深い傷跡
「殴らないで……」
角を生やした少女は怯えきった目で俺を見ていた。
恐怖だ、恐怖に彼女は洗脳されている。
商売以外の対人スキルが皆無に等しい俺は、昨日まで奴隷であった儚げな少女にどう声をかければいいのか分からなかった。
というより完全に心を閉ざしきっている。
俺じゃなくても無理だろう、これは。
確かにポテトを皿から落としたことに関しては勿体ないとは思うが、わざとではないため、殴る道理はないのだ。
プロの食事マナー講師は、仕事以外では食事に口煩くしないのだという。
つまり食事というのは、マナー以前に楽しくなければならないのだと俺は思う。
彼女のこの態度では食事とは呼べず、どちらかというと餌付けと言った言葉の方がしっくりくるだろう。
そんな風に育ってしまった彼女を見ると、心が痛んで仕方がない。
とにかくゆっくり時間をかけて、奴隷の生活習慣から解放させてあげたいと俺はそう思っていた。
「いいか、君はもう奴隷じゃないんだ。怯えなくていいんだよ」
「はい、怯えるところをみ、見せないように、頑張りますから。だから、殴らないで……」
違う、そうじゃないんだ。
もはや彼女にかける言葉が見つからない。
だから俺は、彼女の頭を撫でてみることにした。
最初は触れられることを恐れるかと思って試してなかったが、案の定効果はあったらしい。
無言で無表情のまま、手の動きに合わせてゆさゆさと頭部が揺れ動く。
だが、いつまでもこうしてはいられない、俺は迷宮を攻略しなければならないのだ。
もしこの子が剣を持てたらなあ。
……いかんいかん、年端もいかない少女にそんな幻想を持っては行けない。
それはそれとして、護身用に剣の1本くらいは持っておいてもいいかもしれないな。
そう思った俺は宿屋を後にすると、雑貨屋に向かうことにした。
*
「おお、糸使い様がこんなへんぴなところに何の用ですかい?」
店の中に入ると、雑貨屋の男は俺に問いかける。
もう俺は救世の糸使いではなく、しがない旅商人なのだ。
同業の仲間に変な気を使うこともないだろう。
俺は事情を簡潔に説明すると、様々な薬品や骨董品、本などの中から目立つように棚にかけてあった適当なブロンズソードを1本手に取って値段をたずねる。
「これは小銀貨10枚で?」
「そりゃ充分過ぎますぜ、精々シャミー帝国小銀貨8枚ってところですかね」
この男は8枚で良いと告げる。
商人が値下げをするとは思えない、つまりこの剣の価値は小銀貨5枚程度なのだろう。
「ふーむ、これは帝国の刀鍛冶の業ではありませんね。柄の部分が丸すぎる。これが残っているのは、戦士に好まれない感触だからでしょう」
俺がでまかせを呟きながら渋るような表情をすると、雑貨屋は負けたと呟く。
「やれやれ。ええ、5枚でいいですぜ」
「うーん、おかしな話ですね、小銀貨5枚の価値である凡庸な剣が目立つように陳列されているのは。つまるところ、在庫処分したいのではないのですかな? 私の手持ちは小銀貨10枚。残念ですが、今回の話はなかったことに」
「あー、分かった! 俺の負けですぜ。ほら、持ってけ!」
俺の掌に並べてある小銀貨を3枚ぶんどると、剣を鞘にしまって突き出す。
よし、上手くいったな。
これで手持ちには7枚の小銀貨が残る、この子の身だしなみを整えるには充分だ。
*
「あの、こ……これは?」
俺は奴隷だった少女にぼろぼろの麻布よりも動きやすさを重視した清潔なチュニックとパンツを与え、剣を与え、フード付きのローブを与え、そして余った小銀貨1枚でペンダントを贈った。
守銭奴な俺がこうしたのは単純な理由だ。
ローブに関しては昨日の騒ぎから逃れるための隠れ蓑という意味合いが大きいが、単純にぼろぼろな彼女をこれ以上見たくなかったからだ。
分かっている、こんなものを奴隷だった彼女が突然貰ったとしても、警戒するだろうし気味悪いと感じることは。
だが、それでもこうせざるを得なかった。
これは俺の完全な自己満足なのだ。
心の中でごめんと呟き、俺は彼女に告げる。
「まあ、なんだ。気にするな。それよりおじさん無一文になっちゃったから、ちょっと1人で迷宮に行ってくるよ。宿で大人しくしてるんだぞ」
後にも引けなくなってしまった俺は、ソロ攻略に挑もうと考えていた。
しかし少女は宿屋には向かわず、俺の袖をぎゅっと握りしめたまま離さない。
「連れて行けってことか」
「ひとりは、いや……」
彼女はこくりこくりと頭を縦に振る。
宿にいるより俺と行動した方が安全かもしれない……いや、そんなわけないな。俺は自分を言い聞かせるための言い訳をいくつか並べたあと、彼女の意見を尊重することにした。
この街のはずれのすぐそこに迷宮はある。
さくっと攻略して、まずは彼女の心の傷がまともに会話できるほどに癒えるまでの時間を作るとしようか。
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