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九龍懐古  作者: カロン
日常茶飯
162/492

艇仔粥と九龍散歩

日常茶飯1






起きたら昼だった。




寝具を払いベッドを抜けだす(イツキ)。その視界に、カウンターでテレビを見詰めながら競馬新聞を握り締めている(アズマ)がうつる。

…これは多分、4連単、外す。(イツキ)は何となく思いつつ顔を洗って歯磨きをし、キッチンにあった油炸鬼(あげパン)を齧った。

今日は──というか割と毎日──特にする事が無い。花街の方に出来た新店のご飯屋でも覗こうか。画面とにらめっこしている(アズマ)に一声掛け、家を出る。


建物の屋上まであがると晴れた空が広がっていた。遠くで吠える獅子山(ライオンロック)。クルッと街を見渡すと花街は眠りから覚めていない様子、近所まで行くし(マオ)(ところ)も寄ろうかと考えたが───まだ寝てるかも知れないな。とりあえず微信(チャット)を送るにとどめ、それから目的地へ足を向けた。


のんびり屋上を渡っている(あいだ)、頭スレスレを何度も飛行機が通り過ぎる。窓から外を見ている乗客と目が合うんじゃないかってくらい近い。轟音が響く度、数百と立ち並ぶアンテナの隙間を縫って遊ぶ子供達が耳を塞いだ。


違法建築から違法建築へ歩く、歩く、(たま)に跳ぶ。全てのビルが隣接していて、エリアの端から端まで1度も地に足をつけず横断する事も出来る。…縦断か?まぁどちらにせよ。多分どっちも出来る。


(しばら)くしてお目当ての料理屋近辺に到着し、(イツキ)はビルから生える看板や室外機を足がかりにトントンと下へ降りた。内階段を使ってもいいのだが、やたらめったら遠回りになる可能性がある。

階段では出口まで一直線に繋がらないのだ。いつの間にか違う建物になっていたり知らない家に辿り着いたり、とかく迷路の様な構造を全て把握するのは至難の業。路地や部屋や人の数も多過ぎる。その点、外壁をそのまま(くだ)れば迷子になる心配は皆無。問題は万人に推奨できる方法では無いということか。


水溜まりを避けて土を踏む。4階あたりで、壁を伝う水道管が割れているのを見た。

住人は水源確保の為に好き勝手パイプを繋いでいる。管理体制は杜撰(ずさん)、城塞福利がメンテナンスを頑張っているらしいが、九龍城の規模の大きさに全く追い付かないのが現状。建物内にも関わらず水が降ってくるので郵便配達員なんかは場所により傘をさして移動する。城塞はいつでも雨模様、手紙が濡れたら一大事。




「あれ?」


食事処に入った(イツキ)は声を上げた。テーブル席に大地(ダイチ)燈瑩(トウエイ)がいたからだ。(イツキ)に気付いた大地(ダイチ)は嬉しそうに手招きし、身体をズラして長椅子のスペースを空ける。呼ばれるままに腰をおろす(イツキ)


大地(ダイチ)、学校は?」

「お昼休み!(ゴー)が近くに居てね、新しいお店行きたいって誘ったら来てくれたの」


質問に明るく答える大地(ダイチ)燈瑩(トウエイ)(イツキ)も何か頼みなよとメニューを渡してくる。これは奢りの予感…でも毎度申し訳無いな、控え目に食べようか…。(イツキ)が悩んでいるとそれを察した燈瑩(トウエイ)が、気にしないで好きなだけ食べていいからまた今度仕事手伝ってと微笑む。

さっき家で油炸鬼(あげパン)をつまんだせいでちょっと(かゆ)が食べたくなっていた(イツキ)は、お言葉に甘えて艇仔粥を選択。あとはデザートを片っ端からいった。卓に運ばれてきた馬拉糕(カステラ)大地(ダイチ)と半分こしている(イツキ)を目にとめ、もう1個頼めばと鴛鴦茶(ユンヨンチャー)を啜る燈瑩(トウエイ)。言われた通りもうひとつ注文して今度は燈瑩(トウエイ)に半分わけると、そういうことじゃないと笑われた。


お腹が膨れた頃に(マオ)からの返信。今起きたらしい。学校へと戻る大地(ダイチ)と付き添う燈瑩(トウエイ)へ手を振り、(イツキ)は開店記念品として配布されたミニ紹興酒の瓶を持って【宵城】に向かう。いつも通りのルートで天守を駆け登り朱塗りの露台へつくと小窓の鍵は既に()いていた。


「おはよ(マオ)。これお土産」

「お、サンキュ。新店の飯旨かった?」


(イツキ)が部屋へと入りチマッとした酒瓶を見せれば、可愛いじゃんと言って受け取った(マオ)は栓を抜いて一息で飲み干した。飯は旨かったかとの質問に頷く(イツキ)


「お前ら夜は【東風(いえ)】にいんの?」


その質問にも(イツキ)は頷く。冷蔵庫の食材使わなきゃ!とか(アズマ)が言ってた気がする、今夜は外食しないだろう。ふーんと相槌を打った(マオ)は、引き出しから何やら紙を1枚取り出して(イツキ)に投げる。


「んじゃこいつ(アズマ)に渡しといて。あとコレ、お前にやる」


受け取った紙より、(マオ)がテーブルに置いたコレ(・・)の方に(イツキ)の視線は釘付け。コレは…尖沙咀(チムサーチョイ)にある有名スイーツ店の、限定曲奇(クッキー)詰め合わせ缶じゃないか。なかなかお目にかかれない入手困難な代物。紙を雑にポケットへ突っ込み、(イツキ)は大事そうに曲奇(クッキー)の缶を両手で抱えた。


「ジジィが送って来てな。キャストにはもう配ったから残りは持ってけよ」


(マオ)が部屋の隅の段ボールを指差す。中には(イツキ)に寄越した物と同じクッキー缶がいくつも入れられていた。

ジジィとは香港に居る元【酔蝶】のオーナーの事で、孤児院で祝日などに配布するお菓子を購入した際にこうして(マオ)にもお裾分けしてくれるらしい。テメェの息子(ガキ)じゃねぇっつのと(マオ)はボヤくが、表情は満更でも無さそうである。(イツキ)がありがとうと礼を言えば、(マオ)様優しいからねと城主は欠伸した。


いくらか雑談を交わし、(イツキ)は暗くなる頃に花街をあとにする。行きと同じく屋上から屋上へ。街のネオンや家の明かりが輝き華やかに彩られる要塞、東洋の魔窟などと呼ばれ全く否定も出来ないが、なんだかんだで綺麗だよなと思いつつ夜景を楽しむ帰り道。


【東風】の扉を開けるやいなや良い匂いが鼻をくすぐる。(アズマ)が夕飯を作りはじめていた。


「おかえり、ご飯屋さんどうだった?」

「美味しかった。大地(ダイチ)燈瑩(トウエイ)が居た」


台所から響く(アズマ)の声に返事をしつつ、(イツキ)(マオ)から貰った曲奇(クッキー)を棚のはじっこによける。まだ手を付けてはいけない、我慢して食後のデザートにするのだ。


本日の料理は余り物食材のごった煮生滾粥。お粥三昧の1日、これはこれで贅沢。テレビを観賞しながら食卓を囲んでいたら画面に(ヨウ)が映った。化粧品のCM、赤いアイシャドウに赤い口紅がよく似合っていて色っぽい。(カムラ)が見たら倒れるんじゃなかろうかと(イツキ)が思っていると、横で(アズマ)が‘(カムラ)が見たら倒れんじゃねーの’と言った。

粥をペロッと平らげて満足気な(イツキ)は例の曲奇(クッキー)をいそいそと持ち出す。(アズマ)があら素敵、どなたから頂いたのと茶化した。


(マオ)から貰った」

「えっ、(マオ)から!?会ったの!?」


途端に焦る(アズマ)。そういえば、他にも何かを預かった気がする…(イツキ)はポケットをまさぐった。クシャクシャの紙切れが1枚。


「忘れてた、(アズマ)にこの紙───…」


言い終わるより先にバンッと入口のドアが開く音がして、飛んできた物体が(イツキ)の手から紙を巻き上げ(アズマ)(ひたい)にヒットした。



下駄だ。



(アズマ)が椅子から転がり落ちる。(イツキ)がヒラヒラと宙を舞う紙に視線をやると、丸っこい字で数字が羅列してあった。なるほど…請求書だったか…納得する(イツキ)の横を(マオ)がズカズカと通り過ぎ、空いた椅子へドカッと座って足元の(アズマ)を踏んだ。


「金」

「無いです」


端的に要求する(マオ)に短く答える(アズマ)。昼間競馬負けたんだよと(イツキ)が口を挟めば驚いた(アズマ)が何で知ってるの!?と起き上がりかけたが、(マオ)に再び秒速で踏まれた。


「テメェが勝ったか負けたかは関係ねぇな」


ドスのきいた声で吐き捨てる(マオ)に米無しでは飯は炊けないと(アズマ)は抗議したものの、米が()ぇのはテメェのせいだろと一蹴される。

モシャモシャと曲奇(クッキー)を口に含んでそれを眺めていた(イツキ)だが、お腹がいっぱいで眠くなってきた。俺先に寝るねと席を立つと置いていくなと懇願する(アズマ)に足首を掴まれたが、その手をまた(マオ)が踏んでくれたので無事に寝室へと引っ込むことに成功。


シャワーと歯磨きしなきゃな、でも眠いな、仮眠してからでいいかな、寝たら起きない気もするな…ベッドに倒れ込んでうつらうつらと考える。

明日は尖沙咀(チムサーチョイ)に行こうかな。あの曲奇(クッキー)を食べたら他のお店の新作も気になってきてしまった。けど順光楼にできた班戟(クレープ)屋もいいな、あそこなら遠くないし、学校帰りの大地(ダイチ)を誘っ…て……。


部屋を抜ける生温(なまぬる)い夜風。ガシャンパリンドゴッと店内から聞こえる騒音をBGMに、枕に顔を埋めて、(イツキ)は目を閉じた。



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