エルミナの翽
ペネロペのハニツ村での日常は、至ってごく普通の女の子の暮らしだった。
春には風に吹かれ、夏は木陰で歌い、秋は枯れた喉に潤いを、冬には火の前で丸くなる。
そんなただの暮らし。
そんなところにアーク商会がきて、生活をめちゃくちゃにしたのか……。
いや、違う。
俺の覗いた記憶の続きは、想像とは逆だった。
「始まりの病、エルミナ。お前は我ら人類の番人、アークによって今日倒されることになるだろう!」
対峙するのは、1000人を超えるであろう人間。
対するペネロペは一人。
彼女の記憶は突如として赤く染った。
いや、彼女はペネロペですらなく、肉体は悪魔的に変貌している。
エルミナと呼ばれるその存在は、もはやペネロペではない。
「我に挑む。佳い。それでこそ人。では、死力を尽くすが佳い!」
エルミナがその巨大な羽で羽ばたくと、血の海ができ上がる。
人はいとも容易く破られるのだった。
「かか、かかかかかか!」
高く嗤うエルミナ。
彼女の力は強大で、ペネロペとは似ても似つかないものだった。
「おい、お前」
エルミナは告げる。
「そこで我を覗き見るものに告げている。ハル、お前だ」
驚くことに、記憶は俺に語りかける。
「なんだ」
「我はお前に感謝している。依代のペネロペを解放してくれたこと、忘れはしない。そしてもうひとつ、大事な話よ。現在我の力はエリカに半分ほど吸収されている。よってお前が人類の脅威となるのならば、我は喜んで力を振るおう」
俺はエルミナの正体はなんとなくで理解してしまっていた。
彼女は子供向けのおとぎ話なんかで語られる侵略者。
世界が生まれる時、獣の神によって作られた人類への試練、始まりの病が人の形になった存在。
あらゆる病の頂点に君臨する、最強の悪魔。
だから、彼女の動機に一切の矛盾はない。
それに、エリカの異様な強さはエルミナ由来だとするならば、筋は通っている。
「お前がペネロペに危害を加えないというのであれば、その約束は受け入れようか」
「あくまで力でなく少女の命を欲するか。かか、佳い。お前は復讐の道しか歩めぬ者。どうせ結末は破滅。ならばお前の約束、我らが世界で最後の人となるまで果たしてみせようか」
物分かりがよい、という訳では無い。
エルミナは人類に対する試練そのものなのだ、新たな世界を切り開こうとするアーク商会に立ち向かう役割は彼女の役割だ。
「ああ、俺はアーク商会を滅ぼすまでだ」
「そうか。ならば一つ良いことを教えてやろう。ペネロペは我を宿す故にジョブチェンジは出来ぬが、お主がこの少女を使い魔とするならば、少女にお主が無駄に鍛えた筋力のステータスによる補正が入る。お主はちと戦いの才能が無さすぎたきらいがあるが、この少女は人並みには戦闘に向いておるわ」
そうだった。
ペネロペが人と同じ姿をしているから思いつかなかったが、魂は悪魔に穢されている。
ならばペネロペを使い魔にすることができ、腐らせていた力のステータスを活かすことができる。
前回ステータスを開いた時は力9990、並外れた数値だった。
これを悪魔的な近接戦闘スタイルを持つペネロペにかければ、とてつもない怪物が生まれることになるだろう。
「いい事を聞いたよ、ありがとう。ただ、使い魔にするのは慎重に選びたい」
「かか、焦る必要はなかろう。どの道お前は……まあよい。さあ、そろそろ目覚める時だ」
「お前の言いたいことは分かるよ。俺はこれから、人の道を外れるんだから」
俺は恐るべきエルミナに背を向け、光を目指す。
この先の光景は、俺にはまだぼんやりとしか見えなかった。
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