表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
九龍懐古  作者: カロン
日常茶飯
164/492

路傍と外出日和

日常茶飯2






大地(ダイチ)、俺仕事行くで。朝ご飯テーブル乗っとるから食べぇや」


(カムラ)の声に寝ぼけまなこで相槌を打ち、大地(ダイチ)はゴロゴロと布団のうえを転がった。


時計を見ると針は2本とも7のあたり、まだ登校時刻までは大分(だいぶ)ある。とりあえず起き上がって(カムラ)を見送り、ノロノロ身支度をしてテレビをつけた。子供向け番組、ニュース番組、面白いものないな───あっ(ヨウ)さんの鴛鴦茶(ユンヨンチャー)のCMやってる。

チャンネルを変える手を止めて画面をジッと凝視。ちょっと不思議な感じ、本当に(カムラ)の彼女さんなのかな?(カムラ)のどこを好きになってくれたんだろう…まぁ(カムラ)イイ奴だけど…食卓に用意された三文治(サンドイッチ)を食べつつ首を傾げる大地(ダイチ)


朝食を済ませて、お茶を淹れ、一息ついたら良い時間。鞄を提げ家を出ると、夜中に空を覆った雨雲はすっかりどこかへ消え去り路地に太陽光が射し込んでいた。広場へ抜ければ頭上にはうっすら虹が架かった晴天。


なんかラッキー、大地(ダイチ)はクスリと笑う。


跳房子(けんけんぱ)の要領で泥濘(ぬかるみ)を避けつつ学校へ。

学校と言っても九龍城砦に義務教育の概念は存在せず、有志や教会がやっている寺子屋がチラホラあるのみ。本格的な教育機関へ通おうとするなら香港まで行くのが必然だ。


でも、‘何を勉強したい?’って訊かれると、難しいな。


自分に出来ること…さしあたり、仲介屋もどき(・・・)はやらせてもらっているけど。 

なんにしろ、みんなの役に立ちたいな。早くもどき(・・・)を取り払いたい。香港で勉強した方が役に立てるのかな。香港あんまり行ったことないんだよな、(イツキ)に話聞いてみようかなぁ。考えつつ水溜まりを飛び越す大地(ダイチ)、目的地はもう目と鼻の先だ。


寺子屋に着いたらいつもの席に腰を下ろす。1時間、2時間、お昼を挟んでまた1時間。

授業はけっこう楽しい。知らないことを沢山学べる、眠くなるような話も(たま)にはあるが、(おおむ)ねワクワクするものばかり。知識が増えれば世の中の見方も変わるのだ───などとちょっと大袈裟な事を大地(ダイチ)が思っていると、ポケットの携帯が震えた。

(イツキ)からメッセージ、帰りに順光楼の近くの班戟(クレープ)屋に行こうという誘いに即オーケーの絵文字を返す。スイーツ大好きな年少組。


甘いものといえば、ここのところ欠席が続くクラスメイト、両親が駄菓子屋さんを始めたから手伝いで忙しいって言ってたな。空いている椅子と机を眺める大地(ダイチ)


学校へ通わず家業を手伝う子供も多く存在し──ただし中流階級以上に限る、それ以下では家族など居ない子供が圧倒的多数──城塞内で主流の仕事といえば食品製造。麺作りや豚肉の塩漬け作り、叉焼、魚のすり身餃子にイカ団子。例のクラスメイトの家は製飴業。砂糖を溶かして飴にして、伸ばして切って、丸めてコロン。

前に様々なお菓子に使われていたピンク色の万能着色剤に水銀が混ざってたとかで、(カムラ)が慌てて台所の棚を全部引っくり返したことがあった。隠してたガムが1つ残らず捨てられちゃったっけ。他にも政府の基準から外れた成分がなんだとかかんだとか。食べちゃえばわかんないけど、駄目なんだろうな、身体に悪くて。大地(ダイチ)がぼんやり考えていると教師が終業を告げる。あれ?もうそんな時間か。


同級生に手を振り建物から出ると、既に(イツキ)が迎えに来ていた。天気もいいし班戟(クレープ)買ったら散歩しない?との(イツキ)(げん)に頷く大地(ダイチ)。道中様々なお菓子の話をし、(マオ)から貰った曲奇(クッキー)が美味しかったから香港に新作探しに行きたい、と発する(イツキ)大地(ダイチ)は大賛成。早速今週末2人で遊びに行く予定を立てた。ついでに後で【宵城】にその曲奇(クッキー)取りに行こう、まだ余ってたしとの(イツキ)の提案にも大地(ダイチ)は首をブンブン縦に振る。


「俺、香港ほとんど知らないから超楽しみ!(イツキ)は住んでたんでしょ?」

「住んでたってほどでもないけど。あんまり家から出なかったよ」

「学校とか行ってなかったの?」

「全然。ていうか、学校通ったことあるの大地(ダイチ)だけじゃない?」


その(イツキ)の発言に大地(ダイチ)は面食らう。


確かに(カムラ)は行ってなかったな。けど(アズマ)はすっごい薬に詳しいし、(マオ)も大きなお店を経営してるし、(ゴー)は滅茶苦茶なんでも知ってるし。てっきり全員ちゃんと…ん?そうなると九龍(ここ)で生きていくのには関係ないのか、学校とかって?じゃあどうしてみんな俺に寺子屋通いを勧めてくるんだろう。

考え込む大地(ダイチ)に、大地(ダイチ)の世界が広がって欲しいからだよ、と(イツキ)


「いっぱいある中から大地(ダイチ)がやりたいこと見付けてくれたらいいなって」


道が(せば)まらないように。選択肢は多いほうがいい。大地(ダイチ)のやりたい事はもはや‘仲介屋’から動かないのだが、それにだって、思いがけない知識が思いがけない形で力になるかも。何だって勉強しておいて損はない。

(カムラ)が小言をいうのはそのせいだ。口煩(くちうるさ)いと感じる時もあれど、大地(ダイチ)を大切に想うが(ゆえ)。わかってはいる、しかしそれでも、宿題をやったやらないで今夜も揉めることは大地(ダイチ)には予想がついていた。相容れない保護者とティーンエイジャー。


順光楼で何種類もの班戟(クレープ)を買ったのち、近くの丘までピクニック。(カムラ)が要人警護のバイトをした際に初デートに選んだ丘らしい…いやデートじゃなかったっけ…?大地(ダイチ)(イツキ)に問えば(イツキ)は‘デートだよ’と断言。

(カムラ)って(ヨウ)さんとの事あんまり教えてくれないんだよね、俺色々聞きたいのに。と大地(ダイチ)はブーたれるも、あの夜この場所が血の海に変貌したとは多少言いづらい(イツキ)は黙って唇を一文字に結ぶ。


小高い山頂に着くと、(きら)めく夕日が九龍を包み込んでいた。眼下に広がる違法建築はデコボコと不格好だが、オレンジの光を浴びて輝く姿は幻想的でもある。ここが東洋一の犯罪都市などとは到底思えない景色。


「綺麗だね」

「うん」


(イツキ)の言葉に大地(ダイチ)は頷く。


ひとつひとつの建物や窓の中に誰かが暮らしている。これから知り合う人もいるだろうし、一生巡り合わない人もいるだろう。すれ違うだけの人も、すれ違いすらしない人も。それぞれ人生があって、その全てが九龍城を形造っている。

一度入ったら二度と出て来られない魔窟などと揶揄される──そりゃ確かに事件は多発し死体ばかり転がるが──けど、大地(ダイチ)を取り巻く人間は温かい。運が良かっただけかも知れない…だとしても。


黄金色の城塞。





俺、やっぱこの街、好きだな。





みんなと居る九龍城(ここ)が好きだ。そう思い、班戟(クレープ)を口に運びつつ大地(ダイチ)は目を細める。

と、トッピングのマシュマロがポトッと足元に落ちた。それを追った視線の先で、路傍に黄色い花が咲いているのを見付ける。葉っぱが左右から2枚でクルンと茎を覆っており、まるで金髪の小人が着物を羽織っているかのようだ。大地(ダイチ)はしゃがんで指を伸ばす。何かこれ───…


(マオ)みたい」

「ね!思った!」


隣に座り込む(イツキ)の台詞に同意して笑う大地(ダイチ)(マオ)の部屋に今ちょうど花瓶があるよと(イツキ)が言うので、大地(ダイチ)は花を(マオ)へのお土産にしようと、そっと手折(たお)って班戟(クレープ)の紙で包んだ。


日が落ちきる前に2人は高台を下って街を抜ける。【宵城】に到着すると、事前に(イツキ)から連絡を受けていた(マオ)曲奇(クッキー)缶を用意して待っていてくれた。ニコニコと満面の笑みで花を差し出す大地(ダイチ)(マオ)は何とも言えない顔をしたが、黙って花瓶──もとい紹興酒のミニボトル──を顎で示す。大地(ダイチ)はそこに水を汲み花をさした。(イツキ)が若干羨ましそうな表情、花瓶が欲しくなったのか。


それから(イツキ)に送ってもらった大地(ダイチ)が自宅まで帰り着くと、(カムラ)がキッチンで夕飯の準備をしていた。(マオ)に貰った曲奇(クッキー)の缶を開いて見せる大地(ダイチ)だが、(カムラ)は良かったやんと言ったものの手を付けようとしない。


最近(カムラ)はダイエットをしている。ピンときた大地(ダイチ)は人差し指を顔の前に立てた。


「わかった。デートの予定があるんでしよ、(ヨウ)さんと」

「えっ!?」


(カムラ)の声がわかりやすく裏返る。


今日、ピクニックへ行ってその話題に触れたから思っただけなのだが…見事に的中。アタフタする(カムラ)を横目に大地(ダイチ)がテレビの電源を入れると、タイミングよく(ヨウ)が映った。


「あれ?新しいCM(やつ)だこれ」


呟く大地(ダイチ)(カムラ)も画面を覗き込む。化粧品のコマーシャル、赤いアイシャドウに赤い口紅がよく似合っており、色っぽくて素敵だ。

大地(ダイチ)は隣の(カムラ)をチラリと見やる。固まってる固まってる。面白い。


「ランニングとかするなら付き合うよ?」


お腹をプニッとつまみながら大地(ダイチ)が言うと(カムラ)は正気を取り戻し、いや、うん、まぁ、せやなと唇をモゴモゴ動かす。

スクリーンの向こうで嫣然(えんぜん)と微笑む(ヨウ)。その(かたわ)らにポチャッと立つ(カムラ)を想像して、大地(ダイチ)はまた、シシッと笑った。




混沌の街にそよぐ夜風。平和に、緩やかに、今日も九龍の夜はふけていく。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ