チョコレートと火達磨
千錯万綜6
夕暮れの九龍城、燈瑩は寺子屋付近で煙草をふかしていた。
しばらく続いた【宵城】通い──というと如何わしく聞こえるが──も終了し、目下の予定といえば大地を迎えに行ったり蓮の店で夕飯を食べたりとのんびりしたものばかり。街の雰囲気は相変わらず最悪だけれど、いくらか平和な日々を過ごしていた。
────つい数刻前までは。
最近は台灣との取り引き避けてたんだけど…いや別に最近の件とも限らないか、全然見当つかないな…。考えながらフィルター近くまで燃えた吸い殻を揉み消す燈瑩に、建物から出て来た大地が手を振って駆け寄る。
「哥!来てくれたの?」
「時間あいたからね」
大地へ笑いかけつつ燈瑩はそれとなく周囲を見渡した。どうやらまだ仕掛けてはこなさそうだ、動向を窺っているのか人数を集めているのか…何にせよ、このまま大地を家に送る訳にはいかなくなった。住居がバレるのは得策ではない。
【宵城】で時間を潰して、暗くなったら自分1人で相手をしに行くか。そう結論づけると微笑んで口を開く。
「あのさ、猫の所に寄らない?お得意様に配る用でホテルの新作チョコ買ったらしいからつまみに行こうよ」
「え、行く!猫って新作はいっつも1番高いやつ買うもんね!この前もさー…」
大地は即座に承諾し、楽しそうにおやつの話を開始。街を包む喧騒の中、2人は会話を弾ませながら【宵城】へ向かった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「超美味しい!」
「なんで仕入れたの知ってんだ」
「キャストの娘達から聞いた」
お馴染み朱塗りの天守の中。
チョコレートを頬張る大地、悪態をつく猫、笑って答える燈瑩。テメェに呑ますと売り上げ立つけど情報筒抜けんのが難点だなと、猫はパイプの煙を燈瑩に向けてポポッと吐いた。
たわいもない雑談をしているうちに窓の外の陽は違法建築の向こうへと消えていき、月明かりとネオンが城塞を彩る。時刻はそろそろ夕飯どき。
おやつをペロッと平らげた大地が、ご飯食べに行く?と燈瑩に疑問を投げるも、燈瑩は眉を下げごめんねのポーズ。
「実は仕事がまだ終わってないからさ、あとで合流するよ。先に猫と一緒に蓮君のとこ行ってて。ね?」
その言葉に猫は一拍置いてから‘あっそぉ’と呟く。【宵城】を出ると大地と猫は蓮の食肆へ、燈瑩はとりあえず逆方向へ。
貧困区からスラムへと抜け、あえて人気のない路地を選んで歩き、売人や薬物中毒者を横目に暗がりを進むとこぢんまりとした広場に辿り着いた。突き当りで後ろを振り返る燈瑩。
通ってきた道から、後を追うようにワラワラと男達が向かってくる。5人…10人…?まぁ何人でもいいが。
居ることはわかっていた、なので大地を家に送るのはやめにして【宵城】に連れて行ったのだ。心当たりが多過ぎてどのグループかは不明だったが…ザッと見回してみると、どうも知らない顔ばかり。台灣からシマを取りに来たご新規さんだろうか。
燈瑩が懐から素早く銃を抜き路地の入り口を撃つと、警戒した男達が足を止める。弾は転がっていたドラム缶に当たり、中から漏れ出した液体が地面や周辺に散らかるゴミを濡らしていく。
男達は距離を保ったまま各々思い思いの武器を構え始めた。反対に、燈瑩は一旦銃を降ろし正面を見据え落ち着いた口調で話しだす。
「退いてくれるってことはなさそうだね」
「お前こそ、大人しくした方が身の為なんじゃねぇのか」
返答してきているのはチンピラ共の中心に陣取る男、このグループのヘッドか。
「大人しくしようがしまいが同じ事でしょ?どうせ俺を殺すつもりなんだから」
「シマの拡大に協力的だっていうなら、生かしておいても構わないんだぜ」
男の現実味のない言葉に燈瑩は笑った。
だったらもっと根回しをして懐柔すべきで、こんな明白なやり方じゃ手を貸すも何も無い。あまり計画性のある連中ではないのだ…正直、ターゲットを殺してルートを奪うのが関の山のはず。
でも、無駄話に付き合っているところを鑑みると半分は本音なのか?それとも殺る前に情報を引き出したいってだけかな?そんなような事を考えつつ、燈瑩はおもむろに煙草を取り出し1本口元に運び、柔らかい口調で訊いた。
「協力するとして何すればいいの?」
急に投げられた燈瑩の疑問に、チンピラ連中は答えに窮する。キッチリとした回答はない様子だが、実は燈瑩にとって取引内容はどうでもよかった。今重要なのは別の事…黙って時間が流れるのを待つ。
少しすると、どこそこのルートを寄越せだのあの界隈の客を譲れだの陳腐な文言がツラツラ並べ立てられたが、特に文句をいうこともせず燈瑩は頷いて全てを聞いた。
素直に耳を傾ける燈瑩にチンピラ達は若干緊張を弛め、一触即発の空気が和らぐ。
リーダーらしき男は随分とよく喋ったあと、銃を構え直して再度質問。
「協力するのかしないのか、答えろよ」
「ん?んー…そうだね。俺の答えは…」
気の無い返事をし、燈瑩はくわえていた煙草にジッポで火を点けた。
そして───笑顔を貼り付けたまま、男達に向かってそのジッポを放り、呟く。
「これかな」
気付いた時には遅かった。
話し込んでいる間に、ドラム缶から零れ出した燃料は捨てられていたチラシや衣類、男達の服に染み込んでおり、そこに放り込まれたジッポから瞬く間に引火。辺りは一瞬で火の海に包まれた。
夜の暗闇に対してやたらと明るい炎が男達の全身を舐めあげ、無数の火達磨が其処彼処でのた打ち回る。後ろの方にいたチンピラ達はギリギリで難を逃れたが、間髪入れず響いた乾いた発砲音と共に頭から血を吹き出して倒れていった。
飛び散る火の粉、呻き声、広がる阿鼻叫喚の地獄絵図───不幸にも最後に残された1人の目に、にこやかに歩み寄ってくる燈瑩の姿が映る。煙草をふかしながら燃え盛る広場を縦断する燈瑩は足元で蠢く男達には見向きもしない、しいていえば肉が焦げ付く匂いにほんのわずか好ましくなさそうな表情をしていたか。
「ねぇ。ちょっとだけ質問してもいい?」
頽れる男の鼓膜を、場に似つかわしくない柔和な声が揺らす。それからもう一度銃声が鳴り渡る迄の時間は、然程長くなかった。




