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三原亜里沙の主治医


 最初に会えたのは、被害者三原亜里沙の面談相手、香川の予想通り、神経科の医者だった。

 白衣は着ておらず、あごひげをはやした、物腰の柔らかいお爺ちゃん先生。


「本当に残念なことになりました。三原君はこれからの日本の絵画を背負って立つかと言われていたのに。昨年の美術新人賞を最年少受賞したんですよ……」

「天才は夭折するのかもしれませんね……」

 香川は話を合わせて相手の出方を見た。


「それで、捜査一課のおふたりが私に会いに来られるなんて、彼女の死に不審な点でもありましたか?」

「それはこちらがお伺いしたいことですわ、先生」

 媛が容赦なく割って入る。


「うちの監察医からSUDEPという突然死について聞きました。先生は三原さんに起こり得ると考えておられましたか?」

 てんかんの専門医は優しくも悲しげな瞳を向けた。


「てんかん患者の10%はSUDEPで亡くなるとのデータもあります。いつ何で死ぬかわからないこの世の中に一割というのは、高い割合だとは思いますね。あの子の場合は、困ったことに、危ない橋を渡るのも好きでしたから……」


「危ない橋?」

 香川と媛は同時に問い返した。


「サングラスをかけろというのに、嫌だと」


 香川ははたと気づいて質問に代えた。

「あ、先生、英語の授業を受けさせなかったのはどなたのご判断だったのですか?」

「英語は、私です。日本で生きていくなら英語ができなくても構わない。長生きできたほうがいいだろうと言ったのですが、絵のほうの成功もあって、言いつけを守ってはくれなかったみたいだなあ……」

 お爺ちゃん先生はそこで目頭を押さえ俯いた。


「小学校上がる前から主治医をしていましたから、娘か孫娘のように思ってもいたんだけど……」

「三原さんの絵画とてんかんと繋がりがあるのですか?」

 胸にぐっと来るものを感じて言葉を失ったのは香川で、てきぱき質問をするほうが媛になっていた。


「直接てんかんと、ではないんだが……、三原君は、特別で……色字共感覚だった……」

「しきじきょうかんかく?」

 ああ、そうだったかと香川が納得する横で媛は首を傾げている。


「文字に色がついて見えるっていうヤツですか?」

「ああ、そちらの御仁はご存知のようだ。私も現代心理学部教授に臨床例を示したり、テストに同席したりはしたのですが、不思議なもんですなあ」


 香川は媛のために、簡単な説明を加えた。

「人の中には、字を見て色を感じたり、色を見て音楽が聞こえたり、匂ったりするのがいるんだよ。芸術家に多いと聞いたかな。あ、それでは三原さんは……」


「よせばいいのにあの子は、色が見えるアルファベットを拾って描いていた。単語ひとつふたつなら構わない。だが1ページとか見開き全部アルファベットで、それぞれが色を持って迫ってくると、あの子の場合、倒れるんだ。てんかん発作の引き金になり得るんだよ。そんなことってあるかい? 脳内の電気的興奮、脳波がショートしてけいれんを起こすのがてんかん、普通なら、引き金になる刺激を遠ざければいいだけだ。でもあの子の場合は、自分の視覚から入ってくる情報を、したくもないのに脳に不都合な刺激として自家変換してしまうんだ……」


「日本語は大丈夫だったんですか?」

 なぜか媛がふとそこで質問した。

「不思議なことにアルファベット、それも大文字が顕著だった。ローマ数字の時計の文字盤を子供の頃、色で呼んでいたよ、おやつの時間じゃなくて赤の時間とか緑の時間ってな具合に」


 香川は自分にもわかりやすい言葉でまとめてみた。

「アルファベットそれぞれが違った色を帯びて見える。それが大量に目の前に広がるとちらちらして、三原さんは発作を起こす危険性があった……」

「そういうことだね……患者を守れないなんて、情けない医者だ……」


 香川の胸にやっと温かい思いが広がった。この人は三原亜里沙を守ろうとした側、モルモットにしたわけじゃない。


 ――では臨床例を渡していたという現代心理学部教授はどうなんだ?


「心理学部の教授としては、三原さんのような特殊な例は、深く研究してみたいと思うでしょうね」

 香川はかまをかけてみた。

「そうだね、だから私が同席することを承諾させ、データを取るのも月に一度だけに抑えていたんだ……。被験者の体調も守れない実験は拷問でしかないから……」


「そうでしたか……。三原さんはサングラスこそかけていませんでしたが、青い下敷きを常備していた。先生の言いつけはちゃんと届いていたんですよ……」


 香川たちはそれを慰めの言葉に代えて神経科医務室を後にした。

 次の面会相手、笠岡美登利の毎月の面談者の肩書が、『現代心理学部教授』だったからだ。


 付属病院と医科大学は渡り廊下で繋がれた別棟になっていた。歩きながら、香川は媛に頼んだ。

「署の証拠係に問い合わせてくれ。本に挟まれていた青い下敷きの指紋照合は済んでるか」

「わかりました。ついでにどの詩のページに挟まれていたのかも聞きます」


 媛がまた香川の予想のつかないことを言った。

「ページ、が問題か?」

「美術部員たちが言っていた『後光喪失』なのか、他の詩なのか、ちょっと興味があるので」


「媛、お前フランス語読めるのか?」

「第二外国語レベルです。でも『後光喪失』は『悪の華』という詩集には収録されてないことを知ってます」

「はあ? お前、何者?」


「いいじゃないですか、先輩が医学とか心理学みたいな分野得意だって知りませんでしたよ。お互いさまです。課長には既に捜査継続を取り付けてますから、焦らずいきましょう」



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― 新着の感想 ―
[良い点] なるほど、共感覚がくるとは……。 これはまた面白くなってきてますね……。 [一言] そう言えば、高校の倫理の授業でボードレールにちょいと触れたんですが……ちょいとだったので、あんまし覚えて…
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