亡霊 ‐ファントム- ②
「引退した軍務卿が君らに買収されていることが分かってからは簡単だったよー。優しく尋ねたらいろいろと教えてくれたしねー。なぜか、そのあと事故で亡くなっちゃったのは残念だったなー。あとは人脈を手繰っていくだけだったし、みんな喜んで協力してくれたよー。
もう誰も生きてないけどねー、みんな死んじゃった」
亡霊は無邪気に嗤う。揺れる蝋燭の僅かな灯りの加減では、それはまるで悪魔の笑みのように見えた。
「まさかウィンドベルク王国のスパイの親玉が組合の組合長だなんてねー、帝国諜報部の上司もなかなか信じてくれなかったよー。あなたって、結構信用されてたんだねー、驚いちゃった。
貴族はもちろん、政治家やら文官やら、果ては参謀将校まであなたのこと庇ったりしてね、笑えたよー。
でも、それも今日で終わり。みんな捕まえちゃった。今も諜報部の部隊が全て摘発しているはずだよー」
「ほう、それで私達も摘発するという訳か。我々が素直に応じるとでも?」
「アハハ! 往生際が悪いねー、ウィンドベルク王国の奴らって皆そうなのかなー。別に逃げ出しても構わないよー、逃げられるものならね」
少年のような諜報部員は憐れむような眼で二人を見て嗤った。
「別にボクとしては、無理に生かして捕まえなくてもいいしねー」
「・・・・・・たったひとりで、我らふたりを捕まえる気か?」
「ひとりで充分さー、試してみる?」
その言葉に、黙ってやり取りを聞いていたフリンが、ダッと部屋のドア目がけて駆けだした。
「ギャッ!」
2、3歩駆けだしたところで、フリンの太ももに直径一センチ、長さ10センチほどの先を鋭く尖らせた棒手裏剣が刺さっていた。
続いて床に転がったフリンのもう一方の太ももにも棒手裏剣が突き立ち、再び悲鳴があがる。
アードリアンはその隙に蝋燭を吹き消すと、手にしていたグラスを少年に投げつけ、窓を突き破って二階から通りに飛び降りる。
着地すると同時に石畳みの上で受け身を取って一回転し、素早く立ち上がって走り出した。
このあたりの道は自分の手のひらをみるように分かっている。くねくねと細い路地に逃げ込むと、こんな時のために用意していた隠れ家を目指した。
残念ながら帝国での任務はここまでだ。
逃走用の身分証や変装用具、路銀を回収したら他国に逃げ出そう。
そう思いながら走り込んだ先の路地の先に、少年が立っているのを見て愕然とする。
「な、なぜそこに・・・・・・瞬間移動でもしたというのか・・・・・・?」
「ウフフ、亡霊から逃げようだなんて、無駄だよー」
美しい顔が歪み、悪魔のように口が半月の形になったようにアードリアンには見えた。
アードリアンは覚悟を決めると、隠し持っていたダガーナイフを抜き、少年に向かって走り出す。
少年はクスクスと嗤いながら、サッと右手を振り上げた。
途端にアードリアンの右肩に焼き串を当てられたような痛みが走る。痛みにダガーナイフを取り落としてしまう。
ハッとして右肩を見ると、棒手裏剣が刺さっていた。慌てて前に向き直ると少年の姿が無い。
その時、不意にドンッと後ろから背中を蹴られ、アードリアンは前のめりに倒れてしまう。
首を廻すと、いつの間にか背中にのしかかる少年の姿があり、アードリアンは地面に押さえ込まれてしまった。
華奢な少年の力とは思えないほどの力で押さえ込まれ、身動きできないでいると、後ろからアードリアンの口に猿ぐつわとして太いロープが廻され、銜えさせられた。
「こうしとかないと、君らウィンドベルク王国のスパイはすぐに自決しようとするからねー」
少年はクスクス笑いながら、顔をアードリアンの耳元まで寄せると囁く。
「心配しないで、そう簡単には死なせやしないから。死んだ方が良かったって思う目にあうかもしれないけどねー、それはまあ自業自得ってやつでー」
手足もロープで縛った少年は、芋虫のようになったアードリアンを、散歩でもするように軽々と引きずりながら路地の先へ向かう。
路地の先から、ようやく姿を見せた帝国諜報部の兵士が駆け寄ってきて、少年からアードリアンの身柄を引き継いだ。
兵士と共に歩いてきた、髪をピタッと撫でつけたヨルゲン課長が、無表情のまま少年に声をかける。
「ご苦労だった、亡霊。早速だが、ラファエル部長がお呼びだ。すぐに本部に出頭しろ」
「ええーっ! ようやく今一仕事終えたところだよー。まずはご褒美とかないのかなー? 休暇とか、休暇とか、休暇とかさー」
「なんならラファエル部長に直接言えばいいじゃないか」
「そんなこと言えるわけないだろー、意地悪なんだからなぁ課長は」
亡霊はふくれっ面して拗ねた顔をして見せる。その少年のような見た目に、うっかり騙されそうになって、ヨルゲン課長は苦笑した。
「まあそう言うな。今度の任務は多分、お前好みだと思うぞ」
「へぇーー。そうなんだぁ・・・・・・。ちょっと興味湧いたかも。じゃ行ってくるねー」
ふくれっ面から一変して、悪戯っぽく酷薄な表情になった亡霊は、路地の暗がりに入ったと思ったら、フッとその場からかき消えた。
それを見て残されたヨルゲン課長は肩を竦め、逮捕者を連行している諜報部兵士たちの方へと帰って行く。
静けさが戻った真夜中に、争いがあったことを示すものは、路面に残された僅かな血痕だけだった。
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