衝動的か計画的か、なんて
一瞬出遅れた香川が美登利の後を追おうとすると、机にうつ伏せた媛から抗議が来た。
「彼女のフォローもしてくださいよぉ~」
「バカ、オレが好きならいい子で待ってろ!」
切羽詰まると羞恥が抜け、香川は決め台詞を吐くらしい。
媛は耳たぶまで赤くして、しばし机と仲良くする羽目になる。
香川は派出所を飛び出し左右の道をキョロキョロ確認した。
幸いなことに、笠岡美登利は帰宅を急いでいる様子はない。涙を乾かしたいのか、空を見上げて立ち止まることもあった。程なく、追いつくことができた。
「笠岡君、君はフォトグラフィックメモリー保持者じゃないのか?」
香川高知は女子高生の背中に問いかけた。
イエスと言ってくれと祈りながら。
この一点だけが香川の仮説のネックだから。
推理とも推論とも呼び難い、近づくと消える逃げ水のような、目の前の女の子の心の動き。
「松山刑事が君に失礼な物言いをしてしまったのも、そういう知覚、記憶の仕方をする人間が存在すると知らないせいだ。
美術室から大学図書館に走り、目当ての本を書架から抜いて戻る。誰でも少しは迷ったり躊躇ったりする。ロスタイムが出るから即座には無理だ。
ならば君は前もって本を用意していたはず。
計画的に悪意を持って、三原君に本を見せようと思っていたんじゃないか、そう考えてしまったんだ」
笠岡美登利は足を止めたまま振り返らなかった。香川は思うところを後ろ姿にぶつけた。
「だが、君は違った。スマホ写真を拡大するかのように、目的の本はあの本棚のどの書棚の何冊目にあるか、ズームアップして思い出せる。一直線に走るだけ。
手続きも要らない。司書席の見慣れたノートに書名と研究室名を記入するだけ。
君になら、三原君に天使の輪っかの話をされた直後、本を取って20分かからずに美術室に戻れる……。
衝動的だ、計画的じゃない。そうだろう?」
親友の死んだ姿を目撃したはずの娘は、虚ろな瞳で振り向いた。
笠岡美登利のかわいい顔に、表情が浮かぶ。だがそれは悪意のような皮肉のような生気で、顎から目元へと広がっていく。
「刑事さん、その問いに何の意味がありますか? 私がイエスと言おうとノーと言おうと、何も変わらない」
「そうだな。オレは何も立証できない」
「私が前もって本を借りていたとしても、私が亜里沙に見せようとした動機はわからないじゃないですか。計画的だから悪意がある。衝動的ならちょっと気に障っただけ、って短絡的過ぎません?」
「そ、そうだな……、君の……言うとおりだ」
ああ、この娘にオレは敵わないのか、それが香川の正直な気持ちだ。
「共感覚も映像記憶も、大人になるにつれて薄れる人もいると聞いた」
「それが……何か?」
「君は……三原君にも隠していた……」
「何を?」
自分が映像記憶者だと認めない相手にどう伝えればいいのか、香川は言葉を選んだ。
「天使の輪っかが今も君の頭上に輝いていること……」
美登利はその日三回目の、驚き顔を見せた。
「辛い思いをしたのは三原君ばかりじゃない。君だって小さい頃から悩んで苦しんできたはずだ。
さっき派出所では君が一方的に三原君を補助したように話してくれたが、それだけじゃない。
散々テストされて君が『いっぱいいっぱいになって、うわー』ってなるところを、亜里沙君はずっと助けてくれていた。
見たものを詳細にわたって記憶できてしまう君の頭は、かなり頻繁に要らないものをふるい落とす必要があった……。どうしていたのかは想像つかないが」
笠岡美登利はほんの幽かな微笑を浮かべた。
「抱っこしててくれました……。泣きべそかいたり叫びだしたりする私を亜里沙は黙ってハグしてくれていた」
「そう……だったのか……」
これで美登利は自分の知覚が他人とは一種違っていたことを認めてくれたことになる。
「教授や検査官たちは人間味のないロボットのようにも感じただろうね」
「お爺ちゃん先生だけは味方でしたから……」
「ふたりともの。そうか、それはせめてもの救いだ」
香川の後ろに、嗅ぎなれたシャンプーの匂いがしていた。足音に気づかなかったが、媛が立っているのだろう。
「去年まで君は教授のデータ収集に貢献していた。大学図書館で聞いたことも読んだこともない本を取ってくるという検査でもさせられていたのかな?」
「ひとつの本棚を離れたところから5秒だけ見て、言われた本が持ってこれるか、とかですね」
「バカらしいな」
「そうでしょう?」
美登利はそこでやっと笑顔らしい笑顔を見せた。
「尼崎教授は俗人でもあるしな。付き合いきれなくなった君は、もう映像記憶がなくなったふりをした。これは簡単だ。わざと間違えればいい」
「その通りです」
笠岡美登利の素直な反応が香川は内心嬉しかった。




