挨拶回りと酔っ払い
旧雨今雨5
吊り下がるシャンデリア、ベロア調のソファ、煌びやかな装飾。
「金かかってんな」
約束通り訪れた皇家の店内、ウィスキーの注がれたグラスの氷を回しながら猫が呟く。
建物自体は居抜きか。綺麗なやつを選び、プラスで豪華そうな調度品をくっつける。突貫工事だが家具を並べるだけなら数日あれば出来るし、店を畳むときも簡単。
九龍城砦でこんな内装をした店はごく稀、この高級感に加え女性のレベルも高いとあらば会計をフッかけられたとしても渋々払う客も多そうだ。しばらくはそれで凌ぎ、さすがにボッタクリ過ぎだろうと叩かれる頃には閉めて次を開ける。サイクルはかなり短期。
金儲けだけを考えるなら作戦は悪くはない…そう思いつつ紫煙をくゆらす猫の横で、蓮がペロペロと酒を舐めている。その仕草に猫は、はたと気付いた。
「蓮、呑めねぇのか?もしかして」
「です」
「なんで水商売してんだよ」
飯作れんなら食肆でも行きゃ良かっただろと呆れ顔の猫に、僕はそうでも全員がスキルを持ってる訳じゃないので…とりあえず皆で稼げる仕事がこれだったんです…と蓮。
皆とは蓮のもとに集まった孤立無援の若者達のことだろう。蓮自身も若いが、それでも一応まとめ役として頑張っていたようだ。ションボリと丸まる背中はまだ幼い。
「シケた面すんな。上手くやってやっから」
そう猫が小声で言うと蓮は瞳を潤ませる。
まったく、つくづく甘いな俺も───内心でため息をついて猫はこめかみに指を当てた。
と、部屋のカーテンが開き、スーツに身を包んだ序列の高そうな男が姿をあらわす。
「お口に合いました?すみません、お待たせして」
男の言葉に猫は片頬笑み、軽くグラスを掲げて言った。
「こんないい酒出してもらったらいくらだって待てますよ…つうか、堅苦しいのはやめようぜ。仲良くしにきたんだから」
含みのある言い回し。スーツの男は一瞬考えたが、自身もソファに座りグラスを手に取ると猫と干杯をして口調を崩す。
「あの【宵城】の店主と蓮が知り合いだなんてな。おかげで良い縁が出来たよ」
「九龍で後ろ盾が欲しいっつうことか?俺ぁ別に力がある訳じゃねぇぜ。仕事の手伝いは出来るかも知れねぇけど」
猫は若干カマをかけてみた。まぁ、すぐ何かを喋るとは思えないが。
「後ろ盾というより、九龍一の店が協力してくれるなら心強いな」
「何でも言ってみろよ、俺もそれなりに手広くやってる。大体の事は融通きくぜ」
「女の子の紹介も?」
「店で使う女か?」
男は黙ったが、言葉の裏を読んでいるのが見て取れる。【宵城】は味方なのか否か?そもそもどこまで知っている?その疑問に答えるように、猫はもう一歩踏み込んだ。
「毎回入れ替えてりゃ足りなくなるよな」
かなりギリギリを攻めた台詞。部屋の空気が冷え込む。カラン、と氷が溶ける音がして、よりいっそう静寂が際立った。
男が重たそうに唇を動かす。
「あまり好ましくない、ってことか?」
「いや?いいと思うぜ俺は」
猫はあっけらかんと返した。
ここまでのやりとりで、てっきり猫が裏事情を握り文句をつけてくるのかと考えていた男は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。
仲良くしにきたって言っただろと笑う猫に、男はもう一度グラスを合わせて頷いた。
「しばらく通ってみてくれ。親交を深めるのは大切だ。金はいらない」
「払わせろよ、余ってるからな」
猫の返答に声を上げて笑う男。掴みは上々。
通ってみてくれとは、今この場では全ては明かさないということ。そりゃそうだ、まだお互い、どんな人間なのかも腹の内もわかっていない。
宜しくと言う男に猫も宜しくと返し酒を呷る。隣で蓮も同じ動作。こいつ、急アルで倒れたりしねぇか…?猫はその姿を横目で眺めた。
それから他愛もない会話をし、ウィスキーの瓶を空にしたところで会はお開き。気が向いたら【宵城】にも遊びに来てくれと男へ伝え、猫は蓮を連れ皇家を後にする。
「オロロロロ…」
「何で呑んだんだテメェは…」
路地裏にしゃがみ込んでウィスキーを吐き出す蓮を、猫は煙草を吸いながら見下ろす。だって僕もカッコつけたかったんですぅとベソをかく蓮。あっそと面倒くさそうに答え、猫は夜空に煙を流し思考を巡らせた。
店内をザッと見たが、メインで客の相手をしているキャストは九龍で捕まえた女達、レベルは総じて高い。サポートや裏方に徹している者はもともと蓮の店にいた娘達、まだ垢抜けておらず素朴。これならやはり需要が違いそうだ。
それに先日考えた通り、九龍で調達した人間と違い蓮の同僚というのは澳門から連れてきた勝手知ったる連中、店を回すにあたり役立つスタッフ。
そうなると、最後の最後まで手放さないな。時間の猶予がまだあるということ。懐に潜り込むには充分だ。
猫の服の裾を蓮が掴む。
「師範…」
「あ?」
「おんぶ…」
「馬鹿か」
振り払おうと足をブンブンする猫としがみつく蓮。ズリズリと酔っ払いを引きずりながら歩く【東風】までの道のりは、果てしなく長かった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
それから猫と蓮は皇家へと通う日々。様々な手土産も忘れない、東特製ハーブバッグなんかはそこそこ役に立ってくれた。持つべきものは違法薬師の友。
そうして信頼を得ていくと、段々と皇家は猫に他のビジネスの誘いをチラつかせるように。事は順調に運んでいた。
───そんなある日。