ベッドとブレックファースト
千錯万綜3
「B&Bか何かか?ここは」
こないだまで飯屋だった気がするけど、と東を踏みつけながら猫が吐き捨てた。実際は薬屋なのだが。
「違うよ?ウチ金払ってないもん」
「そういう意味じゃありません…」
燈瑩に煙草をわけながらあっけらかんと答える藍漣。東は猫の足の下からうっすら反論するも無視をされ、樹は煙草足りなかったらもう一箱あるよと戸棚の隠し扉を引く。東がギャッと小さく鳴いた。
今日は【東風】は閉めておくと朝から言い張っていた東だったが、聞く耳を持たない藍漣が開けねぇと湿気篭るぞ九龍ジメジメしてんだからとシャッターを上げると、正に丁度東が閉めたがっていた理由──猫──が借金の取り立てにやってきたところだった。
それから寺子屋終わりの大地と合流した上に蓮の店で食べ物を買ってきた燈瑩も加わり、結局本日も【東風】はいつもの面子。
藍漣を見た大地がカッコいいねと褒めると、そういうお前は随分可愛いなと藍漣は笑った。実はもっと可愛くなれるんだよと大地は悪戯な顔をし【宵城】で撮った写真を披露、そこからどんどん盛り上がる会話に上は複雑な心境だ。
「藍漣は九龍に何しにきたわけ?」
「え?なにも?ここ面白いって聞いたから」
「えらい適当やな」
猫が首を傾げて質問すると藍漣も同じ動作。上が横で呆れた声を出す。
「いつもこうだよ。計画立てたことない」
「俺も!」
「大地は立てやんと駄目やろ」
藍漣の言葉に大地が素早く同意。それを見咎め、そういえば宿題やったんか、勉強も計画性が大事やでなどと父親感丸出しの発言をする上。
「過保護だなぁ上は!お前彼女とかにもそうなの?」
「え!?いやカノっ…カノジョ、は…」
カカッと笑って疑問を投げた藍漣に上はオタオタと慌てる。大地が藍漣を引き寄せコソコソと耳打ちをしだし、饅頭はやめろやめろと手をブンブン振った。
「つうか饅頭、光榮楼の店タタいた奴ら何で死んだんだよ」
「あ!それ!上、綾ちゃん今どこグェッ」
猫の言葉に上は眉間にシワを寄せ、殺った犯人はわからん、店の権利も宙ぶらりんのままやしとへの字口をつくる。東は五月蝿いのでもう一度踏まれた。
店を襲撃した人間は台灣からきた少人数のグループで、その辺りに縄張りを広げようとしたようだが───数日後の朝には全員揃って死体が裏通りに転がっていた。
親族や同胞のマフィアからの復讐とも言われているが真相は解明されずに、次の経営者はまだ名乗り出ない。浮いた経営権というオイシイ話にも関わらず誰も手を出さないのは、不穏な雰囲気が拭えないからだろう。
九龍ではそんな事件など取るに足らないが、街中至る所で抗争が爆発的に起きている現状人々が慎重になるのは至極当然。この件も単純にチンピラ同士の諍いではあるはずだけれど、警戒するに越したことはない。
舌打ちをして思案する猫。面倒なのは、オーナーではなく風俗店自体が襲われたという点。【宵城】は敵が乗り込んでくるには少々規模が大き過ぎるが…可能性が無い、ということも無い。既に光榮楼のみならず、同様のニュースは何件も耳に入っていた。
狙うなら個人的に狙ってほしい、その方が色々と楽だし、店の修繕費だって高いのだ。
こっちから餌をまくか?【宵城】城主の事は誰だって知っている。出来るだけ大きな魚が釣れると有り難いが───…
「てかこの飯旨いな、猫の食肆なの?」
蓮の料理を称賛する藍漣の台詞が聞こえて、猫は思考を中断させた。
「あ?そーだよ、気に入ったなら食いに行ってやると吉娃娃喜ぶぜ」
「吉娃娃?」
「へんがはひははひひへふはら」
「樹、なんて?」
吉娃娃が何のことだか知らない藍漣が訊き返すも、樹が口に食べ物を詰めたまま答えたせいで余計にわからなくなる。
「蓮君っていう子が廚師やってるんだけど、イメージ的に吉娃娃って感じなんだよね」
微笑んで代弁した燈瑩の顔を藍漣はジッと見た。そこそこの至近距離…不思議に思った燈瑩が眉を上げる。
「どうしたの」
「いや…お前が1番面が良いな」
「そう?」
藍漣の言葉にどうもと軽く礼を述べる燈瑩へ、上がスンとした表情で視線を向けた。
「藍漣もやっぱ燈瑩さんみたいな感じが好きなん?」
「ウチ?やだよ、こいつはモテるだろ。ウチは3枚目くらいが丁度いーかな」
言って、藍漣は床に転がる東を見やる。
ん?3枚目って俺のこと…?東は褒められたのか貶されたのかを判断しかねたが、とりあえず、ありがとうと答えた。
「お前ら、暇なら蓮のとこで夕飯食えよ。最近街が物騒で出歩く住人減ったつってな、アイツ売上表とにらめっこしてたぜ」
猫が東をフミフミしつつ提案する。
確かにここのところ夜の魔窟は以前に比べて静かだ。みな自衛し、暗くなってからの外出は控えている様子。飲食店の売上は落ち込んでいるのだろう…樹は二つ返事で了解、他のメニューに興味を持った藍漣も同意。東は弱々しく指でオーケーを作った。
「燈瑩はついでに【宵城】にも寄れよ。俺は飲み歩くから」
猫がパイプの先で燈瑩を指す。短い間の後、燈瑩がわずかに低い声で答えた。
「俺も飲み歩いてもいいよ?」
「いいから黙って高額伝票こさえてろ」
「カツアゲだね」
追い払うような仕草をみせる猫に笑って頷く燈瑩。
やり取りを眺めていた藍漣が、口元を覆う掌の下でこっそりと、緩く口角を上げた。




