路地裏とケチャップ
十悪五逆3
「月餅美味しかったね。樹、あれどこで買ったの?見掛けないやつだったけど」
「旺角のお店。買うのにちょっと並んだ」
夕方の九龍、樹と燈瑩はスラム街の端で人気のないビルから裏道を見下ろしつつ雑談をしていた。
このあたりはよくドラッグの取引が行われる場所。探し回るより待ち伏せる方が効率がいいので、適当な箇所でそれらしい人物が来るのを待つことにしてから小一時間。
「わざわざ旺角に買いに行ったの?」
「猫にお使い頼まれたからついでに…あ、えっと、【宵城】の猫。燈瑩知ってる?」
「知ってる。10年くらい知り合いだよ」
「そうなの?」
聞けば、燈瑩が過去に仕事の一環で水商売店の集金をしていた時に顔見知りになったらしい。
当初猫は個人で派遣型の風俗をやっていた。
だが売り上げがあがり、形態が派遣型から店舗型にかわって、従業員も客も増え、更に売り上げがあがり、ますます従業員と客が増え、他店を買い取り、自店を増築し、あっという間に九龍最大の風俗店【宵城】を建てたということだった。
「東は猫から紹介されたんだよ。紹介っていうか、ある日【宵城】行ったら全裸の東が猫に正座で謝ってただけなんだけどね」
燈瑩が思い出し笑いをする。そしてその光景を思い浮かべるのは樹にとっては他易かった。
東はすぐ博打や女に金…全財産を使う。賭場で一文無しになるのは毎度のことだし夜の店で大盤振る舞いするのもお決まりだ。その日も【宵城】で散々遊んだはいいが、支払いが足りなくなりブチギレた猫に身ぐるみをはがされたんだろう。
何度やっても懲りないし、今回の件でもそういった女関係でのダラシなさから飛び火している。困った男だ…根はいいヤツではあるんだけど。
「東っていつもそう───あっ」
樹がため息混じりに呟くと同時に眼下の路地へ人影が現れた。年若そうなチャラついた男。誰かと落ち合う予定なのか、キョロキョロと辺りを窺っている。
あいつが例のグループの1人?
樹が視線で燈瑩に訊くと、燈瑩は、ビンゴ!といった顔で笑う。
「ちょっと、話掛けに行ってくるね」
その声のトーンこそ優しかったが、燈瑩の右手は既に内ポケットの拳銃へと伸ばされていた。
樹は、自分だったらあまり話掛けられたくないな、と思った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「誰か探してるの?」
陽がほとんど差さない路地裏、知り合いに挨拶するくらいの軽い口調で燈瑩がチャラついた男へと声を掛ける。
と、男は答えもせずに、すぐさま銃口を突き付けてきた。
「…いきなりだね」
燈瑩は薄く笑って、向けられた銃を観察した。
俺の売ったやつ…か?
消音器がついてる。この銃の消音器つきは仕入れた覚えがないな。俺のルートから流れた品じゃないのか、それとも後付けか。
なんにしろ、あっちこっちに好き勝手バラ撒くのはいただけない。
足音が耳に入り燈瑩が後ろを見やると、チャラ男の仲間と思しき男がもう2人、これまた拳銃を構えている。
1人は赤シャツ1人は虎柄の派手な衣服。見るからにアウトローな奴らだ。
燈瑩は少し目を細め、呆れたように言った。
「ちょっと乱暴じゃない?横流しも、売人殺しも、やり過ぎてるよ」
「うるせぇな。お前から殺っ」
言い終わる直前、パァンと音がして、虎柄は額から大量の血飛沫を上げながらその場に突っ伏した。
間を置かずグェッという呻き声が聞こえ、チャラ男が地べたに倒れていく。
残された赤シャツは何が起こったかわからなかったようだが、説明するほどのことでもない。
燈瑩が一瞬で虎柄の頭を撃ち抜き、それを気取った樹が路地の上から飛び降りてきて素早くチャラ男の首を折った。それだけだ。
「で、話の続きなんだけど」
そう燈瑩が言うより早く、赤シャツは状況を把握し一目散に逃げ出した。
「あら、逃げた」
「捕まえてくる」
樹が走り出す。
路地を抜け、階段を何階分も登った先、窓から窓へと飛び移ろうとした赤シャツが追ってくる樹の姿に焦りジャンプに失敗して足を滑らせた。
「あっ」
ガン、ガン、ゴン、グシャッ。
止める間もなく赤シャツは建物の間をぶつかりながら落ちていき…樹が窓から下を覗き込んだ時には、もう地面でトマトケチャップのようになっていた。
樹は仕方無く燈瑩のもとへ戻り、申し訳無さそうにありのままを伝える。
「ごめん、ケチャップになっちゃった」
「え?死んだってこと?」
‘ケチャップ’という表現で‘内臓をブチ撒けて真っ赤になった死体’と即座に伝わるのもどうかとは思うが、とにかく伝わったので良しとする。
燈瑩の言葉に頷き、情報聞きたかったんだよね?としょげる樹。
携帯でも見ればわかるでしょと燈瑩は笑い、チャラ男の死体のポケットを漁った。すぐに安っぽい電話を2台見つける。
「あったあった。んー…メール、と…名前…内容的に客用はこっちで、仲間用がこっちかな」
呟いて携帯をいじる燈瑩の肩越しに樹も画面を覗き込んだ。電話帳の人数を数える。
「仲間のほう、登録少ないね」
「新しいグループだし数が居ないんじゃない?」
電話帳にあった名前は15人足らず。これがメインのメンバーか。今3人減ったはずなので残りは10人と少しだ。
どれが東を狙っていた奴なのかはわからず樹は首を傾けて言った。
「東大丈夫かなぁ」
「【東風】が襲われたりはしないはずだから、ウロウロしてなければ…ん?」
もう一方の死体、つまり虎柄がつけていたウエストポーチから、またひとつ携帯電話が出てきた。
画面の明かりがついている。
通話中だ。
「…喂?」
燈瑩が応答すると、すぐさま切れた。
他の仲間と電話を繋ぎっぱなしにしていたらしい。意外に用心深かったみたいだ。
多分、一部始終が筒抜けになっていたし、ついでに東や【東風】といった名前も丸聞こえであろう。
樹はもう一度言った。
「東、大丈夫かなぁ」
「んー…駄目かも知れないね」
駄目かも知れなかった。
2人で足早に【東風】へと向かう。今居るこの場所は【東風】の隣の区画のさらに端なので、戻るのにそれなりの時間がかかってしまう。
現在の位置関係は定かではないが、場合によってはこっちが着くより向こうの仲間が【東風】の付近に集まる方が早いかもしれない。
襲撃でもされたら、店内がグチャグチャになるのは必至だ。
こんな事なら月餅全部食べてからくればよかった。せっかく高いやつ買ってきたのに…グチャグチャになったらもったいない。
樹は、【東風】に残してきた月餅と、それから一応東の無事を祈った。