香港ドルへ換金、札束を猫の前に置き‘前払い’と口角を上げた。【宵城】で飲み直そうということ。
オーナーと二言三言交わし、東も引き連れ城へ戻る。この眼鏡、また今夜も瞬く間に売り掛けをつくるであろう。懲りない男。
「燈瑩の札束でどんくらい飲めんの?」
「眼鏡関係ねぇだろ燈瑩の金なんだから」
「冷たぁ…ちょっとくらい良いじゃない…」
「足出たら東にツケといてよ」
「あ、そぉ。じゃクリュッグのヴィンテージ開けるか」
「高っか!!一発で足出るよね!!」
ワイワイやりながら【宵城】に到着、それからいつも通りに朝まで飲んだ。花瓶にしろよと空になったクリュッグの瓶を猫が投げると、受け取った東は樹怒んないかなと眉を下げる。借金に追われているのがバレる度に、恐ろしく冷え込んだ眼で見られるのだ。樹いま花瓶探してるから大丈夫だと猫はケタケタ笑った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
空が白み始めた頃に場はお開き、解散して各々家路につく。
東は空瓶を──ついでに箱も──持たされ【東風】へ帰宅、とりあえず両方カウンターの上に乗せておいた。
目を覚ました樹がどんな反応をするか…箱や瓶自体は可愛らしいけど…ソロソロとベッドへ潜り込む東。
明日は薬を売りに行かないとな。予定は夕方だから起きるの午後でいいだろ。【東風】は定休だ、どうせ客も来ないし、呑んじゃってるから早起きしたくない。
樹に怒られませんように。クリュッグがヴィンテージなことに気が付かれませんように。花瓶だって主張が通りますように。あと───…
朝を報せる鳥の鳴き声がどこからか響く中、東は諸々祈りながら眠りについた。




