邪悪の傘
叡智の滝つぼ、この世に在るあらゆる本が統べられる叡智の結晶。
世界最大の図書館である。
その図書館、蔵書の数1000万冊。
入るためには高貴な身分を証明しなければならないが、それは俺のスキル『超ひも構成』を利用し、顔パスの特権階級の人物に成りすませば容易いものだった。
貴族以上かつ一定の条件を満たさなければ入ることは叶わない叡智の滝つぼだが、中はものすごい人数で溢れかえっている。
その中で目当ての本を探すというのは一苦労というものだ。
この本こそ、当たりであってくれよ。
手にした本の名前は『北の大地の歩き方』。
これは昔のとある旅人の旅路を歌った詩について詳しく掘り下げている本だ。
寒い地域であるにも関わらず蜂蜜が名産、村の名前はハニツと、ここまで分かっていれば後はもう時間の問題のはずだ。
俺は十数冊のハズレ本を読んだ。
今回こそ当たりであってくれよ。
「あった……!」
ついに俺はハニツの名を見つけた。
だが、それは俺の望んだ情報ではなかった。
*
ハニツ村は寒さに耐性を持つ希少な蜂が、寒空の下にしか咲かない世にも珍しい花から蜜を集めた蜂蜜が特産の村だった。
花は寒さなどのストレスを感じると甘みが強くなるため、ハニツの特殊な環境下で作られた蜂蜜は非常に強い甘味を感じることが出来るのだ。
……これは盗賊の襲撃か、家々の屋根は既に消し飛び、住居の中まで雪で満たされている。
この雪の下にどれほどの骸が埋められているのか考えたくなかったので、手付かずの瓶入り蜂蜜を見つけ、一口舐めると私はハニツだった残滓を後にした。
*
納得だ。
そこには、いくつか納得できる情報があった。
まず、辺境の村だとしてもアーリアス大陸のどこかである以上、多少調べれば何かしらの地図に書き記されているはずだ。
それが無いということは、もしかしたら、考えたくもなかった話ではあるが。
「村は……既に滅んでいる」
この結論に至るまでは容易かった。
頭の片隅ではそうなんじゃないかと思える情報が今までの彼女との会話の中でいくつかあったからだ。
こんなこと、ペネロペに伝えられるはずもない。
故郷に帰すと約束をしたのだ。
俺はこのやるせない気持ちを、どこにぶつければいいのか分からなかった。
「……そうだ、まだ調べ物はある」
俺にできることを一歩ずつ積み重ねていかなければ。
落ち込んでいる時間など1秒もないぞ、俺。
俺が次の書物を探して別の本棚に移動しようとしたその時だった。
「誰かあいつを止めてくれェ!」
けたたましい警報と共に一人の男が脱兎の如き速度で俺の方へと向かってくる。
その男の手には魔導書。
状況から察するに、おそらく盗み。
俺が侵入している傍からこんな事件が起こってしまうとはなんともまあついていないことだ。
このまま正体がバレて捕まってしまっては面倒だ、この男にはなんとしても現行犯で捕らえられてもらい、その隙に脱出しなければ。
「ぬおっ!」
男は俺が仕掛けた糸に引っかかり、見事に転倒する。
だが、素早く立ち上がろうとするので、一時的に男の肉体の中にある運動の糸を縺れさせる。
これでしばらくは自力で立ち上がることは出来ないだろう。
後は警備員が来るのを待てばいい。
「いやあ、お手柄ですお客様。私はこと図書館の警備をしておりましたアーク商会の実働部隊『赤橙』と呼ばれる三銃士が一人、ウルフェン。貴方の名は?」
俺は声のする頭上を視認する。
そこにいた男の身なりは清潔そのもので、いかにも高価そうな黒いスーツを見に纏い、髪は七三分け。
問われずとも名乗るその男は本棚の上から俺を見下ろすようにアーク商会という言葉を誇らしげに語る。
小耳には挟んだことのある名だ。
アーク商会とは、奴隷取引を主とする企業だったはずだ。
その名前とヤカシュが、点と点が線となり内情を理解する。
今ヤカシュを牛耳っているのがこのアーク商会である。
奴隷の地位が向上している事実が何よりの証拠だ。
だからその商会の男は奴隷商会に与していることに誇らしげなのだ。
だが、あの本棚の上という位置から俺の糸は人間の視力であれば視認は不可能なはず。
なぜ見えているか、答えは一つ。
「その前に一つ。お前にとって人の肉はどんな味なんだ?」
アーク商会は目の前の男のように悪魔すら飼い慣らしている。
いや、アーク商会こそ悪魔に操られているのかもしれない。
「ほう……。いいでしょう。貴方も今は身分を隠したいようですから、ここは一つ。私たちは『ここで何も話さなかったし、出会わなかった』。いいですね?」
この図書館に不法侵入していたことは、言わばヤカシュ全体を敵に回すことになる。
つまり、このどす黒い悪の臭いが立ち込めるアーク商会に、この街を好き放題にさせてしまうことになるだろう。
そうなれば、ここは流通の中心でもあるから商人としてもやっていけなくなるし、師匠の身も危ないし、何より下手すれば俺の首が飛ぶかもしれない。
ここはこの悪魔の交渉を飲む他ないだろう。
「ああ。だけれども最後に笑うのは俺だよ」
その言葉を聞くと、悪魔はにっこりと微笑んでみせる。
何かおぞましい邪悪が、この街をのっぺりと緩やかに、薄い膜のように覆いかぶさっている。
俺はその邪悪と向き合わなければならないと、直感が告げている。
……英雄気取りはとうにやめた。
だが、この得体の知れない邪悪に対してどう向き合うのか、勇者パーティではなく一商人としてどう対峙するのか、今一度考える必要がありそうだ。
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