犯人の遺留品って?
美登利は自分が怒鳴りつけてしまった親友の反応を語った。
「亜里沙は『宝石のない宝石箱ってステキなイメージ! それもフランスの詩なの?』っていつもの飄々とした、のーてんきでとんちんかんな返事で。『美登利って猫みたいに機嫌が変わるよね』とも言われましたけど……」
笠岡はポシェットからハンカチを取り出して目元を拭った。そして続ける。
「同じフランスの詩でも『悪の華』はお子様にはムリだからねって言ったんです。でも2日もたたずに、図書館で借りてきたって『パリの憂鬱』を見せてきて……」
「なんで『悪の華』じゃなくて『パリの憂鬱』だったの?」
「散文詩のほうがお話みたいでわかりやすいって言ってました。詩だとどこまでが一文だか次の行まで繋がってるのかこんがらがるって」
特に翻訳ものはそうだよな、オレも同類だと、香川は微笑した。
媛が核心に近づく。
「亜里沙さんが亡くなった時、美術室の机の上にはフランス語の本があった……」
「昨日、亜里沙の青い下敷きが挟んであったって言った本ですね?」
美登利の即座の応答に、香川のほうがまた寒気を感じた。
媛は目を光らせて言葉を継ぐ。
「それが犯人の遺留品じゃないかって私は疑ってる……」
「犯人の? 犯人って?」
美登利の動揺を見て、それは踏み込み過ぎだと香川は焦る。
「媛、あれは殺人じゃない」
「殺人じゃないとしても、計画的に発作を起こさせたとしたら? 発作を重ねることで亜里沙さんの寿命は縮まる。それを狙って発作を起こさせたとしたら?」
香川は止まらない恋人を前にして、高校生のほうを庇った。
「笠岡君、答えなくていい……」
「優しいお姉さんみたいな振りして、松山刑事って私を疑ってたんだ」
顔を上げた美登利は今まで見せなかったきつい目力で、媛を睨みつけた。
「福山君がそんなことでも口走りましたか?」
皮肉に歪む少女の顔は、もう可愛らしいとは言えなかった。
「福山は関係ない。君のことを傷つけて申し訳なかったと言ってるくらいだ」
とりあえず、香川は修正だけ入れる。
「あるのは状況証拠だけ。だからあなたに来てもらった……」
「私から自供を引き出そうと?」
2人の間に火花が散って見える。頭の良すぎる高2女子は、刑事ものの小説もたくさん読んでいるのだろう、本物の刑事松山媛に対峙してびくともしない。
力を抜いたのは媛が先だった。クイズのようにいたずらっぽく、
「作業机の上にあったのは何の本だったと思う?」と問いかけた。
「Les Flerus du Mal et Les Petits Poèmes en prose」
美登利は果たし合いを受けるチャンピオンのように気を抜かない。原題で答えた。
「『悪の華』と『小散文詩集、またの名をパリの憂鬱』、両方が収録されたボードレール全集の中の一冊。あの部屋に長く居たはずの福山君でも、本があることさえ気づいてなかったのに、あなたは題まで知っている。それはあなたが持ってきたからじゃない?」
美登利は沈黙のまま媛を見返す。
「黙秘、かしら?」
「あなたは『悪の華』を邦訳で読んでいた。でも大学図書館には原書があることを知っていた。尼崎教授研究室の名前を使って持ち出したんでしょ?」
「……」
「いつからあの本持ち歩いてたの? 教室の机の中にでも置いていたの?」
「え?」
美登利の表情が見る間に変わった。そして小さく「あっ……」と言うとまた黙り込んだ。
「あなたは去年よく、教授と大学図書館に来ていたそうね? 教授の指定する本を書棚から集めるお手伝いをしていたとか? 今年はどうしてしてないの?」
「もうお手伝いしないと決めましたから……」
「天使の輪っかを落っことしたせいじゃないんだ?」
「媛! 言葉に気をつけろ」
香川は好きな女の勇み足を制した。
笠岡美登利は目に軽蔑の色を湛え、口角を下げたまま冷たく笑って見せた。
「いいですよ、もう私は普通ですから……」
そして媛のほうに目を移すと、
「それで? 松山刑事は私が何をしたと仰りたいんですか?」
梅雨入り前だというのに、対面に座る女二人の間は雪吹雪でも駆け抜けそうだ。
笠岡美登利のほうが一枚上手なのかもしれない、静かに口を開いた。
「どうぞ? 構いませんから何が起こったのか、刑事さんが思う通りを話してみてください」