1 プロローグ
「あ~あ。なんか最近疲れやすくなったなあ」
早川直美は、どたりとベッドに倒れ込む。この頃はベッドのスプリングがへたってきたような気がする。
こんなにも年月が過ぎるのが早いとは思っていなかった。
長年一人暮らししている賃貸マンションは居心地がいいが、時々無性に一人でいることがさみしくなる。
仕事と家の往復、そんな毎日を繰り返しているうちにいつの間にかアラフォーになっていた。
もちろん、夫や子どもなんているはずもない。
家に帰っても出迎えてくれる人も出迎える人もいないわけだ。
「なーんて」
仕事が終わって家に着いてからが、直美のお楽しみタイムだ。
ビール、ヨシ! ポテチ、ヨシ!
ポチりとテレビを付ける。
この歳になっても独身というのは気楽なもんだ。むしろ自由に生きられて清々しいくらいだと思っている。
なにしろ、自分の時間が目一杯持てる。これ以上の幸せがどこにあるというのだ。
「それにしても、最近はアニメ見るのも楽になったもんだよねえ」
直美が子どもの頃は、まだビデオの時代だった。ブルーレイはもちろん、DVDですらなかった。ほんの小さな頃は録画をすることも知らなくて、楽しみにしていた番組を見逃したらそれっきり。録画が可能になってからも、予約を忘れていたらそれっきり。なにしろレンタルは高くて、なかなか親にも頼み辛かったし自分のお小遣いでもほとんどがそれで吹っ飛んでしまうような金額だった。
思い返してみれば厳しい時代だったと思う。
今なら、そうやって見逃した番組を動画配信でいつでも見ることが出来る。大好きな作品のブルーレイが発売されれば購入してお金を落とすことも忘れない。(配信されない作品もあるし)
失われたものたちは、我が手に帰ってきたのだ。
ふはははははは!
というわけで、直美の楽しみはマンションに帰ってきてからのアニメ鑑賞なのだ。
それとゲーム。あとラノベと漫画。オンラインのゲームも、こんなに長時間一つのゲームをプレイしたのは初めてかもしれない、というくらいやっていた時期もあったが今は少し落ち着いている。
とにかく直美は典型的なオタクだ。
もちろんアラフォーだからといって、懐かし系ばかりを見ているわけではない。
オタクの世界は日進月歩。面白いものは常に生まれ続ける。
だから新しいものも、ちゃんとチェックしたりする。
何も知らないままで昔の作品の方がよかった、などと言うのは愚の骨頂だ。イメージだけで新しい作品を批判している人をSNSでは見掛けたりもするが、そういうのは直美には理解できない。
だって、新しい作品の中にものすごく面白いものがあったりしたらどうするのだ。キラキラ輝く宝石は、目を閉じたままでは見つからないのだ。
それに、見もしないで批判するのは一生懸命作っているクリエイターの皆様にも作者の皆様にも失礼ではないか。
目の前では、今期の期待株である異世界転生アニメが流れている。
最初は今流行のアニメなんてアラフォーの自分がついていけるか不安だった。
けど、今ではそれはもう楽しませてもらっている。
時代で変わるテンポってのもある。
今の時代には今のアニメが合っているとも思うし、純粋に面白いと思う。
異世界転生、いいじゃないか。
もちろん、今のアニメを楽しんでいるからと言って、子どもの頃や青春時代の作品が色褪せるわけではない。
大好きなアニメが始まる時間にテレビの前で待機して、始まったと同時にテレビに合わせてオープニングの歌を熱唱していたこと。
ゲームの中で主人公に自分の名前を付けて、二等身のドット絵に自分を重ねていたこと。
図書館にある真面目な本ばかり読んでいたところに、現れた輝くような存在。そう、初めてラノベを読んだときのあの高揚感。
あの頃の自分を励ましてくれた、そして自分を重ねた、あのキャラクター、あの物語たち。
そうだ。どうせ転生するなら、青春時代にハマっていたような世界がいい。
王道のファンタジーで、女の子が元気いっぱいで、魔王とか出てきちゃったりして? オープニングは無駄に前向きで明るいやつで、歌詞の字幕はきっちり入れてください。出来れば、歌はあの頃めちゃくちゃ主役やってた超有名女性声優さんでお願いします。
そしたら、主人公すなわち直美の声優がそうなるってことか。それはそれで照れるが嬉しい。
あ、そうだ! キャラデ! 今と違う可愛さの、あの絵柄もすごく大事です!!
うーん。あとは、チートで無双するよりも己の力でどんな困難も乗り越える! かな。熱血はさすがに世代ではないからそれは無しで。
でも、やっぱりチートも捨てがたい、かもしれない。
最初は邪道だ! なんて思っていたけど爽快だし、ストレス溜まらないし。
最近はよくある日常系も悪くない。ファンタジー世界でのんびり暮らせるなんて夢みたいじゃないか。
あー、でも旅をするのも捨てがたい。
「って、私、何真剣に転生考えてんの!」
まあ、でも、異世界転生とか転移とかってオタクなら夢に見てしまう。アラフォーになってもそれは変わらない。
けれど、そんなことは夢物語だと知ってはいる。
だから、酒でも飲みながら妄想に浸るのだ。
「頭、痛い。お腹が重い」
昨日は調子に乗って飲み過ぎたらしい。20代の頃は同じように食べたり飲んだりしても翌朝ケロッとしていたというのに。
ポテチを食べたくらいで胃もたれするのも歳を感じて嫌だ。
それでも朝は来る。
「急がないと遅刻だよ-」
大人になったら寝坊とか遅刻なんて自然としなくなるものだと思っていた。
結論から言おう。
んなこたぁ、無い!!
アラフォーでも苦手なものは苦手です。
バスに乗り遅れないように走る。歩道橋を渡ったらバス停だ。青信号が点滅している。急げ。
で、慌てて周りを見ていなかった私が悪いのだろうか。
それとも信号無視して突っ込んできたトラックが悪いのか。
次の瞬間、私は宙を舞っていた。更に、地面に叩きつけられてなんか重いものにひかれた。なんの拷問だ、これ。
そして思った。
死んだな。
今放送中のアニメの続き、気になるんですけど。
意識が薄れていく。
色々言いたいこともやり残したこともあるけれど、今しか使えない大切なセリフを言っておかねばなるまい。
『おお、なおみ! しんでしまうとはなさけない…』




