無心とトラブル
和気藹々4
夕暮れの九龍城砦。上と燈瑩は廃倉庫に足を向けていた。
【宵城】での話し合いのあと、裏社会方面に顔が広い燈瑩に中継ぎしてもらい【飛鷹】と話をつけたのだ。多少揉めることも覚悟していたがすんなりと交渉は終わり、残るは渡す物を渡すのみ。
上は1人で向かうと主張するも結局燈瑩と2人で行くことに。間を繋いでおいて顔を出さない訳にもいかないし、などと燈瑩は言うが明らかに建前。
庇われている。いつまで経っても───悔しいなぁ、もう…。拳を握り締める上。
その様子が先日の大地とそっくりで、兄弟揃っての同じ仕草を微笑ましく思い燈瑩は目尻を下げた。
しばらくのち、【飛鷹】のメンバーが取り決めの時刻よりかなり前に到着。してもしなくてもいいような挨拶を交わし、二言三言立ち話をしたが、メンバーは早々に金を回収してこれでチャラだと言い残し去っていく。時間にしてものの3分程度。
いやにサッパリしている…引っ掛かりを感じて燈瑩は眉を顰めた。男達のソワソワした態度もそう。とっとと切り上げたいような印象、こちらが ‘貸付金’より上乗せして払ったとはいえ随分あっさり手を引き過ぎる。商品を横取りされたことへの嫌味も無し。
まるで───横取りされて良かったような。
なにもなく終わりましたねとホッと胸を撫で下ろしている上。違和感は拭い切れなかった燈瑩だが、とりあえず微笑み返し、上の背中をポンと叩き帰路につく。
温い風が九龍に夜を運んだ。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「これで一応落ち着いたはずやから。明日から猫んとこで働けるで」
燈瑩と別れ、家に帰りついた上が報告すると大地はガッツポーズをし寧は頭を下げた。
「あの、ほんとに私…ごめんなさい…」
お仕事頑張ります、ごめんなさい、ごめんなさいと呟く寧に大地は首を傾げる。
「なんでそんなすぐ謝るの?」
「だって…迷惑だから、私なんて…」
「迷惑じゃないよ、俺達───俺がやりたくてやってるんだから」
「別に俺達でええよ」
ほとんど自分の駄々だったかと思い言い直す大地に上が口を挟んだ。大地がありがとうと返事をすると、聞いていた寧が再びごめんなさいと発する。
「私…何も出来なくって…」
「そんなことないよ、最初の日だって犬捕まえてくれたじゃん」
「あれは偶々で…私役に立たないから…」
寧はやけに自分を低く見積もる。
今までの生活環境のせいだろうか?思考を巡らせる大地。詳細を訊いたことはなかったが…しかし、彼女から語られるまではそこに踏み込むのは違う気がしていた。
大地は寧に向き直る。気持ちを伝えて欲しいなら、まず、自分から伝えるべきだ。
「あのさ。俺、いつもみんなにすごい助けられてるんだよね。早く何か返したいんだけど、まだ全然何にも返せないし、心配ばっかかけてる。思うように行かなくてめちゃくちゃ悔しくてさ」
黙りこくる寧の手にそっと自分の手を重ね、言葉を紡ぐ。
「でも…俺にも出来る事が、出来てる事があるって、それもみんなが教えてくれた。寧もそうだよ。俺は寧と友達になれて良かった」
大地はニッコリ笑うと、重ねた掌に優しく力を込める。
「寧は俺の力になってくれてるし、これからだってまた誰かの力になれるはずだよ。今までのことは変えられないけど、今からのことは変えられるじゃん。だから一緒に頑張ろ」
寧の瞳が潤んだ。
大地の台詞には裏表が無い。いつだって素直で純粋で、明るく前向き。その姿は、大地が思っている以上に人の心を動かしていく。
寧は小さく頷き、うん、と微かに応えた。
「ねぇ上、明日……うわ何!?怖っ!!」
猫のバーに初出勤の寧を送っていこうよ、と言おうとして振り返った大地の目に飛び込む、涙と鼻水を流した妖怪の様な泣き顔の上。
「え、ええこと言うやん…グスッ…」
「普通じゃない?泣くほど?」
「いや、大地も…せ、成長じだんやなぁっで思っで…ズビッ…」
「するでしょそりゃ。鼻水拭いてよ」
一体なんなんだという表情で大地が上にティッシュを渡す。その様子を見ていた寧から、ほんのわずか、笑顔がこぼれた。
「あ!笑った!上もっと変な顔してよ、そしたら寧が笑う!」
「変な顔て…酷ない…?ズビッ」
大地の無茶振りに困惑する上、2人のやり取りにまた寧がクスッとする。初めて表に出たその寧の感情に、大地も満面の笑みを浮かべた。
翌日以降、バーの手伝いを始めた寧はよく働いた。言われた仕事は一生懸命こなし周りの人間からの評判も良い。
蓮の店のデリバリーも請け負い、話を聞いた樹が毎日デザートを全種類注文してくれる。おかげで東が金策に追われているがそこはまぁ誰の与り知るところでもない。
寧も環境に馴染んでいくにつれ段々と口数も増え、やっぱり自己肯定感は低いものの、年相応な一面も見せるように。
そんな日々が続いていたある日。
仕事帰り。いつもより退勤が遅くなってしまった寧がバーを出る頃には、九龍は暗闇に包まれていた。
上に連絡を入れようか迷ったが気を遣わせるのも悪いと思い直し、そのまま路地を走ってなるべく急いで家に帰ることに。
普段と同じ大通りを抜けようとして…やめた。手前の小道を曲がる。おそらくここを突っ切った方が早いのだ、これならグルッと街を回らなくても済む。
途中で大地からメールがきた。どこに居るか聞かれ壁に書かれた文字を頼りに場所を伝える。すぐに電話があり応答すると、焦った様子の大地の声。
「寧、誰かと一緒?」
「ううん…1人だけど…」
「わかった、その道まっすぐ来て!俺近くにいるから迎えに行く!」
通話を切って、考え込む寧。何かマズかったかな。走る速度を早める。
もうすぐまた大通りに出るはず。そうしたら大地と合流して────…
ふと誰かの足音が聞こえた。寧が後ろを向くと、見知らぬ男が立っている。
「え…あの…」
どうしましたか、と律儀に問いかけようとした寧に男が両手を伸ばした。後退る寧。
瞬間、頭上をなにかが通り過ぎて男の顔面にブチ当たる。──中身の詰まったゴミ袋だった。袋が破け、生ゴミを被った男が慌てる。
「こっち!!」
ゴミ袋を投げたらしき大地の声が響き、寧はその方向に駆け出した。大地は寧の手を取って裏道をジグザグに走る。体躯の小さな子供しか通れない路地、これなら追い掛けられる心配は無い。開けた場所にでると2人は道路にへたり込んだ。息を切らせながら大地が笑う。
「良かった、間に合って…。あの辺の道はさぁ…危ないから。通っちゃ、駄目だよ」
「ごめん…近道、かと、思って…」
寧も呼吸を整える。近道なら安全なのが他にあるから教えてあげる、と大地。ひと息ついてから上の電話を鳴らした。
「あっ上?お願い!迎えに来て!今花街。あの茶餐廳の近く。うん、寧も居るよ」
通話を終えた大地に寧が改めて謝罪を口にする。
「ごめんね大地、また迷惑かけちゃった」
「え?知らなかったんだから仕方ないじゃん。それより茶餐廳で夕飯食べて帰ろ!」
上説得するの手伝ってよ、夜の街は子供には危険だとか言ってすぐ帰りたがるからさぁと大地は舌を出した。その言葉に寧も笑って、何を注文するか相談しながら上を待つ。
なんでもないトラブル───そう思えた。
また、新たな事件が起こるまでは。




