媛の急成長?
医科大学の校舎を出て、香川はキャンパスの中庭にあったベンチに座り込んでいた。
情報の波に押し流されたかのようだ。
「頑張りすぎるといっぱいいっぱいになっちゃう」と言ったのは誰だったろうか?
香川は自分の両膝に肘をついて頭を抱えて考える。
女の子言葉だから、きっと、ああ、そうだ、笠岡美登利がそう言ったんだった。そう思うと自分に寒気を与えた女子高生の声音が香川の耳に戻ってきた。
媛は近くの自販機から冷たいコーヒーを買ってきて差し出した。
「いろんな話聞きましたね」
「ああ、情報過多だ。オレの刑事の勘は全く外れた」
「当てがあって動いてたんですか?」
「なんだ、その無礼な感じ。まあな、そう言われても仕方ないか、所詮『医科大の陰謀』だ」
媛はコーヒーをぶっと吹き出しそうになってそれを何とか抑えると声を上げて笑った。
「何ですかーそれ、切れ者香川先輩とは全く思えないー」
媛が香川を先輩付けで呼ぶのはリラックスしている証拠だ。
「面目ない。あのケツの穴のちっちゃい心理学教授じゃ、陰謀もできない」
「そうですよ。三原さんを殺して得する人いないじゃないですか。臨床心理学部の教授が現代心理学の尼崎さんの論文を失敗させて蹴落とすために三原さんを殺す、とかです? 割に合わないです」
空になったコーヒー缶がぺこっと鳴った。
「いや、割には合うだろう? 殺すのは簡単なんだ。英語の本を三原亜里沙に見せればいいだけ……」
媛はやれやれと肩を竦めてみせた。
「また論理が飛躍してます。アルファベットを見せて三原さんに発作を起こさせることはできるかもしれません。だからって彼女が死ぬかどうかなんて、全くわからないんです。SUDEPで死ぬ、お風呂で発作起こして溺死、車の運転中に起こして事故死、身体が発作に堪えられなくなって脳内出血とか心停止、普通の老衰、がん、交通事故。てんかんがあったとしても死因なんていくらでもある。通常なら、発作を起こして意識を失っても気がつくんでしょう?」
「そうだな」
香川は頭を掻いた。
「だがお前、急に病状に詳しくなってないか?」
「学習能力高いんです」と媛は背筋を伸ばし眩しい笑顔を見せたかと思うと、俯いてパンツスーツのポケットを探った。「ってのは冗談で、これです」
取り出したのは、先ほど教授との面談中録音していたスマホだ。
「退屈そうなんで他のページ読んでました」
「はあ? 録音してないのか?」
「するようなもの出てこなかったでしょ?」
香川はベンチの背に凭れて、「参った、参った」と空を見上げた。
「じゃ、次はどうするのか今度はお前が決めろ」
「だから笠岡美登利に会いに行こうって言ったじゃないですか」
「行ってこれ以上何を聞くんだ?」
香川は美登利に何かしら得体のしれないものを感じて及び腰だ。
「三原亜里沙の青い下敷きから美登利の指紋が出ています」
「何だと? でもなんで美登利のなんだ? オレはな福山のがないかと思って」
「判別できる最新のものは亜里沙と美登利だけです」
媛は笠岡家に電話して、美登利に会いたい旨を伝えるや否や目を丸くした。
スマホを手で押さえて香川に、「外での面会を希望しています。どうしましょうか?」と尋ねる。
「喫茶店ってわけにもいかん。署に来てもらうわけにはもっといかん。近くに交番でもないか?」
媛は電話に戻り、美登利の家の最寄りの派出所を告げている。近隣の派出所の位置と名を暗記していやがるのかと、香川はまた後輩を見つめた。
時間通りに現れた美登利は、薄手だが長袖のパーカーを羽織っていた。白く柔らかいスエット素材で、前に垂れた紐と、フードの中だけネイビーブルー。
6月中旬とはいえ、外を歩いてきて暑くはなかったのか、顔に生気がないからちっとも暑そうに見えない。
奥の机に向かい合って座った。笠岡美登利は独りで刑事ふたりに対峙しても動じない。
つい先ほど会っていた心理学教授と比較すると香川はうすら寒く感じたが、媛は好もしく思っているようだ、お姉さんキャラで対応している。
「わざわざ呼び出してごめんなさいね。それも三原さんのお葬式を明日に控えてるっていうのに」
「いえ、外でって言ったのは私ですし、閉じこもっているとお母さん、母が心配し過ぎるので……」
それは違うな、と香川は思う。情報コントロールのためだ。親に下手なこと喋られると困るんだろう?
「午前中にお話してから美術部の人にも会ったのよ。それで三原さんとちょっとごたごたしてたって聞いたもんだから気になって……」
「あの日は私がキレちゃったからいけないんです。あれが最後になるんだったら、笑ってればよかった。また亜里沙の毒舌が始まったって、もう慣れっこだよって。いつもは亜里沙がどんなこと言っても大抵大丈夫なのに……」
美登利はしおらしげに俯く。
「でも彼氏奪われるって……楽じゃないよね」
媛は恋バナに持っていった。
「多分私が一方的に好きだったんです。福山君、落ち着いていて頭も良くて、私がうわーってなってるときに話を聞いてくれて、筋道立てて何が大事で何が要らないか話してくれたりして、理路整然としてるっていうか、それがとっても頼もしくて……」
「そう。お付き合いは長く続いたの?」
「いえ、付き合ってると思ってたのは私のほうだけかも、優しいから相談に乗ってくれてて、2か月くらいたったところで亜里沙と付き合うからって……」
「高校時代って周囲が勝手に付き合ってるんだろうって噂流すこともあるしね」
香川は笠岡美登利を観察しながら、これから媛はどうやって何を引き出していくつもりなのか思い巡らせた。
予想がつかないから合いの手の入れようがない。助けてやりようがないのは先輩として、惚れてる男として情けないなと思いながらも見守るしかない。