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渇き

 それから、俺たちはしばらく師匠こと魔女リコの家にお世話になることになった。


 替えの服も師匠と一緒に住んでいた頃のものがまだ置いてあったので、『師匠聖水事件』の被害は小さく済んだのは幸いか。


「うう、ごめんバカ弟子……」


 むしろ一番ダメージを受けているのは師匠本人だろう。


 師匠と二人きりでリビングで話すのはいつぶりだろうか。


 ペネロペとマキナは先に寝てもらうことにして正解だった。


 今頃彼女たちは年相応のガールズトークにでも花を咲かせているのだろうか。


「いえいえ、この感じが懐かしくて、師匠も変わらずで嬉しいですよ」


 テーブルに座ったままうつ伏せになり続けている師匠は、何ら15年前と変わらずだ。


 そういえば俺を拾った時から容姿が全く変化していない。


 思い返せば、俺は師匠のことを何も知らなかったのだ。


 俺は昔は日課だった皿洗いを終えると、師匠の対面の席に座る。


「ほんと? ……許してくれる?」


 あの事件から師匠はずっとこのテンションであり、ペネロペもマキナも少々面食らっていた。


「何度も言ってるじゃないですか。あのことは水に流しましょうよ」


「水に……流す……。もしかしてまだ怒ってる?」


 はー。


「師匠、俺は今回二つの目的があってここに戻ってきました。一つ目は黙って飛び出したことの謝罪と、もう一つは『転職』のスキルです。だからその、元気出してくださいよ」


 どうしたら師匠が立ち直ってくれているか考えていると、師匠は蜂蜜酒の入ったジョッキを持つと俺の隣に席を移す。


「はぁ……分かったよ。最近はどう? 無茶なことに足を突っ込んでない?」


 師匠はいつになくしおらしそうに俺に語りかける。


「ええ、師匠のおかげで何とかなってますよ」


 彼女の教えはこうだった。


 地に足つける。


 危ないと思ったらすぐ逃げる。


 タダより怖いものはない。


 彼女は稀代の魔女であり、現代における経済学や魔術、何でも教えてくれたが、とにかく危険に対する回避を優先して教えてくれた。


 だからここ十年ちょっとの内容は、師匠に話せば大目玉なのは確実だった。


「そうやってバカ弟子が笑う時は、何か危ないことがあった時の顔ね。白状なさい」


 やはり師匠には叶わない。


 俺は話した。


 勇者パーティに加入し、追放され、奴隷の少女と神の器を拾ったことを。


 そのことを師匠に話すとやはり怒られてしまったが、懐かしい感じがむしろ嬉しかった。


「──大体あんたは! ……ねえハル。あんた今やりたいことは何?」


 突如しんみりした温度になる師匠。


「そうですね。とりあえず俺は……奴隷の少女、ペネロペを故郷に帰してやりたいです」


 その答えを聞くと、師匠はまたも怒ったような表情になる。


「じゃあその後は?」


「その後は……後は……なんですかね。ゆったり余生を過ごす準備……ですかね」


「違うわね。嘘つきの匂い。魔女に嘘は通じないのよ」


 鋭い視線で俺を見つめる師匠に、返す言葉がなかった。


「嘘ですか? そんな……。ああでも、ペネロペは娘みたいっていうか、別れちゃったら寂しくなりますからね。確かに嘘をついたかも──」


「そこじゃないわ。あんた、奴隷の少女を解放したら──家族を皆殺しにするつもりなんじゃないの?」


 その言葉にぞっとする。


 皆殺しという強い言葉にではない。


 あり得てしまうかもしれないという底知れない恐怖からだ。


「…………」


 俺はごくりと唾を飲む。


「言っておくけれど、そんな危険な状態のバカ弟子に助力はできないし、夢っていうのはあくまでも自分のための行いの事を言うのよ、恥を知りなさい。でも、だからこそ一つだけ、たった一つだけ魅力的な提案をしてあげる」


 厳しくも正しい師匠の言葉を噛み締める。


 俺は元々は復讐者だ。


 勇者パーティよりももっと深い深い、深淵の奥深くから這い出たどす黒い闇そのものだ。


 師匠はその闇を健やかな青年として育て上げたのだ、わざわざ闇に戻す気はないのもまた道理である。


 だから、その師匠の魅力的な提案というのは大体察しかついてしまう。


「私と、結婚しない?」


「師匠……」


 彼女は今まで一度も見せたことのないとびきりの笑顔を俺に向ける。


 そのまま俺の腕を、彼女は抱きしめる。


「私ね、もう一人はイヤなの。だからペネロペちゃんを故郷に帰すのを諦めて、ここでみんなで暮らすの。ああ勿論四人家族だときっと家事が大変だろうから、昔みたいにハルには頼りっきりにはしないで私も手伝うわ。昼は一緒に市場でお金を稼いで、夜には一緒のベッドで寝るの。そして朝には隣にいるハルに私がこうやって起こすの。『おはよう』って。だからもう、どこにも行かないで欲しいのよ」


 魅力的な提案だった。


 確かに彼女と俺は恋人のようでもあった。


 俺の家の事情から、俺は性的なものに対して怒りや憎しみしか抱くことはできなかったが、彼女はそれを塗り替えてくれた。


 この提案こそペネロペを帰すことはできなくなってしまうが、俺が常日頃口にしていた『平和で穏やかな生活』という野望は叶うことになるはずだ。


 だというのに、全く満たされる気がしないのは何故だろう。


「師匠、その提案は……今の俺には……」


「でしょうね。なにせまだ復讐は終わってないから。本当は心の奥底に眠らせていた黒々とした闇が目覚めてしまったのよ。ハル、あんたは力をつけすぎた。力さえなければこんなことにはならなかったのに」


 師匠の目はただ悲しそうだった。


「…………」


「あんたはずっとここにいればいいのよ」


 師匠は俺を抱きしめる。


 だが、俺は止まれやしない。


 すでに暴走機関は走り出してしまった。


 全てを殺したら、次はどこへ向かうのだろう。

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