宅飲みと鼻歌
千錯万綜４
それからというもの、夜は皆で蓮の食肆で食事をするのが新たな日課に。
食べ終わると燈瑩は【宵城】に、猫は繁華街へ向かい、藍漣も飲みに出掛けてしまう事が多い。樹は上と大地に散歩がてらついていき近所まで送り届けた後、レジ締めなどを手伝っている東を拾うべくまた蓮の食肆に戻ってくるルーティーン。
今宵も護衛の役目を済ませた樹が食肆へと帰還すると、飲みに出たはずの藍漣が店内の席に座っていた。厨房に話し掛けては愉快そうに笑う…何やら東をからかっている模様。
「藍漣、飲み行くのやめたの？」
「おう、おかえり樹。週末だからどこも地味に混んでてさ」
残念だねと呟く樹に、賑わってんのはいいことだと藍漣は目を細める。掛け時計の針は天辺をこえるあたり、蓮と東も全ての作業を終え最後の掃除をしていた。
「じゃあ今日は一緒に家帰る？」
「帰る帰る。東が嫌がるけどな」
椅子に腰を下ろして問う樹へ藍漣がニヤリとする。嫌がってないでしょと奥から声を飛ばす東に、じゃあなんだよその塩対応と藍漣も声を飛ばし返した。
確かに普段の東であれば、女性と見るや否や褒めてみたり口説いてみたり尻を追いかけ回したりしているはず…藍漣への態度はどうも何かが変だ。お茶を運んできた東のフードの紐を引っ張る藍漣。
「お前、女好きって話だろ？」
「まぁ…間違ってはないけど…」
「気ぃ遣ってるんじゃないの」
女好きを特に否定しない東だが、その後の樹の言葉には少し焦った様子をみせた。藍漣がすぐさま樹へと振り向く。
「誰に」
「藍漣に」
「何で」
「わかんない。東、何で？」
そんな気はしたものの明確な理由はわからないので、樹は直接東へ訊いてみた。東は肩を竦めて答える。
「遊ぶのと住むのとじゃちょっと違うから」
その仕草を見た藍漣は目を丸くし、弾けるように笑った。
「なんだよ！可愛いな東！」
真面目かよと肩を震わす藍漣にきまり悪そうな顔をする東。
チャラチャラと艶聞を流してばかりいるが、いざそういう関係になると意外に礼節を重んじるのかも知れない。東って割とそういう所あるよねと樹が言うと、東はますますきまり悪そうな顔をした。
【東風】帰宅後。早々にベッドにダイブする樹と、東に酒を要求する藍漣。
猫に続いて酒呑みが増えてしまった…戸棚を開きストックを確認する東。まだいくらかは保ちそうだ、俺も飲んじゃうか？蓮のところでは飯だけだったし───そう思い、適当なコップを２つ用意しカウンターに並べる。
「なに、東も呑むの」
「たまにはね」
「樹は？」
「寝た」
寝室を覗き込む藍漣に、東がグラスへ紹興酒を注ぎつつ答えた。耳を澄ますと樹の微かな寝息が聞こえる…おやすみ３秒だ。
くだらない話やどうでもいい話をして酒を啜る最中、順調に減っていく高級煙草を見やり東は頬杖をつく。
藍漣スパスパ吸うな…在庫足りないかも…部屋を包む茉莉花の香りをかぎながら藍漣の口元を眺めていた東だが、ふと、なんの気無しに疑問がわいた。
「てか藍漣、随分広東語上手いね。上海の出身なのに」
「ん？あぁ…昔な、同じグループに香港から来てた奴がいて。教えて貰った」
藍漣は、そのグループに小さい時から長い間身を置いていたらしい。反して、今回揉めて出てきたチームとは付き合いが浅く特段入れ込んだ様子もなさそうだ。
じゃあ前のグループに戻ったらいいじゃんと言う東に、無理だと藍漣は笑う。
「もう無いよ、全員死んだ。全滅」
藍漣は灰皿から白く立ち昇る煙を見詰め、紹興酒を一口飲んだ。唇を湿らすとまた話を再開する。
「兄貴がギャングでさ。親が居なかったから兄妹で上海の路地裏で育ったんだよ。で、ウチも兄貴と同じチームに入って」
中国都市部にもストリートチルドレンは山程存在する。政府が中央財政から支援金を投入したり救済センターを設けたりと対策を講じているが、正直焼け石に水だ。
「他人から見たら可哀想な子供だろうけど…ウチは楽しかったよ、毎日バカやって。でも段々マフィアと揉め出して、弟分とか殺されちまってな。そんで最終的に派手にドンパチかましたんだわ。敵の方が全然戦力が上なのわかってたのに」
悪事で生計を立て、裏社会と揉める。よくある話。しかしそういった人間達は往々にして絆が強い事が多い。藍漣の兄も、相手が格上のマフィアとはいえ、仲間が受けた扱いがどうしても許せなかったのだろう。
「藍漣は大丈夫だったのかよ」
「置いて行かれたからね。兄貴、いつが決行の日だかウチに隠してて」
返答を聞いて、訊ねなくてもよかったかなと感じた東の内心を見透かす様に、気にすんな古い話だと藍漣は片頰笑む。
「そっからずっと転々としてて…別に決まった居場所もないんだよな」
フウッと紫煙を吹くと、おかわりくれよとグラスのフチを叩く藍漣。東は何も言わず酒瓶を持ち上げる。トクトクと小さな音がして、琥珀色のアルコールがガラスを満たした。
「…俺も、全滅したよ。同じ村の奴ら」
言いながら手酌をしようとする東から藍漣は素早く瓶を奪い、代わりに酒を注ぐ。東は礼を言って、それから、過去の出来事をかいつまんで語った。
「今はみんなが居てくれるけどね」
「なら良かったじゃねーか」
柔らかい表情で締め括る東に、内容については触れず、ただ頷く藍漣。だからさ、と東が続ける。
「藍漣も好きなだけ居ていいよ」
少しの沈黙。あえて視線を下げている東の瞳を藍漣はニヤニヤしながら上目遣いで見た。
「‘暫く’からだいぶ昇格したな」
弾んだ声音を出す藍漣に、東も先程の言葉を真似て、良かったじゃないのと笑った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
数日後、真夜中、路地裏。
「♪〜、♫〜…ん？次なんだっけな…」
鼻歌の途中、歌詞を思い出そうと猫は斜め上に視線を向けた。そもそも空覚えなので、考えても出てはこないのだが。
「♬〜…違うな、♪〜…？」
歌いながらのんびり薄暗い通りを歩く。何軒か飲み屋を回った帰り道、丑三つ時の九龍に人影は皆無。
しかし────人影は無くとも、人の気配はあった。
それを感じ取ると軽く周りを見渡してルート変更する猫。広くても狭くても動きづらい、ちょうどいいのは龍津路らへんだろうか。
ダラダラ進んで目的地へ着くと足を止めて、気怠そうに首を回し開口。
「おい。コソコソしてねぇで出て来いよ」
張り詰めた空気。生温い風が、城塞に混沌を運んだ。
