勇者の後悔
私は掌で握りしめ、鉄の香りでむせ返る。
「いたたたた……にゃん」
左腕にできた致命傷に近い傷口を歪にねじ曲げ、噴水のようになったそれを止血する。
「サキさん、待っててください……! 今回復を!」
勇者パーティに加入した新人の司祭ちゃんは私に回復魔法をかける。
「にゃはは。ありがとにゃんね」
状況は最悪、突如現れた魔物の群れに為す術もなく村は滅ぼされ、救助に向かった私たち大陸最強の精鋭部隊、勇者パーティですら命の危機に瀕していた。
素養があるにも関わらず強力な魔物には臆してしまう勇者バーンフリートは今回も腰が抜けているし、前衛を務めている私と大剣士のヴェルスももう身体に限界がやってきている。
すでにパーティを外れてしまったビジネスパートナーであり、救世の糸使いと呼ばれるハルさえいればまだこの身体に無茶をさせることができるのに。
いや、ないものはないのだ、今は──
「く……にゃあああああ!」
──この上級デーモンをなんとかしなければ。
両腕には巨大な爪を備え、巨大な体躯から想像もできないような機動力をその羽によって実現している悪魔。
この悪魔は回復しきっていない私に接近すると、爪を振り下ろす。
「サキさん、動くと回復が……! 傷が拡がって……! ああ……」
勇者パーティの新メンバー、帝都セント・ノヴァリアにて愛の神を崇拝し、奇跡の手と呼ばれ、無償で聖堂にやってくる患者を何人も看病し続けている伝説の回復魔術師のシアラちゃんは目の前で仲間が傷ついていく惨状に絶句している。
無理もない、けれど今は彼女のメンタルケアに努める時間はない。
「分かってるにゃん……!」
回復魔法の最中は動き回っていると効果がない。
なので私は悪魔の振り下ろす爪を右腕に握りしめたダガー1本で全てを弾く。
いや、弾かなければならない。
すでに受けた傷は深く、少しでも身体を動かせば左腕から命を垂れ流すことになる。
興奮してはならない。
心を殺し、息を潜め、限りなく身体の力を抜き、無心にて弾く。
だが、次々に悪魔の爪は速度を上げていく。
「インガ、ゾムガ、クァエシ、ソード、ミルァク!」
上級デーモンの目は光り、呪文詠唱により唾液が飛び散り、それが私の体をねっとりと這う。
次の瞬間、身体が脱力感に襲われる。
体感時間を狂わせる呪いか魔法の類だろう。
次第にダガーが噛み合わなくなっていく。
次の攻撃に合わせて弾くことはもうできない。
「サキさん……!」
シアラの戦慄が響く。
「どいつもこいつも使えねえなぁ新米ってやつは! お前は乳でかいだけかよ!」
大剣士のヴェルスはシアラへと侮蔑の視線を送ると、すでに擦り切れたぼろぼろの身体で私と上級デーモンの間に飛び入り、大振りと一撃を放つ。
だがその一撃は届くことはなく、私の代わりに繰り出された爪を貰ってしまう。
「ヴェルス!」
ヴェルスの腹に爪が突き刺さる。
「ぐはっ……。はぁ……はぁ……問題ねぇ。バーンフリート! 勇者の力を解放しろ!」
見ると、バーンフリートは強靭な体躯によって爪を腹で捕まえているのだ。
さらに大剣を横向きに持つと、全体重をかけて悪魔の腕にくい込ませ、完全に身動きを取れなくする。
「はぁ……はぁ……捕まえたぜぇ……さあ、地獄のチキンレースと行こうじゃねえかおい!」
ヴェルスが腹に風穴を開けられ吐血する中、みなの視線が勇者パーティリーダー、『燃えるバーンフリート』へと注がれる。
「怖いけど……今僕がやらないと僕も死ぬ……! やるぞ……やるぞぉ!」
バーンフリートの握る聖剣は燃え盛る。
灼熱の温度も冷めやらぬままに、前へと押し通るのだ。
「サキさん今です、動けるくらいには回復しました! こちらへ退避を!」
シアラちゃんは私へと退避を呼びかける。
「いいや」
だが、向かうべきは後方ではない。
「ぬおおおおおおお!」
バーンフリートは猛り、一気に距離を詰める。
「ヌキジ!」
それに応えるように、悪魔は全ての魔力を込めた咆哮をバーンフリートへと繰り出す。
壮絶な熱量同士が衝突し、空気が、視界が、世界が軋む。
「はあああああ!」
「ボワワ!」
だが、悪魔の魔力は底なしだ。
鍔迫り合いのなかで、バーンフリートの表情には疲れが陰る。
「く、僕の剣じゃ届かないってのかよ……! ちくしょおおおお!」
──だからこうして、私が最後には短剣を突き立てるのだ。
「ボ、ボゥラ、エド……。シュトゥム……」
悪魔の魔力炉にもなっている心臓に背後から一突き、さらに刃をぐりぐりと執拗にこねくり回し、確実に絶命させる。
「はぁ……はぁ……。やった、にゃん……」
上級デーモンは三人の刃で身を貫かれ、ついに倒れる。
それと同時に私もバーンフリートもヴェルスも地面に這う。
もう戦う余力など残されてはいないが、最後には勝つことができてよかった。
だが、あのいけ好かない糸使いさえいれば。
もしもあの男さえこのパーティに残ってくれていれば、これほど苦労はしなかったはずだ。
回復をする暇があったら先に全ての敵を倒してしまう。
それが最良の結果となることが電撃作戦を主とする勇者パーティにはほとんどなのだ。
いや、何度も同じことを考えている暇があるならば、自分の能力の低さを恥じるべきだ。
悔しい、悔しい。
「私の前任の後衛の方はこのような超攻撃的編成を戦略として成立させ、あまつさえ支援により若干の戦闘力を高めていたようですが、そのような人の所業を超える技術を補う才能が、私にはない……!」
シアラちゃんもまた、己の不甲斐なさに恥じる。
だけれどそれは仕方のないことなのだ。
実のところヒーラーとして彼女よりも優秀な人間を見たことがない。
現代魔術では死亡と見なされている人間ですら蘇生させてしまう奇跡の手を持つ彼女にすら、戦場というのは厳しいものだった。
そんな彼女にすら認められるハルはやっぱり……。
「なぁ……。なんだよアレ……!」
一時の平穏に私たちが胸を撫で下ろしている最中、バーンフリートは指さす。
「にゃ……」
「そうか。ここが俺の墓場かよ」
「そんな……どうして!」
絶望。
そこには絶望があった。
先程勇者パーティ全員で死力を尽くして1体倒した上級デーモンが10体、いや、それ以上の数。
もはや戦う余力すらないのだ、勝ち目があるわけがない。
彼らは私たちを見つけると、ぞろりぞろりと行進を始める。
「仕方ないにゃん、毒霧と煙幕で逃走経路を作るにゃん。みんな、最後のもうひと踏ん張りにゃん!」
予め錬金しておいた逃走用のアイテムを両手いっぱいにポーチから取り出すと、それを地面へと繰り出す。
「そんな! まだ村の人が!」
シアラは叫ぶ。
「まだ分からないのかよ! あの村はもうとっくに終わってんだよ! 俺たちだけでも逃げるんだよ! そうだ、だれも文句は言わないさ……死人は僕たちを責めることができないんだから」
勇者バーンフリートは勇気を手放し、さらに強い声音で吠える。
「残念だけれど、今回ばかりはバーンフリートが正しいのにゃん。さあ、早く逃げるにゃん」
「ああ、もう喋る体力も勿体ねえ。悪いが俺は先に行くぞ」
ヴェルスはふらふらと全身から血を垂れ流しながら最初にその場を後にする。
私たちも、それに続いていく。
これを大敗北と言わずして何というのだろう。
誰もが言葉にしなかったが、誰もがこう胸の中に秘めていたはずだ。
ああ、糸さえいれば、と。
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