【黃刀】と酒泥棒
一雁高空1
中国のとある片田舎の、剣術のとある流派の家系。親父は分家の生まれだった。
本家じゃなきゃ意味がない、そういうもん。だが親父には才があった。一族の誰をも凌ぐ剣の腕、それがまた、本家のヤツらを怒らせた。
親父は他の街から嫁にとった妻を早くに亡くし、家族は放蕩息子の俺1人。本家は村では権力があり、その機嫌を損ねたい者はおらず、疎まれている分家の人間に手を差し伸べる住人などは皆無。
俺たちは村八分だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「猫!!どこ行った!?出てきなさい!!」
父親の声を無視して猫は森を駆ける。
「出てくわけねぇだろバァカ」
今日は村の近くに商人の一団が来る。菓子や酒、煙草をくすねるのにこれほどの好機は無い。週に1度だけのチャンスである、むざむざ逃す訳にはいかなかった。稽古なんてかったるいことはやっていられない。
父親は猫の剣術の才能を買っていたし猫自身もそれをわかっていたけれど、流派の後継者になる気などさらさらない。そもそも本家の奴らが良しとするはずもなし、やるだけ無駄なうえに周囲に嫌われる一方。
それでも父親は毎日鍛錬を欠かさない。愚直な男である。
そんなんだから、遊郭で一目惚れした女を大枚はたいて足抜けさせ連れて帰ってくるんだ。たまたま相手も心根の優しい人物だったから良かったものの。
九龍の方へと用事で行った折、武術関係の仲間に誘われそういった店に初めて顔を出した父親は、そこで遊女をしていた母親に惚れ込み一晩のうちに口説き落として村に連れ帰ったらしい。
口説き落として、は、語弊があるか。頭を下げ続けてが正しい。
よくそんなことがまかり通ったなと猫は思ったが、本家の大きさのおかげで父親もいくらかまとまった額は持っていた。それを全て使い切ったのだとか。世の中積むもの積めば大抵の事は出来る、無法地帯の九龍でなんて尚更そうだ。
母親は出産後ほどなくして亡くなった。父親は今でもことあるごとに母親の自慢話をする。だが、猫はそれを聞くのは内心嫌いじゃなかった。
「お…居た居た」
商人の一団を視界に認め、猫は物陰に身を潜める。焦りは禁物。‘待つ’ことが1番大事なのだ。
商人達が荷物から離れる。今だ。猫は音もなく台車に忍び寄り、酒瓶と葉巻を素早くいくつか掻っ払った。一瞬のうちにその場を離れ、来た道を戻る。家に帰り着くと呆れ顔の父親に出迎えられた。
「すっかり忘れてた。今日は商人が来る日だったな」
「まだボケるには早ぇんじゃねぇのか、親父。見ろよ?上等だぜ」
言いながら酒瓶を掲げる猫に、父親はため息をつく。
「本当にお前は、誰に似たんだか」
「親父じゃなきゃお袋だな」
「じゃあそこは俺だな。母さんではない」
秒速の母親養護発言に、今度は猫が呆れ顔をした。何歳になっても親父はこうだ。全く…微笑ましい。猫は少し口角を上げた。
「いいから呑もうぜ。とっとと開けてやらねぇと酒瓶が可哀想だ」
「あんまり呑むと成長しなくなるぞ」
「関係ねぇよ、もう16なんだから今更だろ。それにウチはみんなチビじゃねぇか」
もともと小柄な家系、それゆえ身体が小さいことを最大限に活かした独自の剣術を編み出し名を馳せた。スピード重視の技の数々、居合を得意とするのもそこに理由がある。
「猫、お前ほんとに継ぐ気ないのか?」
「ねーよ。親父はいつまでやんだよ」
「うーん…俺はこれしかやってこなかったから…あ、最近剣を習いに来る子がいるんだよ。たまにだし、多分あんまり向いてないんだけど、良い子なんだ」
「やめとけ。バレたら本家の奴がうるせぇ」
「女性と子供には優しくするもんだぞ」
「出たよ、口癖。とっとと引退したらどうだジジィ」
チビチビと酒を唇につけつつ、父親は眉を下げる。
「生涯現役で頑張りたいんだけどなぁ。だって、母さんも‘剣を抜いてるお父さんカッコいい’って言ってた」
「あっそ。ならお好きにどーぞ」
「お前は何するんだ?猫」
「さぁ…決めてねぇけど…」
猫は酒を煽って月を見上げる。
毎日あちらこちらと周辺の村々へ足を運んでは、色に酒に博打にと遊んでいた。が、この周辺に別段面白いものはない。となるとここから離れ、行ってみたい場所…。
ひとつだけある。
母親の故郷だという九龍城砦。城塞内は東洋の魔窟などと言われ、薬に人身売買、殺人や抗争と悪い噂が絶えないが、だから何だというのだ。陰湿な嫌がらせしか出来ないようなこの村──ひいては本家──の人間に比べたら、堂々とブン殴ってくるだけだいぶマシなんじゃないか?マシの基準にもよるかも知れないけど。
「好きにしたらいいよ。父さん応援するから…グスンっ…」
「は?泣くなよ親父、訳わかんねぇな」
「お前…グスンっ…そうやってると、母さんみたいで…」
猫のポニーテールを指差し父親は鼻をすする。切るのが面倒だからと適当に伸ばして括っていた金髪。もとは黒髪だったけれど、つまらないのでなんとなしに色を抜いた。
すると、なんだお前!母さんの真似して!と父親がハシャいだ。見たことが無いのだから猫は知る由もなかったのだが、どうやら偶然カブっていたらしい。
長い金髪を束ね、月灯りの下で一献傾ける母さんは最高に綺麗だったんだぞと父親は誇らしげに語る。
「猫…大きくなったな、顔立ちも母さんに似て…グスン…」
「さすがに涙もろ過ぎだろ。歳食ったんじゃねぇのかジジィ」
確かに外見は父親にはあまり似ていない。息子は女親に似るっていうもんな、母の顔は知らないがまぁそうなのだろう。考えながら猫は、鼻水をかむ父親を眺める。
何も無くとも、不自由も無い。そんな何気ない日々をなんとなく生きていた。
それからほどなくして。
本家の当主が死去し、次代へ家督が継承されようとした時に、その事件は起こる。