6時間目の恋人たち
将棋部部長の福山鞆旗が重要参考人として浮かび上がった。被害者、三原亜里沙の死体第一発見者で、救急車を呼んでいる。
疑念はそればかりではない。
選択授業で取っているので、美術室に彼の髪が落ちていることには何も不思議はないが、被害者の首元にも貼りついていたらしい。
容疑者ではなくまだ16歳だということで、事情聴取は彼の自宅、母親の同席で行われることになった。
訪ねてみると、閑静な住宅街にゆったりと敷地をとった豪邸。
白衣姿の父親は「ご苦労様です。何かあったら呼んでください」と頭だけ下げ、母屋に隣接した内科医院のほうへ戻っていった。
気まずい空気の広い応接間に遅れて入ってきた高2男子は、Tシャツ姿というラフな格好をしていて目が死んでいる。
©遥彼方さま
挨拶もなく、黙って母親の隣の肘掛け椅子に座り込んだ。
「亡くなった三原亜里沙さんのことで、話を聞きたいんだが」
分かり切った訪問目的を口にしなくてはならない香川もやりにくいが、それを無言で返されると場はさらにいたたまれなくなった。
「福山君の口から、何があったのか話してもらえないかな?」
媛が猫なで声になる。母親はおろおろするばかり。
「話してくれないとこちらからバカな質問をたくさんしなくちゃならなくなる」
香川が苦笑すると高校生は無表情のまま、「どんな?」と声を出した。
「三原さんと付き合ってたのか、とか」
どこか宙の一点を見つめたまま福山は頷く。
「そ、そうなのか?」
香川は狼狽えてしまった自分を自嘲した。
「自分に都合の悪いことは言わなくてもいい。弁護士をつけるなら日を改めて、署のほうへ来ていただきましょうか?」
セリフの後半を母親に向けて問うと、世間ズレしてなさそうな中年女性の視線は、
「も、もうそんな段階なんですか? うちのひとは鞆旗が見たことを言えばいいだけだって……」
と呟きながら、息子と刑事の間をキョロキョロした。
「お母さんはふたりが交際していたのはご存知で?」
「い、いえ、今知ったばかり、三原さんというクラスメイトさんにも会ったことがなくて……」
取り乱す母親を見苦しいと思ったのか、福山鞆旗は冷たい一瞥をくれた。
部屋に入ってきたときから目に輝きがなく冷え切っているから、その視線の真の意味は誰にもわからない。
「僕が容疑者ということですか?」
その場にいる4人のうち、高校生が一番落ち着いているのかもしれなかった。
「君は死ぬ直前か直後、被害者に触れている。直前であれば身の潔白を証明する努力をするべきだろう」
「誰も見ていなかったら?」
「証明は難しいか。だがせめて君の口から何があったか話してほしい。ガールフレンドが死んだのだから、つらい経験だと思うが……」
福山鞆旗は肘掛け椅子に座り直すと重い口を開き、事件当日を語り始めた。
「一昨日は水曜日ですから、亜里沙は6時間目からいつも通り絵を描いていた。僕も世界史は要らないんで授業を抜けることにしていて、美術室にいた……」
「6時間目からって? いつも通り?」
媛が言葉尻を捉える。
「ふたりきりになれるチャンスなんで毎週そうしていました。亜里沙は英語は免除です」
「免除って、どういうことだ?」
「それ、僕が言わなきゃダメです? 学校に聞いてくれません?」
香川は折角供述を始めてくれた高校生を遮るまいと流すことにした。
「もうすぐ絵ができあがると亜里沙ははしゃいでいて……」
「幻想的な……色合いだったね、あの絵の題とかあるのかな?」
福山はぼつりと、「僕への気持ちだそうです」と窓の外を見やった。
ここ数日で急に大人びてしまった顔は青年と呼ぶべきだろうか、視線を戻して続けた。
「亜里沙はいくつかの絵画展で受賞しています。高校生ながら新しい抽象画の可能性を拓いたと。僕は『亜里沙は天才だ』と言った……。亜里沙は、『こればっかりは持って生まれたものだから』と謙遜した」
「才能ってことかしら?」
口を挟んだ媛のほうに顔を向けたが福山は何も言わなかった。
「HRを終えた美術部員たちが来たので、僕は自分の部活に行くことにした。亜里沙が今日中に完成させるって笑ったから、その日に持って帰ると約束して別れました。一緒に帰ろうって……」
「でも君は持って帰っていない。絵は美術室にあった」
「今は警察にあるのでしょう?」
「ああ、いろいろ調べさせてもらっている……」
「傷つけないでくれませんか? 亜里沙が僕にくれたものなんで」
「あ、ああ」
福山は歳に似合わず妙に落ち着いている。それは部活の将棋で培われたものなのだろうか。刑事でありながら香川は、自分の好きな女が死んですぐに他人と会話ができるかどうか、全く自信がない。
いずれはプロポーズしようと考えている相棒、媛を意識してしまって言葉に詰まった。
「絵を調べても何も出てこない。絵の具に含まれる毒性なんて知れたものですから」
福山の声が香川を現実に引き戻した。
「他にもっと毒になるものを知っているような口ぶりね?」
媛がまた挑発する。福山は虚ろな瞳のまま睨み返した。
「そりゃ、自分の彼女が死んだら、一通り調べるでしょ?」
「ネットか。君のスマホも調べなくてはならないな」
「亜里沙が死んだ後ですから。検索時間を見たらわかる」
冷静なのか気持ちを抑えているのか、今時の高校生は激昂することはないのか、などと訝りながら香川は話を促した。
「それで? 部活の後、美術室には行ったんだね?」
「……はい」
「その時、三原さんは?」
「……既に」
「他に目撃者は?」
「もう誰もいなかった」
「美術部員とかは?」
「見てたら助けを呼んでくれただろ?」
福山はムッとしたようだ。
「まあ、部活に出てた子たちには話を聞かなくてはな。だとしても、君が三原さんに触れたのは、その子たちのいないとき、救急隊員の来る前じゃないか?」
香川は警察側の手の内を晒さないよう、そして誘導尋問にならないぎりぎりの言葉を選んだ。すると、福山鞆旗は初めて瞳に鋭い光を宿して見返した。
「黙秘します」
母親が叫ぶより先に媛が声を上げた。
「ダメよ、逮捕になるから、署に来てもらわなくちゃならなくなる。真犯人はそのうちに逃亡するかもしれないでしょ?」
福山は首を傾げ、ついでに肩コリをほぐすように頭を左右すると答えた。
「警察は本当に殺人事件だと思っているんですか? 思ってないなら僕は協力できません。亜里沙のお母さん、そして親友にも事情を聞いたらいい。そちらの方針がはっきりするまでこれ以上話す気はありませんから」
母親が動転して医院に向かい、父親が飛んできてすったもんだがあったが、福山鞆旗本人は無表情に戻ってしまい、粛々と香川たちの車に乗り込んだ。