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雨の日のお客たち  作者: 紫堂文緒(旧・中村文音)
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あめのひのおきゃくたち

 床屋さんは思わず、もったいないな…と思いました。


 こんなに長く伸ばしたのに、ばっさり切ってしまうなんて、何か願掛けでもしていたんだろうか、それとも失恋でもしたのかしら…。


 櫛を入れてみると、娘の髪は癖のない素直ないい髪で、色もからすの濡れた羽根のように真っ黒でした。


 けれど、長く伸ばしすぎたせいか、あまり手入れが行き届いていないらしく、枝毛がそこここに目立ちました。




「…本当に切っておしまいになるんで?」


「ええ、もう、覚悟を決めたの」


「こんなに伸ばしたのに、なんだか、わたしのほうが残念に思いますよ」


 


 それを聞いて、ふふっと娘が笑いました。


 そうして涼やかな目をして姿勢を正しました。




 じょきん。


 はさみの音がして、つややかな長い髪がばさりと切り落とされ、床屋さんは思わず鏡の中の娘の顔を見ました。


 ところが娘は静かな顔をしているのです。


 床屋さんはもう意を決して、祈るような気持ちでじょきじょきと長い髪を落としていきました。




「あ…」


 


 娘の片方の目から涙がつっと流れて、床屋さんは思わず声をあげてしまいました。


 でも、右手に持ったはさみの先はしっかりと正確に、次に切ろうとしている髪をはさんでいました。




「…やっぱり、後悔なさっているんじゃありませんか?


 といっても、もう半分近く切ってしまったし…。


 …そうだ、残っているほうを長めに残して、後ろから見ると短く切ったほうから長いほうへ斜めに髪が流れるふうにしましょうか。


 それなら、できますよ」




 床屋さんが一生懸命娘を慰めるように言うと、娘は細い指先で涙の粒を払って、恥ずかしそうに鏡越しに床屋さんを見て言いました。




「違うの。


後悔したのではないの。


 思い出したのよ。


 長い間、こうして、髪を切ってもらっていた頃のことを。


…本当に、かわいがってくれたのよ、その方。


 その方に任せておけば、いつもいい具合にしてくれたわ。


 何もかも、安心だったわ」




「それは、腕のいい方だったんですねえ。


 そんなふうに思ってもらえるなんて、幸せな方ですよ。


 床屋冥利に尽きるってもんです。


 きっと、ご自分の仕事に誇りをもっていらしたんでしょうねえ」




 床屋さんは、その会ったこともない床屋さんを、ふと羨ましくおもいました。




(自分も、そんなふうに言ってもらえるような仕事ができているだろうか。


 もし、まだなら、いつかそうなりたいものだ。


 糧を稼ぐためだけではなく、丁寧に大切に誇りをもって、お客さんに喜んでもらえる仕事がしたいものだ)




 そう思いました。


 娘は無理をしているような明るい声で続けました。




「だから、今日は、短くしてしまってかまわないの。


 このお店のことは、その方からよく聞いていたから」

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